ライドさんの気まぐれ旅

針機狼

プロローグ 鋼の狼との出会い

 薄暗い森の中、少年は迷いながらも全力で走り続ける。


 ハァハァハァと息を切らしながら、まだ幼い自分の身体に鞭をうち、休む事も許さずに走っていた。


 もうどれくらい走って居ただろう、森に入っていた時は日が上り初めていた時間だと言うのに既に陽光は地上からでは殆ど見えない位置にまで来ている。


 体力も既に限界に近い程まで迫っていて、足元もおぼつかない。


 それでも足を止める事は出来ない、何故なら止めれば恐ろしい目に合う事を少年は知っているからだ。


 だから逃げる、逃げる、逃げる。


 背後からずっと一定の距離以上離れない様に付いてくる影から逃げ続けた。


 だが、それももう直ぐ終わりを迎える。目の前に明かりが見えているのだ。


「やった、出口だ」


 少年は喜びから少し気を抜いてしまう。それが終わりの合図だった。


「え」短い疑問の言葉、それを言い終わる前に、この後の展開を全て察してしまう。


 足先に何かがぶつかる感触の後、バタン、防ぐ間もなく顔を地面に打ち付けてしまった。手で防ぐ事すら出来ず逃げ続けて走っていた勢いのままぶつけてしまう。


 幸い、地面には大量の落ち葉があったお陰で、それ程大事には至らなかったが少年が絶望するには十分だった。


 恐怖に顔を歪ませながら身体を起こし、振り返る。


 影は外から差し込む僅かな光すら遮るかのように、目の前で仁王立ちしていた。


 影が腕を振り上げ、少年に向かい振り下ろす。


 終わったと思った。今まで生きて来た10年があっという間にあの拳で無意味になる。


 まだまだしたかった事は沢山あったのに、両親に恩も返す事すら出来ていなかったのに、ここで、こんな所で終わってしまう。


 心の中で、両親に謝る。『お父さん、お母さん、ごめんなさい』


 目前にまで迫る、影の腕に死を覚悟する。


 だが、やはりこのまま潔く諦めきれる程少年は大人には成れなかった。


 僅かな希望にすがる。御伽噺に出てくるような英雄が現れてくれる僅かな望みに掛けて、全力で腹の底から今まで出したことの無い程の大声。


「誰か、助けてー」助けを呼ぶ必死の叫び。


 その言葉を嘲笑うかのように影の振り下ろす腕は眼前まで迫る。


 少年は思わず目を瞑り最後の時を待つ。だが、その最後の時は一向に訪れなかった。


 もしかして痛みを感じる間すら無く死んでしまったのだろうか、そう思い瞑っていた瞼を開ける。


 瞼を開けて初めてみた色は血のような赤、何処からでも目を引く程の赤黒い髪、まるで後から付け加えたかのように生えている獣の耳と尾が、目の前にいつの間にか居た人物が人間では無い事を理解させる。


 いや、耳や尾が無かったとしても、その人物を人間とは思えなかっただろう。


 何故なら、赤黒い髪を持つ目の前にいるそいつは片手で影が繰り出す攻撃を平然と受け止めているのだ。


 自分の村にいる大人達が束になっても勝てない程の化け物の攻撃をたった一本の腕で受け止めたまま、赤黒い髪の人物は顔だけこちらに向ける。


「良かった、どうやら間に合ったみたいだな」


 赤黒い髪の人物は少年を見てそう言った後、影の方に向き直り、受け止めている影の攻撃を意図も容易く跳ね除けた。


 そして、怯む影をよそに何処からか出て来た人一人程の大きさの両手剣を背中で構え、身体全身を捻る。


 そして怯んだ影がようやく立ち直した瞬間、風を斬る音と共に赤黒い髪の人物が動く。


 捻った全身を回転させて両手剣を振り回し、影に向かい攻撃する。


「金剛斬」


 短くもはっきりとした声で、赤黒い髪の人物がそう叫ぶと同時に両手剣の刀身が光り、岩よりも固いと言われる影を意図も容易く真っ二つに両断した。


 少年はそれを見ていた。目に焼き付けるかのように、固まってじっと見ていた。


 そして、一刀両断した影の身体が崩れ、遅れて大量の血しぶきが辺り一帯に降りかかる。


 赤黒い髪の人物は全身を血で濡らしながら、にっこり笑顔でこちらに振り返り近付いて来る。血で染まるその笑顔は、先程の化け物以上の迫力があり、恐怖を感じさせて、そして少年はパタンと気を失う。


 緊張の糸が切れたからなのか、それとも目の前にいる化け物以上の存在に恐怖を覚え、思考が止まってしまったのか、少年はそのまま全身を脱力させたまま横になってしまった。


 気絶してしまった少年に集まる様に、赤黒い髪の人物の仲間達が寄って来る。


 ******


「おーい、おーい起きろ少年」


 聞きなれない誰かの声が聞こえ少年は目を覚ます。眼前には銀髪赤目の少女がそこに居た。


「あ、起きたぞライド」


 少女はそう言うと誰かに報告するかの様に部屋を出て行った。


 横になっていた様で起き上がるとそこは見慣れた少年の部屋だった。無造作に積まれた本の山、毎日振っている木剣、しわくちゃになったカーテン等々、見慣れた自室に居た事に安堵すると同時に、自身の服に付着している大量の血痕が気を失う前に見たものが夢で無かった事を告げる。


 そのまま返り血を眺めていると、ドタドタと足音が聞こえて勢いよく扉が開き両親が入って来る。


「トウヤ、無事なのか、何処か痛い所はないか」


「あぁ、貴方が無事で良かった。お願いだから心配掛けさせないで」


 両親共に入って来るなり、そんな言葉を掛けて抱き着いてきた。


「お父さん、お母さん、僕生きているの」現実味がまだ湧かずそんな言葉を二人に投げかける。


「あぁ、あぁ、この人達が助けてくれたんだよ」そう言って父は後ろを振り返る。


 そこには、先程の銀髪赤目の少女が立っていた。


「あれ、他のお二人は?」父が少女に不思議そうに尋ねると、少女は少し困った表情を見せる。


「あー、えーと、その、此処に居たら邪魔になるかなと思いまして、隣の部屋に」


「邪魔なんてそんな、あなた方は息子の命の恩人なのですから、遠慮など成されずに」


 母がそう少女の方に向かいそう言うと、扉の向こうから声が聞こえて来る。


「ほれ、ライド、少年の母親もこう言っていることじゃし。いじけて無いで、顔を出しに行くのじゃ」


 大人びた女性の声が聞こえ、何かを引きずる音と共に黒髪の女性が入って来た。


 その女性に引きずられる様に、赤黒い髪の人物が部屋に入れらる。


「どうせ、僕は……」とかブツブツ言う赤黒い髪の人物からは、血塗れで笑顔を向けられた時の恐怖や英雄の様な威厳は感じ無くなっていた。


「ほれ、ライドよ、皆が見ているんじゃぞ、シャキッとせんか」黒髪の女性は赤黒い髪の人物にそう言って、背中を叩く。


「痛っ、何するんだよスオウ」ライドと呼ばれた赤黒い髪の人物は、口元を尖らせて黒髪の女性に不満そうにそう言った後、周囲を見渡して少年と目が合った。


 そして赤黒い髪の人物はバツの悪そうな顔をした。


「……?」少年は赤黒い人物のその反応に首を傾げる。


「トウヤ、この方達が貴方を森の中から連れ帰ってくれたのよ」母は少し涙を流しながらそう言い。父は抱き着くのを止め三人に向かい頭を下げる。


「改めて言いますが。この度は、息子を救って頂き本当にありがとうございました。本当にありがとうございます。少ないですがどうか受け取って下さい」


 父は懐から金袋を取り出して、三人に向かい差し出す。


 だが、不思議な事に三人ともそれを受け取ろうとはせず、困ったような顔をした。


「あの、もしかして、少なかったでしょうか。でしたら、村長に頼んで……」


 父の言葉を遮る様に黒髪の女性が言葉を挟む。


「別に金など要らんぞ。報酬ならもう貰って居るしな」


「それは、一体どういう事でしょうか」


「そのわらべが追われていたあれこそが我らの目的じゃからな。むしろそこのわらべを助ける方は単なるおまけじゃし、お主らが気にする必要も無いと言う事じゃ」


「そう言う事なので、少年の無事も確認出来ましたし。我々は宿に戻りますね」


 そう言い残し三人は部屋を出て行く。


 部屋を出ていく際に、赤黒い髪の人物はバツの悪そうな顔のままどこか名残惜しそうに、他の二人に呼ばれるまで、少年の方を見ていた。

 

 少年はその様子を不思議そうに茫然と見続け、そして部屋には少年の家族だけがとり残された。


 翌日の朝、目が覚めて何時も通りの朝の光景を見た事で、ようやく少年は自分が助かったんだという実感が湧いた。


 正直、昨日は気が付いてからずっと、夢を見ている様な気分で茫然としてしまっていたが、結局助けてくれた相手に感謝の一言も言っていない事に気付いて、彼ら三人が止まっていると言って居た村の宿に向かった。 


 顔なじみの宿の主人に、お礼が言いたいと言って、三人の外見的特徴を話して部屋まで案内して貰う。


 部屋の扉に着き緊張から一息を呑み。コンコンと扉をノックすると「あいてるよー」と気の抜けた返事が返って来た。


「お邪魔します」と声を出しながら、扉を開けて少年が中に入る。


 部屋に入ると赤黒い髪の人物が一人だけが居た。


「何かようでもあるのか、二人なら……」赤黒い髪の人物は入って来た少年の顔を見た途端、言葉を失った様に固まる。


 少年はそんな彼の様子を気にする事も無く、頭を下げて「あ、あの、昨日は助けて頂きありがとうございました」少年がそう言い終わると、赤黒い髪の人物が突然途惑い出す。


「え、僕が怖くないの」少年に向かい赤黒い髪の人物がそんな言葉を投げかけて来た。


「そんな、怖いだなんて思ってませんよ。貴方は命の恩人なんですから」


 少年のその言葉に、赤黒い髪の人物は何か心配事が片付いたかの様にホッと胸を撫で下ろした。


「そっか、良かった。最初会った時、突然倒れたものだから怖がられたんじゃないかって心配しちゃったよ」


 少年は赤黒い髪の人物が心底安心した様子でそう言うのを聞いて、本当は血塗れで笑顔を向けられた時、とても怖かった事は言わないでおこうとひそかに決める。


「そう言えば、自己紹介がまだだったね。ライド・S・クラウンだ、気軽にライドさんとでも呼んでくれ」


「僕はトウヤです」お互いの名前を教え合った事で、自然と少年トウヤと赤黒い髪のライドは最初の緊張等無かったかの様に打ち解けていった。


 宿の部屋で二人お茶を飲みながらたわない話をする程に打ち解けたところ、話の中で少年はライドがこの世界の彼方此方を旅している事を知り、少年の興味はライドの旅して来た話になっていった。


「ライドお兄さんは、どうしてそんなに彼方此方を旅しているんですか?何か目的とか有ったのですか?旅して楽しかった事は何ですか?」


 畳みかける様な少年の言葉にライドはたじろぎ出す。


「待て待て、そんな一遍に聞か無くたって教えるから。落ち着けって」


「す、すみません。僕、旅に憧れていて、旅人の方から話を効けると思うとつい興奮しちゃって」少年は恥ずかしそうにしながらそう答えた後、ライドからの返事を待つ。


「そうだな、取り敢えず順番に答えて行くけど。あちこち旅している理由は、観光かな」


「観光?」少年はライドの答えに疑問を抱く。昨日の化け物とも戦わなくてはいけない様な危険な旅を観光の一言で済ませたライドは人に言えない隠し事でもしているんじゃないかと思ってじっと見つめながら続く言葉を待つ。


「彼方此方に旅して居るのは観光だから、正直目的の方も今となっては同じになるのかな。美味しいもの食べたり、見た事も無いものを見に行ったりしてるからね」


 ライドのそう語る姿からは、先程疑った隠し事をしている様には感じなかった。


 それどころか、今までの旅が全て楽しかったとでも言う様な自然な笑顔をこちらに向けて話しかけて来るのだ。


「今はって事は昔は別の目的だったんですか」


 ライドが目的を語る際に言った一言が気になって、少年がそう尋ねると、ライドは一瞬だけ表情が暗くなった後、再び笑顔で答える。


「そうだよ。最初は他にやる事も無かったから人探しをしてたんだ、旅の途中で何回かコロコロと目的は変わったけど、今はそれが観光に成って居るってところかな」


 少年はそこまでライドの話を聞き終わると、旅の中でライドがどうして目的を変える事になったのかが気になりだした。


「それから旅で楽しかった事と言えばやっぱり、クレ…」


「ライドお兄さん」突然少年が食い気味な姿勢をとって、話を遮りライドの名前を呼ぶ。


「な、何、突然どうしたの」


「最初から聞かせて下さい」


「へ?何を」


「今までの旅の話、最初から聞かせて下さい」少年は目を輝かせながら、ライドにそう言った。


「最初からって、結構長くなっちゃうしつまらない話も有るよ」ライドは少し困った様子でそう言うが、少年は尚も目を輝かせている。


「それでも構いません。僕、ライドお兄さんがどうして旅の目的を変えたのかが知りたいんです」


「そ、それじゃあ。旅の目的が変わった理由のところを…」


「最初から話してください。ライドお兄さんが旅を始めた切っ掛けのところから知りたいんです。お願いします」


 少年は目を輝かせたまま、頭まで下げる。


「わ、分かった。話す。話すから頭をあげてくれ。こんなところあいつらに見付かったら面倒だからさ」


 ライドは慌てた様子で少年願いを聞き届ける事にした。


「まったく、なんで最初からにこだわるんだか」ライドは少々文句を言いながらも冷めたお茶を変え始める。


 それを身ながら少年は何処からか取り出した、紙の束とペンを机の上に置きだした。


「それは」突然の行動にライドが不思議そうに尋ねると少年は再び目を輝かせる。


「だって、貴重な旅の話なんですから記録しないと」


 少年は自身の唯一の楽しみを準備し終え、お茶の用意を終えたライドが旅の話を語り出す。


「最初に言って置くけど、流石に全部詳細までは覚えて居ないからな。取り敢えず印象に強く残って居る話だけ言うよ」


「それでも構いませんので、早く話してください」


 少年はライドの話を聞きたくてうずうずしながら、早く話す様に促す。


「そうだな、最初からと言ったらやっぱり、工房に居た頃の話からだろうか…………」


 こうして、愉快な話、悲しかった話、困難に立ち向かった話、ライド自身の憶えて居る限り旅の記録を少年に語る。


 これは一匹の旅人が語る過去の記録、もう覆す事の出来ない思い出。それでも明日には笑って生きる事を選ばせた彼ら彼女らとの出会いの記録。

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