ラッキー・ライラック

不知恋舟

ラッキー・ライラック

「今週WINS行くやついる?」

 インスタのストーリーにそう投稿したけれど、別に私だって誰か一緒に行ってくれるなんて期待してたワケじゃなかった。大学は入学したばっかで、一緒に遠出するほどの友達はまだできちゃいないし、高校の時の友達とは、上京がきっかけでほとんど離れてしまった。

 というか、入学して一週間足らずで私はすでに、この学校は自分には合わないと感じ始めていた。悪い意味で治安が良すぎる。そのバッグどこの?可愛いねその服!アフタヌーンティー行きませんこと?毎週土日は場外馬券売り場に赴いて「てめぇそんなんなら最初っから落馬しとけや!」とか一番人気飛ばしたジョッキーに罵声浴びせるような私みたいな女はそうそういなかった。案の定インスタストーリーに足跡は付いてもDMは来ない。当たり前だ。私はもう寝るかあ、とスマホの画面を落として布団にごろんと横になり目を閉じた。まぶたの裏にはこの一週間食い入るように見つめた出馬表が浮かぶ。

 今週末は桜花賞だった。正直馬のことなんか金に四本足生えただけだと思ってた自分が、初めて好きになった馬が出る。そんで多分勝つ。前売りオッズは一倍台の断然一番人気。ラッキーライラックはそういう馬だった。

 去年の12月。受験前なのでG1しか見せてもらえず、イライラしながら、それでもわくわくしながらテレビの前に陣取った15:30。たった1600mのレースで、私はその栗毛の馬に心奪われた。最後の数百メートルで全てを抜き去ったその姿に、割とそのとき崖っぷちだった自分の成績を重ね合わせて夢見ちゃったりなんかして、少し感傷的になってしまったのかもしれない。競馬は元から好きだけど、大学生になって馬券を買うなら、ラッキーライラックを絶対に買いたい、なんて思ったのだ。そんなこんなで、彼女の末脚よろしく、なんとか成績を上げて第一志望に合格して今に至る。

 意識が遠のき始めた頃合いで、枕元に放り投げていたスマートフォンが振動した。誰だよ、と悪態をつきながら画面を起動する。

『WINSってやつ、俺も一緒に行っていい?』

 思わず飛び起きた。



「エッ、礼央さん、女の方だったんですか?」

「……何、あんた」

 駅前での待ち合わせに五分遅れてきた私に、男は遅刻を咎めるより先に、驚いたような顔でそう言った。

「あの、WINSが場外馬券売り場?って言うのは調べて知ってたんで、声かけたんですけど、まさか女の人だとは、知らなくて」

 黒いキャップに黒いTシャツ、黒いカーゴパンツの自分を「女の人」と形容されても居心地が悪い。男はと言うと、ミルクティーのような色のふわふわの髪で、長身を萎縮したように縮こめている。なんか私がいじめてるみたいじゃん。

「はあ、そうですか……じゃあ、競馬好きなの?」

 すっかり痛んでしまった金髪の先をいじりながら聞くと、怯えたように彼は答えた。

「いや、そんなに……あ、あれは知ってます。ディープインパクト」

「……マジで何で来たの?」

「友達がほしくて……近かったので、よく知らないけど、勇気出してきてみたんですけど」

「いたのはガラの悪そうな女ひとりでビビってるわけね。まあいいわ。そろそろメインレース始まっちゃうし、行こ」

「め、メインレース?」

「桜花賞!そんなことも知らないのかよ」

「ごめんなさい……」

 G1の日は、WINS内もやっぱりかなり混雑していて、私たちは人いきれの中をもみくちゃになりながら、自動券売機まで歩いた。

「あんた前情報とかなんもないんでしょ?競馬新聞とか読んでもたぶん意味わかんないよね」

「そ、そうですね」

 雑音に負けないように自然と大声になる。自動券売機の前で立ち尽くしてしまった男──たしかakinaというアカウント名だった──は、はじめての場所で女に恫喝みたいな話し方されてすっかり萎縮していた。

「じゃあとりあえずラッキーライラック軸にしときな。絶対勝つから。もう実質高金利な銀行よ」

 もう数十分後にはやってくるだろうラッキーライラックの戴冠を想像しながら私がそう言うと、アキナは少しだけ困ったように笑い返して、財布から五千円札を取り出した。



「まさかあんなことになるとはね……」

 メインレースが終わってから早々にWINSを離れ、近くのベンチに腰掛けた私たちは、揃って青空を見上げていた。

「アーモンドアイでしたっけ?すごかったですね」

「いや、二番人気だったから荒れたってわけじゃないけどさ……ラスト400mの時点で正直これはもらったと思ったのになあ。なんか、いつの間にかさあ」

 はあ〜、と二人して同時に大きなため息をついた。馬単で買っていたので、何もかもを外した。アキナはというと、あろうことか五千円全てをラッキーライラックの単勝にぶち込んでいたので、一文無しだ。

「……ごめんね。テキトーなアドバイスで外させちゃって。てか電車賃ある?帰れる?」

「あ、定期あるんで……」

「ならよかった。ほんとごめんね、付き合わせて。あああ〜〜〜何がラッキーだよもう」

 ムシャクシャしてつい大きな声が出た。アキナは慌てたように「あの、でも、楽しかったんで」と言う。

「いーよ気使わなくて」

「いえ、ほんとに。なんで、次もジーワン?ある時はご一緒したいです」

 にこ、と笑ったその顔は、本当に本心っぽかった。五千円擦った直後にこんな風に笑えるなんて、めっちゃ変わってんなあと思った。同時に、おもしれえやつだなあとも。

 それからというもの、G1レースがある週には、インスタストーリーで「散財しに行くぞ」とそれだけ私が投稿して、アキナがDMしてくるというのがお決まりになった。競馬なんてひとことも言っちゃいないのに、アキナは決まって「今週は勝ちますよ!」と言ってくる。そんで二人で馬券買って爆死する。二人だけのクソみたいな週末の合図だった。

 アキナに彼女ができたことを知ったのは、中山までスプリンターズSを見に行った帰りの電車でのことだ。九月末。夏休み明け。私が夏競馬で散財している隙に、G1しか見ないアキナは男をあげていたというわけだ。

「まあでも今日は、春秋スプリント連覇なんて良いもん見れたよなあ」

 正直私にとってアキナに彼女がいようがいまいがどうでもよかったので、久々に当てることができた今日のレースのことに話を戻した。しかし彼は、謎に神妙な顔をしたまま、話に乗ってこない。

「どうした?」

「彼女が、もう礼央さんとは会うなって」

「は?」

「なんで日曜はデートしてくれないのかっていうから、正直に話したら、浮気だって」

「は?お前が?私と?ないだろ」

「でもわかってくれないんです!」

 車内の視線がアキナに吸い寄せられる。気の小さい彼はすぐに縮こまった。逆にいえば、そんな彼が大声を出してしまうほど、切羽詰まっているのだ。

「……じゃあ、次のG1、彼女も連れてくれば?」

「え?いいんですか?」

「いいよ。秋華賞は京都だけど。逆に秋の京都旅行って連れ出せば、彼女も喜ぶだろ、知らんけど」

「でも」

「いいから。彼女も見ればわかんだろ、私たちがそう言うんじゃないの。お前、有馬記念楽しみって一丁前に言ってたじゃん。生で見に行きたいだろ」

 競馬場でだけ会おう、あとは秋の京都で二人きり、よろしくやってろよ。と付け加えると、アキナは照れたように笑った。



「礼央さんこんにちはぁ〜!」

 10月24日。京都競馬場にアキナとともに現れた女は、白とピンクのふわふわのワンピースを着た、目のでかいマイメロみたいな女だった。

「どうも」

「競馬場なんてわたし初めてで、アキくんに聞いても行けばわかるの一点張りで」

「ああ、こいつもよくわかってないんで」

「そうなの〜?」

「うん、いつも好きな馬を応援してるだけだから」

 やべ、マジで帰りてえ。よりにもよって一番苦手なタイプの女を連れてきやがったアキナを私はじっと睨む。

「とりあえず、馬券買いに行く?」

 アキナが慌てたように話を前に進める。彼女の前でもこんな風に縮こまってんのこいつ?ほんとにこの女といてお前楽しいのかと背中を殴って問いただしたくなった。

 馬券を各々買って、ホームストレッチがよく見える場所に陣取る。まだ前のレースが行われているところだった。

「礼央さん、何買ったんですかあ?」

 女が話しかけてくる。私を目の敵にしていたんじゃなかったか?聞いていた話と違う。ボサボサの金髪や真っ黒という女っ気のない服装を見て警戒をといたのかもしれない。だったらもう今日の目的終了じゃん。別で観戦しちゃダメか?

「礼央さん?聞いてますう?礼央さあん」

「あ、ああ。ラッキーライラックの応援馬券かな。あとは馬連が少し」

「へー」

 女は自分から聞いてきたくせにあんまり興味なさそうに相槌を打った。アキナは「ラッキーライラック!」とうれしそうに話に入ってきた。

「礼央さんほんと好きっすよね!」

「まあね。もうこいつは買うしかないの。予想とかじゃなくてさあ。勝った時買ってなかったら後悔する、そういう馬だから」

「そう。それで俺、桜花賞は手持ち全部飛ばしたんだよ!」

 アキナが急に盛り上がり始めた私たちを見て、ぽかんとしている女に説明するように付け加える。

「でもアキナくん……」

 女の高い声をかき消すようにファンファーレが鳴る。手拍子が鳴り響く。「はじまる!」とアキナがわくわくしたような瞳で叫んだ。


『アーモンドアイ、アーモンドアイです!この馬は、三冠すらも通過点──!』


 まあ正直わかってた。今日もアーモンドアイが勝つことくらい。ラッキーライラックは来ない。それでも私は彼女を買うことをやめられない。もはや意地だった。

「っあ〜外れたけど良いもん見たな!」

 最終直線。アーモンドアイは突き抜けた。白いシャドーロールが大外ぶち抜いてすっ飛んでくるのは、今年何度も見た光景で、正直食傷気味ではあったけれど、まあそうですよね、と半ば諦めに近い気持ちで目の前の光景を受け入れていた。ラッキーライラックは生涯初めての、馬券外に沈んだ。

 ウイニングラン中の三冠女王から視線を外し、なあ、と隣のアキナ……とマイメロ女を見やる。

「ねえ、礼央さん!私当たったよ!アーモンドアイちゃん、名前がかわいいから選んだの!アキくんと一緒に選んだの!」

 そう言って女は5000円の単勝馬券を私に見せた。アキナは隣で、罰が悪そうにヘラヘラ笑っている。

 あ、こいつ──

「京都って何がおいしいの?礼央さん、よく競馬場くるなら知ってる?」

「もういい」

 思ったよりも険しい声が出て、自分で驚いた。アキナはキョトンとしている。マイメロ女は目を、大きな目を、ちょうどアーモンド型の、形の良い瞳を、ぱちくりと見開いている。そうだ、こいつが似てるのはマイメロじゃない。こいつのこと苦手なのは──

「もう来んな、さっさと行けよ。ホテルとか、なんか」

「まって、礼央さん!」

 私が何に怒っているのか気づいたアキナが、とっさに私の腕を掴む。メインレースが終わってぞろぞろ引き揚げていく人ごみの中で、私たちだけが川の流れの中の岩みたいだ。

「うるせえ。もういい。もういいわ本当。私がたのしくねえんだよ。有馬記念の日はクリスマスデートしてやれよ、普通に。それがふつうだから!」

 私はアキナに、とっさに右手に握りしめていた馬券を投げつけた。ラッキーライラック単勝5000円。馬連なんか買ってない。こいつが来なきゃ終わりの馬券。馬鹿みたいな博打の張り方。桜花賞のあの日から、ラッキーライラックはこうやって買うと、そういう暗黙の了解があった。

「嫉妬してんの?」

 マイメロ女が高い声を張り上げて言う。私は答えずに駆け出す。嫉妬?冗談じゃない。そのでかい目は節穴なのかよ。

 ただの友達だった。本当にそれだけなんだ。一緒に馬鹿みたいなジンクスで、馬鹿みたいな散財して、それだけでよかったのに。失恋なんかじゃない。それなのにどうして負けた気がするのかわからなかった。



 2020年11月15日。ラッキーライラックはエリザベス女王杯を二連覇した。

 その二週間後、アーモンドアイはジャパンカップで無敗の三冠馬二頭を蹴散らし、G1最多勝利の金字塔を打ち立て、華々しく引退した。スポーツニュースでは、美女の瞳の名を冠した最強馬を大いに称賛した。

 コロナ禍だったから、就活の忙しい時期だったから。競馬場に行ける目処は立たなくって、インスタのストーリーには何も投稿しなかった。もとよりその合図に、答えてくれる人間はもうどこにもいなかった。


ライラック 花言葉 友情・青春

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ラッキー・ライラック 不知恋舟 @mofumofu_moffu

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