六冊目 白夜行 その二

「白夜行……」


 ミキミキがどうしてだか綺麗な発音でもう一度繰り返した。

 なるほど。白夜行ね。自分も心の中で繰り返した。気持ちはわかるよ。想像していたより重たい小説だったからだろうな。厚さ的な意味ではなく、内容的に。

 白夜行。1999年発行。

 日本を代表すると言っても過言ではないかもしれない作家、東野圭吾の代表作の一つ。続く幻夜と合わせて夜シリーズと呼ばれているとかいないとか。第三作目は書いて頂けるのか頂けないのか。それは置いといて。

 文庫本にして八百ページを超える大長編。あらすじとしては、1973年、大阪の廃墟ビルで起きた殺人から始まる。事件は結局迷宮入り。そしてその被害者の息子、小学生の桐原亮司と、被疑者の娘、小学生の西本雪穂、二人は全く別の道を歩んで行くことになるのだが、その二人の辿った道筋には幾つもの恐るべき犯罪が浮かび上がる。しかし、証拠は何も無く――。

 といったストーリー。このへんは文庫本裏のあらすじにも書いてある。

 私、東野圭吾は十七作しか読んでいないけれど(なにせ多作だ。全部追えない)、中でも一番面白かった。

 いや、面白かったというより、良かった、良かったというより心に残った。何時までも何時までも。

 なんと言ってもこの小説の素晴らしい点は……いいや止そう。目の前にその小説を好きな子がいるのだ。最大限ネタバレには配慮しつつ、最大限語らおうじゃないか。

「いいよねー白夜行。私も好き。どういうところが好きなの?」

「読んでるのぉ? わたしぃ、同じ年で白夜行読んでる人、二人以外ではじめてぇ」

 少し身を乗り出してきた。仲良くなれそうな気がした。

 二人ってのは吾子嗣姉妹二人のことだろう。その姉妹はと言えば、姉はどうしてだか俯いていて、妹はつけぼーと格闘している。美的感覚試されるよね、つけぼー。

「あのねぇ、あのねぇ?


 ――決して、過去の過ちからは逃れられないところ」


「……へえ」

 なんだろう。予想外の言葉が飛び出す子だな。決して、の所からワントーン下がったのが恐怖。言わんとすることは分かるけど。

 私としてはてっきり、ラストシーンがいいよねーとか、この描写が最高でー、とか、雪穂超いいー好きーみたいな会話展開を予想していたのだが。

「過ちってねぇ、一生付いてまわるんだろうなぁ、って、この小説読むと思うのぉ。付き纏うっていうかねぇ?

 何時までもぉ、自分の生きて行く道にぃ、暗い影を落としていくんだろうなぁ~ってぇ」

 視線は私ではなく、姉へと注がれている。にこにこと。

 気持ち、分かるなあ。初めて話す人ってなーんか緊張しちゃうよね。私も目の前の人とお話してても、ついつい自分と仲の良い、よく喋る子ばっかりに視線をやっちゃうことって結構あるよ。そんな人、世の中結構いるはず。

 私もなんとなく、ミキミキの方を見ながら会話をしてしまう。ふふ。

 姉はそんな私たちの視線にだらだらと汗をかき視線を逸らしている……さっきからどうしたのだろう?

「過去のトラウマってやつ?」

「うん! 幼少期のトラウマってねぇ? 絶対ぃ、その人の人格形成に影響が出ると思うんだぁ」

「おお」

 これは引いているのでは無い。なんだかすっごく仲良くなれそうな気がしているのだ。考えに感銘を受けるっていうか。こう、見た目引っ込み思案っぽいけど、語りだすと止まらなくて言ってることがいちいち理屈っぽいところなんか特に。

 私はもっと彼女と会話したくなる。

「分かる! 幼少期のトラウマって子供の健全な成長を阻害しかねないよね!」

「うん! 良いことも悪いことも含めて人生ぃ、なんて言葉じゃ納得できないよねぇ、やった方にもぉ、それ相応の報いを受けさせてやりたいって気持ちぃ」

「それ分かる~」

「わぁ~い」

「いぇ~い」

 気付けば机挟んでハイタッチを交わしていた。もちろん、ミキミキを眺めながら。

 汗の量半端ないね。今日そんなに暑いかな? カーデ脱いだら?

 一方妹の方はと言えば、会話に飽いたのか随分険しい顔してスマホとにらめっこしている。電書でも読んでんのかなって思ったけれど、指のスピード的にゲームかな。

 はあ。しかしまあ。夢々ちゃんもイジメられてたりしたのかなー。そうじゃなくても、例えばそこの目の前にいる理不尽姉妹にあーだこーだ命令されてたくらいはあるかもしんない。幼馴染って言ってたし。そのくらいはあるだろう。

「じゃあ二番目は? どんな小説が好きなの?」

「う、うぅ~んとぉ」

 再び悩み出した。夢々ちゃんは、いそいそと時計を見、必死にご飯をもぐもぐやりながら眉根を寄せて、視線が外れてミキミキがほっと一息つくのが視界の端に映った。

 夢々ちゃんはやっと決めることができたのか顔を上げる。

「永遠の仔!」

 発音は「こ」が「こぉ」になっていた。

「永遠の仔(えいえんのこ)……」


 ミキミキがどうしてだが綺麗な発音でもう一度繰り返した。

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