三冊目 偽物語 その二

「そんな連盟があるの……?」


 古武術うんたら協会だったら調べている内に出てきたけど……。どうにも冗談臭いな……。涙がいきなり胡散臭くなってきた。仮にあったとして、貴様はその連盟のなんなんだよ。会員だったの? 日本鎖鎌連盟の。素直に感情を受け取っていいのか悩む娘っ子である。

 それでもやはり涙は事実だったようで、いつもの何考えてるかよくわからん半目ジト目が、幾らか気怠げに見えた。悄然、とまでは行かないが、しょんぼりしてる感じ。

 イジケている、と言えば正しいかもしれない。

 ふと、向こうに集まって座っているギャル三人衆から、思わず耳を塞ぎたくなるような盛大な笑い声がこちらまで聞こえてきた。

 そちらを見、ミキミキが舌打ちした。

「……全員死なねーかな」

「口調変わってるじゃん」

 誰だよ。

 物騒な。

「行って殺してくるわ」

「ちょっとミキミキまずいって」

 立ち上がり掛けたミキミキの袖を慌てて掴む。何せグループが違うのだ。向こうはカースト上位のギャルたち。不良。怖い子たちなんだ。対して私たちは変人集団。流石に殺しは冗談だと受け取るとしても、軽く注意するだけでもなに言われるかわかったもんじゃない。イジメられちゃうかもしれないよ? だからやめよう? そんな私の掴んだ右手に反応して、ギャルを見据えていたミキミキがこちらを振り向いた。そして言う。

「鎖鎌で」

「……」

「ってぇ! 鎖鎌じゃ返り討ちだ~! こりゃまた失礼しました! たは~!」

 うざ……。

 普段よりキャラが掴めなかった。

 ぺちぺちと自分の額を引っ叩いてるコッテコテの芸人みたいな仕草にイラッとする。

「これはアレだねえ。何もかもがどうでもよくなっているときのお姉ちゃんだねえ。レアだよレア。超レア。わたしもこのお姉ちゃんを見るのは人生で三回しかないよ」

「……ちなみに三回ってのは?」

「お姉ちゃんの推しのアイドルグループが解散した時と、お姉ちゃんの推しのロックバンドが解散した時と、お姉ちゃんの推しの芸人コンビが解散した時の計三回だね」

 疫病神かな?

 たかだか人生十五六年、そんなに推しのグループが解散することってある? 立て続けにそんな目に合うミキミキの絶望感を想うと笑おうにも笑えないが。

「はあ……笑顔になれる小説が読みたいな」

「笑顔になれる小説?」

 ぴーひょろろーと頭上で鳴くトンビをミキミキはぼんやりと見上げた。

 笑顔になれる小説ってなんだろう? 愛と平和を歌った小説? 友情を描いた小説? 心温まる小説? 博士の愛した数式みたいな? 芥川龍之介の蜜柑みたいな?

 私たちの間を一陣の風が吹き抜けた。風に吹かれて一枚の桜の花びらが宙を舞い、ひらひらと私のお弁当の中へと落ちた。ピンクの鮭の上にピンクの花びらが乗っかった。

 桜を避け、鮭に箸を入れ、口へと運ぶ。しょっぱいな。まるで涙みたいに。

 私は心を傷めている。

 せっかく小説を読んでくれた数少ない友だちを傷付けてしまった。泣かせてしまった。昔からたまにある私の悪い癖。言い過ぎてしまうこと。

 罪滅ぼしじゃないけれど、心がほっこりするような、ちょっとした小噺を書くことはできないだろうか? 自惚れすぎかもしれない。自意識過剰かもしれない。

 でも、そのくらいはしてあげたい。

 友だちだもん。

 よし、思い切って訊いてみよう。

「なんか私書くよ。どういうのが読みたいの?」

「偽物語みたいなやつ」

 ……そっちかーい。

 愛と平和でも友情でも心温まるでもなかった。いや、愛と平和と心温まるは多少あるかもしれないが。あの小説はどっちかと言うと――

「笑えるのが読みたいってこと? 漫才みたいな小説」

「そう。わたし、今、心の底から大笑いしたい」

 難しいことを仰るな。


 偽物語。

 西尾維新原作の、アニメ化もされ人気を博した物語シリーズ第三作目。

 シリーズでは、ヒロインたちの抱える問題、闇が、怪異と呼ばれる所謂妖怪変化、怪異現象の類に見立てられる。それを主人公が解決していくといった内容なのだが……偽物語は二段組で上下巻に分かれるほどの大ボリュームでありながら、紙面の半分以上を主人公阿良々木暦くんと、ヒロインたちの軽妙な掛け合い漫才に割くというとんでも構成。シリーズ随一の掛け合い漫才巻だったりする。

「なーんの物語性もテーマもなーい偽物語みたいなやつが読みたい」

「いや、偽物語にも偽物とか本物とか正義とかテーマがあるじゃん。本筋はそっちじゃん」

「そういうの全部取っ払ったひたすら掛け合い漫才してる偽物語が読みたいのよ」

 それはもう偽物語じゃないよ。偽物語という名の紛い物だよ。

 紛物語だよ。

「小説って、何かしらテーマとか本筋とか……例え脇道逸れてもそういうの必要だと思うんだけど?」

「いらない。亜以の書いた長ったらしい独白なんて目にも入れたくない」

 ああそう……。

 長ったらしい……。そんな風に思われて……いや、私自身、自分の文章がくどいってのは自覚してるんだけどさ……。

 うーん。しかしなるほど。でも実際、体調悪いときや気分が優れないときなんかは、小説よりもセリフ少なめの漫画を選んじゃうことってよくあるよね。日常漫画、もっと言えば四コマ漫画なんかがちょうどいい時。そんな気分ってのは人間誰しもあると思う。

「会話文だけ読んでいたい」

「脚本じゃねえか。……小説読まずに漫才見てればいいじゃん」

「や~。亜以の書いた小説が読みたいの~」

 だらっとこちらに体を凭れ掛けさせてくる。狭いベンチでそんなことやられれば当然私の体は右へと傾く。自然、私だけでなく、ミキにも体重が掛かる形に。

「ぐえ」

「ねえ、ミキ。どうにかならないの? これ?」

「知らない。その状態のお姉ちゃん超絶面倒臭いから」

 大抵面倒臭いけどね。あなたの姉。

 まあ、いつもより面倒なのは確かだった。

 三人一緒にさざ波みたいに右へと傾きながらも考えてみる。掛け合い漫才ねえ。

「ミキミキ。私、人を笑わせるのって苦手なんだけど……」

 そんなに前に出てウケを狙うようなキャラじゃないし、双子の二人みたいに普段から軽妙な掛け合いをしているようなわけでもない。突然笑いを取ってみろと言われても出来るかどうか以前に思いつきもしない。芸人を志したこともなければ、そういう小説を書こうとしたこともないのだ。

「そうね。亜以は人を泣かせる方が得意だもんね」

「……」

 突っ掛かってくるねえ。

 私が答えに窮していると、ミキミキは座り直し姿勢を正し、指を一本立てた。自然、私たちの姿勢も直る。

「偉い人は言いました。

『小説で人を泣かせるのは簡単だ。

 夢を与えることも出来るだろう。

 或いは、それまで地べたを這いずり、下ばかりを向いて生きていた者に希望を与え、明日を生きるよう、前を向かせることだって可能かもしれない。

 しかし、小説で人を笑わせるのは何よりも難しい。

 それが出来た時、初めて本物の小説家となるのだ』」

「へえ。良い言葉だね。なんか分かるかも。ちなみに誰の言葉?」

「わたしが今考えました~! ぶふぅ~!」

 そう言って再び体を凭せ掛けてきた。

「分かるかもって! 分かるかもって! 今わたしが考えたのに! ぶふぅ~!」

 ……う、鬱陶しい……。

 たちの悪い酔っ払いみたいだ。

「まあでも」

 未だ頭上でくるくる回っているトンビを見上げて思った。

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