4分33秒

無為憂

 

 私は今、四分三十三秒を歌っている。歌詞はない。旋律もない。ただ、四分三十三秒を歌っている。一段とひっそりとした自室の中で、私は全力で歌う。それは最適な歌だからだ。

 「レーゾンデートル」というボーカロイドが発売されて一年経つ。

 私の声を象ったボーカロイドだ。機械音声の機械じみたところを技術的な進歩で解決しようという試みのもと、開発された。

 より人間らしく──、より扱いやすく──。

 それがボーカロイドという枠組みを超えてしまったかどうかは、まだ発売一年程度の歩みでは測りようがない。

 しかしここ数年の私の話なら。

 高校生の頃に歌い手の活動を始めた。気軽にカラオケが出来るアプリでの歌唱投稿や「歌ってみた」の投稿をひっそりと行なっていた。それはどこで注目されるわけもなく、本当にひっそりと……プラットフォーム上で少し話題になるような、高校生の些細な非日常気分のものだった。

 しかし何の為かある人に声をかけられた。その人は島田さんという人で、メガネで理知的で気さくで、けれど全く心のうちが読めない人だった。

 島田さんが言うには、「あなたの声で、曲をつくりたいんです」「曲、と言ってもそれを作るのは僕たちではありません」「名前も知らない誰かに、あなたの声をすきになってもらって作るんです」

 私は何事か、と思った。ボーカロイドのベースとなるサンプリングにあなたが必要になる、という話はわかっていた。わかっていたけれど、島田さんの言う理想像というか目指しているものが私にはピンとこなかった。

 私が使われる人間になる。それもメジャーな歌手を起用したというのならまだしも、無名の私に。

 「レーゾンデートル」のパッケージに描かれるキャラクターは、ユキというらしい。島田さんの発案で、キャラクターをつけることになった。本当はしたくなかったんだけど、そう渋る様子を見せながら「プロモーションの関係でね。プロデューサーが言うんだ。僕はレーゾンデートルそれにイメージは要らないって言ったんだけど」

 ちなみにユキのイメージカラーは紫らしい。完成したキービジュアルを見せてもらったが、紫の衣装に身を包んだ、私とはかけ離れたかわいい女の子だった。

 初めての島田さんとの打ち合わせで、私は一つ問うた。

「『レーゾンデートル』が発売されると、私は活動できなくなりますか?」

 受験生になりたてだった私はそんな心配を携えて、初めて話す社会人の男を伺った。

 いくら無名といっても認知している人は少数いた。当時は、その人たちを裏切ることになってしまうのが怖かった。ファンだけでなく歌い手仲間にも何も知らせずに消えてしまうことになる。

「そうだね……」

 まるで考えてなかったとでも言うように、島田さんは考え込む素振りを見せた。それは今になってみればわざとやった行為だったのかもしれない、そう勘繰ってしまう行為だった。島田さんは、私が気づかないとばかりにやり過ごそうとしたのだ。

「私はもう少し歌っていたいんです」

「わかった。君の歌唱力はたいしたものだし、同時にデビューできるよう調整してみるよ」

 メガネの位置を直して、島田さんは薄らと笑みを浮かべた。

 それからは多分、一般的なデビューコースと一緒だ。普通と違うのは、それにサンプリングが追加されたことくらいで。

 クセのない歌い方をしてください。ボイストレーナーの先生に何度も口を酸っぱくして言われる。

 クセのない、と言われても十数年間その歌い方を続けてきた私にとっては難しい話だった。難しい、とても難しい話だった。だって楽しくないから、だって気持ち良くないから。

 サンプリングされたデータをもとに、メロディーを奏でるところを一度だけ、島田さんの傍で聞かせてもらったことがある。

「ゆ め の〜」

 と適当な歌詞をもとに「レーゾンデートル」が歌う。

 上手いなー、と思った。声のブレがない。それがないだけでこんなに聞き違えるのか、そう思った。確かに私の声だ。正確には、私の聞いている声ではないけれど、ボイストレーナーが聞かせてくる「録音した私の声」そのものだった。

「ゆめの〜」

 私も「レーゾンデートル」に倣って似たようなリズムで歌う。

「──やめてくれ」

 きつい口調だった。心底耐えられない、といった感じで私を止めた。

「もう少し、機械感をなくしてくれないか? ほら、今歌ったみたいに」

 私の方を指して、島田さんはそれにあうように調整を求めた。いやこれはあくまでサンプルのサンプルなので、とスタッフさんは言ったが、

「こんなんじゃダメなんだ」

 あまり納得していない様子は変わらなかった。

 何回目かの打ち合わせの時、私はある質問をした。

「私のデビューは、このユキって子をモデリングしたVRシンガーってことになるんですか?」

 島田さんは、一度見せたあの考えているフリの顔をした。これで騙せると思っている島田さんおかしいだろ、と私は思っていたけれどその時は常に島田さんに対して猜疑心を抱えていたから見るもの全てをそう思っていたのかもしれない。

「なんでわざわざ……。ユキになりたいのか?」

 何かを思いついたとでも言うように、島田さんは私を見た。度重なる打ち合わせやボイトレの指示で、島田さんは私に強い執着を覚えているのを感じていた。私も私で、利用出来るだけマシな人間として考えていた。

「その方がやりやすいと思ったんです。私が歌うにも、島田さんのやりたいことにも。だって、『レーゾンデートル』は『レーゾンデートル』。私とは関係ないんですから」

 ちゃんと考えれば、それが私の首を締めることだったというのはわかったはずなのに。その時の私は、がんじがらめの状況の中、必死の打開策を打ち立てられたと思っていた。

「そうか。関係ないもんな」

 島田さんも島田さんで、ニヤリと合点のいった笑みを浮かべて、私を褒めた。それは初めて会った時以来のことだった。

 「レーゾンデートル」のキャラクターイメージであったユキをVRシンガーとなる私のガワとして使う。その方向に切り替わったことで、「レーゾンデートル」自体にビジュアルはつかなくなったけれど、それと同じ声を持つ私がデビューすることで後からでも等式は成立してしまう。

「プロデュースの方向としては──」

 私の提案が通って、数日。各所で話を通していく中で、明確な日付が出てきた頃。

「この前の話の通りになった。デビューは『レーゾンデートル』と同日。しかし、発表は別で。わざわざ被せることもないしな。お前はお前、ボーカロイドはボーカロイド」

「ありがとうございます」

 あの時の感情を私は覚えていない。確かに島田さんに感謝の言葉を言ったことは覚えているのに、どんな胸中だったか、覚えていない。でも私の未来が決まった瞬間でもあったから、ほっとした気分だったのはなんとなく想像がつく。

 有名になれるチャンス? 私はひっそりやっているだけで十分だった。一介の高校生には重すぎる話だった。


 四分三十三秒を歌い切る。私はごくごくとミネラルウォーターを飲んだ。ユキというVシンガーが脚光を浴びたのは一時のことだった。そもそもパッケージのビジュアルであったことから簡素なデザインで、これといって目を引く特徴のないユキが数多いるバーチャル界隈で人気をとろうとしていたこと自体、無理な話だったのかもしれない。

 母から夕食を伝えるラインが入った。私はそれにスタンプで応じる。

 「レーゾンデートル」が発売された直後は、静かに話題になった。それから島田さんの目指す理想が客層に伝わって、「人を超えたボーカロイド」だの「これが技術の進歩か!」と持て囃された。売れ行きは順調に伸びていったし、時代を作るボーカロイドと言われもした。しかし、ユキがダメだった。同時にデビューし、声質もわかりやすいほど同じ人物としてすぐに発見されたが、ユキは人間だからダメだった。

 私の声には多くのファンがついた。島田さんの言うとおりだった。けれど、ユキにファンはあまりつかなかった。古くから応援してくれている人も私のことを認知すると、エールを送ってくれた。が、私は今個人でやっているわけではないし、全てスタッフのチェックがついた。お返しも勿論できなかった。

 「レーゾンデートル」はストーリーがないのがよかった。消費者が創るものに無駄なものは要らない、これも島田さんの言う通りだった。

 じゃあ、私の存在意義とは?

 リビングに用意されたカレーをスプーンで掬いながら、私は母を見詰めた。視線に気づくと、何も言わずに、少しだけ笑った。美味しいよ、と私も少しだけ笑った。

 「レーゾンデートル」とは存在意義、存在理由という意味らしい。

 ユキはYouTubeでカバー曲やオリジナル楽曲を発表している。

「最近、『レーゾンデートル』で創られた曲が増えてきて嬉しいよ」

 鼻高々にそう話を切り出して、それで、と言葉を紡いだ。

「ユキは全然伸びないね、ダメだ」

 島田さんの言う通り、私が歌うと、埋もれてしまう。「レーゾンデートル」には何人も創って投稿する人がいる。けれど、私は私で、一人しかいない。

「じゃあ、これから収録だけど、頑張って」

 そう言い残して、島田さんは別の仕事に行ってしまった。

 その日から私は声が出なくなった。


 実質的な活動休止となったユキが日の目をみることはもうないだろう。私はこの世界では存在理由の無いいきものだ。日々物を食い、便を垂れ流すだけの。

 私はパソコンに向かっていた。日課の「レーゾンデートル」の曲を探して聴く。

 私は歌っていないのに、それは歌っている。私の知らない曲なのに、歌っている。

 嫌いな曲はいっぱいある。「レーゾンデートル」に歌わせるな。ダサい。やめろ。


 一応、「レーゾンデートル」自体のソフトは持っている。第一線で見てきたおかげで、音楽理論も少し身についた。こんなに憎たらしい気持ちになるのなら、私が創ってやろうじゃないかという気持ちがないわけでもない。でもさ、それが私の慰めになるのか? 慰めになってしまうのか?


 既に、途方もない月日が経っている。ユキの活動日数は二ヶ月ほどだし、私が私であったことなど忘れ去られている。

 なら気にする必要などなくて、気にしてなどいられなくて、私の代わりに四分三十三秒を歌ってもらうべきなのでは。

 私は押し入れにひっそりと置かれていた箱から中身を取り出した。顔の見えない相手、私はパッケージをなぞった。島田さんの薄らと笑みを張り付かせたあの顔が浮かんできた。

「『レーゾンデートル』がお前を壊したんだな」

 勝手に全てを知った気になる歌い手の友達のラインを見返して、私はこいつを利用しようと思った。


 曲自体は一週間ほどで出来た。発表の場は、その友人に頼んだ。友人に歌ってもらうパートはたっぷりと用意していて、彼という存在が「レーゾンデートル」に混じるたび、私はゆっくりとそれを穢していく感覚で満たされて、癒されていった。


 お披露目の日、曲を作っていく過程で少しずつ声が出るようになったのに、未だに私は歌えなかった。穢すために、存在意義を殺して創った、それだけの為の曲。

 流行りの「レーゾンデートル」で曲を作ったおかげで、楽に再生数は伸びた。もとの友人の歌い手の人気もあって、「レーゾンデートル」の代表曲になっていく。


 声が出るようになって、私はユキの活動を再開した。基本、今までと活動方針は変わらないけれど、「レーゾンデートル」で創られた曲をカバーしていくことが増えた。

 人気な曲をしらみ潰しに、私の好きな曲を中心にカバーをしていった。

 そして、ようやく、不自然にならないタイミングで私の作った曲の順番が回ってくる。

 島田さんも私が作ったことは気づいてない。というか、私が復活を遂げたことが気に食わなそうな表情も垣間見せるから、絶対気づかないだろう。

「この曲、デュエットじゃないか。どうするんだ?」

 私の選曲が悪いみたいに、少々咎めるような言い方で訊いてくる。

「この曲は、『レーゾンデートル』と一緒に歌おうと思うんです」

 島田さんが、ほおと言った顔になる。

「わかった」


 レコーディング当日、二度と立てないと思ったところに私は立っている。

「じゃあはじめまーす」

 私の作ったイントロが流れる。私の歌ったボーカロイドが歌い出す。全て、私から出たものだ。私を食った「レーゾンデートル」は、今命令通りに歌っている。ヘッドフォン越しに伝わる無機質なはずなのにどこまでも人間的な歌声に、そこに意思は存在しない。

 私の存在意義とは何か? 必死に考えた。性能で全て私の上を行く「レーゾンデートル」がいれば、私は要らないんじゃ無いかって。

 けど、曲を創り始めて私は気づいた。

 私の歌うパートが迫って、大きく息を吸う。

 あの日、島田さんに怒られた、レーゾンデートルの旋律をなぞることをそのまま行う。

 自由に、私の歌いやすいように、気持ちよく、伸び伸びと。サビにだんだんと近づいていく。

 そして──、サビ。私は歌わなかった。大人たちは完璧に重なった歌声だと思い込んで、今だけは気づかない。

 私は、四分三十三秒を歌える。私がレーゾンデートルに負けることなんて何一つない。

 “それ”は歌わない、ということだけはできないのだから。





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4分33秒 無為憂 @Pman

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