四冊目 池袋ウエストゲートパーク その一

「てーれれーれーてーれれれーれー♪ てーれれーれてーれれれーれー♪」


「いい加減その歌なんなのか教えてくれない?」

 お昼休み。前方。右端。

 まあいつもの如くいつもの定位置である。何時だかの中庭ランチタイムってわけじゃない。今日は普通に雨振ってて外出れない。教室もなんだか薄暗く、この時間だってのに電気が点いていた。

 うちの教室は場所のせいか日当たりが悪いのだ。何故か隣の三組は良いのが恨めしい。

 激しい春風に吹かれた雨が窓ガラスを叩いていて、授業中も始終やかましかった。四時間目が始まった頃には雷鳴も聞こえていた。この地域、この季節でここまで激しい天候もなかなかないよね。それとも私が経験してないだけか。それか忘れている……。

 ――あの時もちょうどこんな雨だった――

 ぶるっと震える。

 よそう。嫌なことを思い出してしまった。

 雨にはあまり良い思い出がないのだ。

 ミキミキはさっきから同じ歌を口ずさんでいた。というより、今日は朝も二時間目の体育の時間でもその歌を口ずさんでいた。向かい側で呑気に歌いながらも、絶妙な位置にピンポン玉を連続して返してくるこの双子の姉にイラッときたもんよ。

「ボーン・トゥ・ビー・ワイルドだね」

 妹が回答を言ってくれた。今日は珍しくカツ丼を食べていない。カツカレーだ。よりボリューミーになってしまった。

 匂いは思ったよりも気にならない。冷めてればそうでもないみたい。この前の私の心配はどうやら杞憂だったらしい。

 傍らには見たこともない虹色のポッキーが置かれている。

 野菜喰おうぜ、野菜。

「外国のバンド? 意外。ミキって音楽詳しいんだね。でも、曲名聞いてもピンと来ないや。なんでだろ? 聞いたことはあるんだけどな」

「それはね」

 歌うのを止め、ミキミキが割って入ってくる。

「これよ」

 スマホを掲げて見せてきた。ずいっと覗き込んでみる。妹はもう知っているのか横目でちらりと確認するだけ。

「あー!」

 それだったのか! あーすっきり! 叫んでしまったよ。小骨が取れた気分。

「見てたのね? 見てたのね? わたし、最近やっと見たの。知らなかった。こんなに面白い物があったなんて。どうして今まで教えてくれなかったの? 原作も昨日一気に三巻まで読んだの」

 ずずいっとこちらに身を乗り出してきた。近くで見ると目の隈が酷い。

 なるほどねー。それで今日は珍しくコンビニ弁当だったんだ。小説三巻一気なんてよくできたもんだね。妹が普段好き好んで食べているカツ丼が、今日は姉の前にあったその理由――、どうやら作る時間がなかったせいらしい。

 スマホの画面には、二十年以上前に一世を風靡した伝説のテレビドラマのロゴと一緒に、あの日の若き俳優陣の姿が待受画面に設定されていた。みんなわかー。


 池袋ウエストゲートパーク。通称『I.W.G.P』

 石田衣良(いしだいら)原作。

 最近になってアニメ化もされた本作、ドラマ化舞台化コミック化と次々にメディアミックスされ、特にドラマは、あの堤幸彦が監督、宮藤官九郎が脚本を務め、当時の若者中心に絶大な支持を集めたという。

 演出、カメラワーク、俳優の怪演、今だと放送できないようなエピソードの数々……。私なんかはリアルタイム視聴じゃなくて後追い勢だから分かんないけど、恐らく当時は衝撃だったろう。

 二〇二一年を生きる私だって衝撃だったんだから。

 池袋を舞台に主人公マコトが厄介事に巻き込まれたり自ら首を突っ込んだりしながらトラブルの解決を図るという、一見するとどこにでもありそうなストーリーだが、そのトラブルというのが、イジメ、集団自殺、ホームレス、カラーギャング抗争と、その時々の社会問題や、社会通念を問われるような、思わずこちらが目を逸したくなるような現代社会の闇を中心に描き暴いている。

 これだけ聞けばものすっごいジメジメした暗いストーリーを思い描く人もいるだろうが(まあ実際に暗いのだが)、石田衣良の書く小気味いい一人称の描写とリズムが絶妙なバランスを保っているため、割とすらすら読めるのだ。

 私もああいう洒落た文体を書いてみたいものよ。

 が、しかし。


「教えてくれなかったのも何も。私たちが生まれる前のドラマだもん。話す機会事態ないよ。アニメから入ったの? 私はお父さんがDVD持ってたからだけど」

「いいえ。木更津キャッチアイから」

「それだって生まれる前……まあいいや。面白いよね。ドラマも原作も。私は原作だと十巻が好きだよ」

「先は長いわ。しばらくカツ丼ね……あげないわよ」

 別にカツ丼オンリーじゃなくていいと思う。そしていらない。

 なるほど。脚本家繋がりね。ただでさえお姉ちゃんは目つき悪いのに、一二週間くらい先まではどうやらこのままらしかった。

「亜以もこういうの書いたらいいと思うわ」

「こういうの?」

 また待受画面を見せてきた。こういうのってどういうの?

「抗争、社会の闇、裏の仕事……」

 スマホ片手にうっとりしている。

 私はいつの間にかカツカレー食べ終わってポッキー食んでいる妹に訊いてみる。聞こえないようにひそひそと。

「前々から思ってたけどさ。あんたの姉って中二病入ってない?」

「やっと気付いたんだ」

「鎖鎌からのIWGPとなればね。ハマり方がなんていうか……」

 思春期の少年っぽいっていうかね。

「鎖鎌のときは何だったかな……BLEACHだったかな? 影響されて書いたっぽい自作の詠唱と詩があってね? それをBLEACHの公式ツイッターにリプライひたすら飛ばしてたからわたし、慌てて止めたんだよね」

「クソリプお姉ちゃんじゃん」

 鎖鎌ってそういう……。どっから出てきたかと思ったら。元ネタはそこだったか。命を刈り取る人かな、たぶん。自作の詠唱と詩……見てみたいものである。人気少年漫画の公式アカウントにそんな傍迷惑な行為するくらいなら私に見せてほしいもんである。

 馬鹿にはしないからさ。

 好きな味じゃなかったのか、ミキがオレンジ色のポッキー差し出してくる。メシ喰ってる最中だ。そんなもん食えんと首振ってみるも逆に首振られる。仕方なく手に取り食べた。うん。白米には合わない。

「そういうのってさあ、作者の中にそれ相応の知識が求められるじゃん?」

 話を戻す。ポッキーを咥えながら少年みたいな顔した少女に言ってやる。

「知識?」

「抗争、社会の闇、裏の仕事……その時々の社会問題や時代性を切り取るだけの力量が求められるでしょ? まだ十代半ばの私にゃ荷が重いよ」

 社会の社の字も知らない乙女である。ニュース眺めていたってちんぷんかんぷん。ワードが謎。国会って何で毎日毎日同じこと繰り返してるの?

 それに、書いたとしてもどこか嘘臭くなると思うのだ。ヤクザ、暴走族、マル暴なんて書ける自信ないよ。知らないことを知ったように書けるのは一部の天才のみである。

「ネットの闇、イジメ問題、スクールカーストとか亜以にも身近なモノがあるじゃない」

「身近かどうかは置いといて……そういうの、ぶっちゃけ書きたくない」

 暗いよ。気分が滅入ってきそうだ。

「それを言われたらお終いね」

 ミキミキはスマホを見てため息をついた。

「はあ……わたしも危ない橋を渡りたい」

 インディージョーンズみたいなことやりたいって言ってるんじゃないだろう。IWGPのマコトみたいなことをしたいって言ってんだろう。

「亜以はさ、生まれてからこれまで危ない橋って渡ったことある? 犯罪じゃなくってもヤバい物に手を出したとか、今から思えばアレやばかったなー、とか。そういう武勇伝的なの」

 ポッキーで指差された。危ないことねえ。

 べつに私、その辺にいる普通の乙女だから九十年代〇〇年代の非行少年たちみたいな武勇伝は持ち合わせていないんだけど。でも強いて言うなら――

「ちっちゃい頃にピンポンダッシュしたくらいかなあ」

「は!?」

「は!?」

 ぽけーっとした雰囲気が漂っていた私たちの空間が急にざわっとしだす。え? どしたの急に。ちっちゃい頃のピンポンダッシュだよ?

「や、やばいよお姉ちゃん、犯罪者だよ。犯罪者がこんな身近にいたよ」

「凶悪犯罪者ね。凶悪犯罪者がいるわ」

「……ピンポンダッシュだよ?」

「アレやられるとやったガキとっ捕まえて庭の池に沈めたくなるよね」

「池は溺れる可能性があるから止めた方がいいわ。でも首に罪状をぶら下げての市中引き回しくらいなら許されるはずよ」

「そっちの方が犯罪じゃない?」

 さっきまで危ない橋渡りたいとか言ってた癖に。

 庭の池って。どんな家住んでんだろ。

「はあ。いい? 確かにピンポンダッシュは過去に迷惑防止条例違反が適用された例や、住居侵入罪が適用された例だってある。けれど二十歳未満の少年が処罰されるには少年法だってあるんだよ。重罪を犯した場合はその限りではないけど、私がやったことはピンポンダッシュ。それにやったのは私がまだ四歳の頃。小学校に上がる前。注意で終わるし、十四歳以下の少年はどんな罪を犯しても刑罰を科すことはできないの。刑事未成年者って言って」

「お姉ちゃん……この人時々ガチで怖いんだけど……」

「しっ。今はまだ自覚させる前に泳がしておきましょう。その内、きっとなにかし出かすわ。いざとなったら警察へ突き出してやりましょう」

 目の前で姉妹がひそひそと何事か相談していた。

「二人とも何か勘違いしてない? 一応ね? 理由があったの」

「理由?」

 妹がポッキーをパキッとやった。

「ピンポンダッシュにどんな理由が……?」

 姉が胡散臭そうに片眉を上げて私を見た。

「そう、あれはまだまだ私が幼かった頃――」

「なんか始まったんだけど」

「犯罪者の言い訳よ。聞いてやりましょう」

 この二人になら語って聞かせてもいいかもしれない。

 自分の内に閉じこもりがちな今の私のこの性格を決定付けた出来事であり、幼少期のトラウマ。これのせいで、私はあまり外には出歩かなくなり、家で本ばかり読むようになった。外に出歩くのが怖くなって、人に話し掛けるのも怖くなった。

 回り回って小説家を目指す切っ掛けにもなったから良いじゃない、と割り切れればいいのだろうが――……。


 私は遠い記憶に想いを馳せた。

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