第十七節 ゆめ走りて

 凪村を後にした登子達は、轍国国境を渡り、王城に近づいていた。道中、敵兵が襲いかかるも登子がこれを撃退。着実に魔騎難へと迫っていた。

 だが、仁はその事に懸念を感じていた。

「おかしいな…」

「…確かにそうね」

 登子もまた、直で露払いをしたからこそわかる違和感を抱いていた。

「弱すぎるわ。良くて下士官級の兵隊しかいない。わざわざ差し向けてくるにしては変よ」

「当然だろう」

 突如、聞きなれた声と共に、ブラックリブラがハヤカケの前に姿を現した。

「お前達が攻撃したのは兵でも何でもない、ただの市民なのだからな」

 違う。仁は悟った。普段のブラックリブラと口調も、放つ雰囲気も違う。むしろかつての燈花に近い。──まさか。

「魔騎難…!」

 ブラックリブラの恰好のまま、魔騎難は拍手した。

「察しが良いな。ならば今、己の言ったことがハッタリではないとわかるはずだ」

「あの歪みはそういうことか…!」

 リッキーは目を伏せて呟いた。凪村で襲いかかってきたレシーバーズ軍団。それは、轍国の人々が魔騎難によって姿を変えられてしまったものだったのだ。

 登子は唇を噛んだ。人々を守りたくて赴いたのに、まさかその人々を知らずの内に傷つけていたとは。

「一体どこまで人を弄べば気が済むの…!」

「逆恨みか?傷つけたのはお前達だろ」

「アホ抜かせ!」

 腸が煮え繰り返った義太郎は我慢ならず、登子のいる麒麟車の上へ飛び乗った。

「ひと様手の平で転がして笑とる奴が、いっちゃんアカンに決まっとるやろが!」

 青筋を立てる義太郎を前にして、魔騎難は涼しい態度を崩さない。

「面白い。実に奇妙な生き物が棲んでいるな、この世界は」

「あんさんほど奇妙な生きモンもおらんけどな。ひと様につらいこと強いといて笑えるんは、奇妙以外の何モンでもない…!」

 魔騎難は額を指で叩き、

「そういきり立つな。怒りはこいつらにぶつけろ」

 入道たち選ばれし近衛兵を手前に呼び出した。夢走を除く3体の近衛兵が登子、仁、義太郎に飛びつくや否や、それぞれ異なる色をした転移の炎に身を包まれ、その場から消え去った。

 一連の光景を目の当たりにししたハヤカケは魔騎難に向かって構え、荒い鼻息を出した。

「心配するな畜生よ。主人共は生きている。…今しがたは、な」

 薄く笑う魔騎難に我慢ならず、燈花は麒麟車から飛び出した。仇敵の名を吼え、殴りかかる。しかし、力なき今、その拳は指一本でいとも容易く止められた。

「足掻くな、醜い」

 魔騎難は燈花を蹴り飛ばし、ハヤカケにぶつけた。両者とも、地面に横たわる。その様子を見て魔騎難は呟いた。

「力が無ければ所詮こんなものだ」

 燈花の前でしゃがみ、魔騎難は髪を引っ張り上げる。

「『国寄せ』…随分たいそうな夢を見ていたが、無駄だったな。理想とは、現実(ちから)ありきのもの。何もないお前に抱く権利は無い」

 燈花の顔を炙ろうと、掌に炎を灯す。するとハヤカケが弱々しく、だが勇敢に嘶いた。

 魔騎難の眉間にシワが寄る。脳裏によぎる。守護獣の姿が。

「耳障りな奴だ」

 燈花の髪を離し、魔騎難はハヤカケの頭蓋を掴んで力を注ぎ込んだ。

 コアの急激な変質。本来、長い歴史をかけ、子孫に託しつつ行われるそれを、ハヤカケはわずか数秒の内に強いられた。

 肉が、骨が歪に変わり出す。蹄も歪む。激痛がハヤカケを襲う。

「耐えられるはずも無かろう、畜生のお前に!」

「やめなさい…!」

 ハヤカケから魔騎難の手を離そうと、燈花が魔騎難を羽交い締めにし、死力を尽くして引っ張る。だが、微塵も身体は動かない。

「言っただろう、無駄だと!」

 魔騎難の全身から炎が噴き出す。燈花の身が焦がされる。

「夢想の中で燃え尽きろ!」

 魔騎難の背後から炎の柱が突き出た。しかし、燈花を貫くはずのその柱は軌道を外れ、地面に刺さった。

「バカな…あり得ん…生命の耐えられる域を越えた力を注いだんだぞ!だというのに何故…畜生ごときが『変貌』できる!?」

 今度は魔騎難が蹴飛ばされる。燈花は自分が今見ているものを、すぐには信じられなかった。誰だってそうなるはずだ。先程まで横たわっていたはずの麒麟が、2本の脚で立っているのだから。

 肢体を漆黒に煌めかせ、黄金の毛を頭から垂らす。八百万の神に頂点があるのだとすれば、ここにいる者こそがそうだろう。そう確信できるほどの美しさ、雅な風貌だった。

「魔騎難、貴様に示してやる。力が理想を従えるのではない。理想が力を引き出すのだと!」


 白い炎に焼かれた仁が目を覚ますと、机の上に突っ伏していた。戸惑い、間の抜けた声が出る。

「珍しいな志藤、オメーが寝るなんて」

 聞き慣れた声の方を向く。遊月が教鞭を取っていた。仁の知る遊月よりも、外見は若かった。

「ジュンちゃんしっかりしなよ~」

「え」

 時が止まったような感覚だった。一瞬たりとも忘れたことの無い声が後ろから聞こえる。遊月が仁の真後ろの席に向かって歩き出す。

「オメーもな」

 遊月が教鞭で指したのは、仁が目で追った先にいたのは、間違いなく架純だった。

「架純…!」

 気づいたら立っていた。魔騎難がどうとか、ゾアがどうとか、全て吹き飛ぶくらいの勢いで立っていた。

 気づいたら涙がこぼれていた。何年かければ会えるのか。正直、気が滅入りそうだった。あての無い旅を始めた、たった一つの理由。願い。それが今、ここにある。

「どうしたの?ジュンちゃん…」

 架純が不思議そうに仁を見つめる。ダンスに邪魔だからと切った短い髪、ほとんど化粧を施していない素朴な顔、ブレイクダンスの練習でついた指の傷。そうだ。架純だ。ここにいるのは、架純なんだ。

 仁はそのまま泣き崩れ、授業から抜け出した。

 昼休み、保健室に架純が来た。手に持っているのは牛乳とフルーツサンド。

「…コッペパンは?」

「やだなぁジュンちゃん、私ずっと購買はこのセットだったじゃん。忘れた?」

 思えば、コッペパンが好物になったのは高校に上がる2年前、G・Aでレシーバーズになった日以降のことだった。あの頃からずっと、戦ってくれていたのだ。

 なら何故、いま架純はフルーツサンドを持っている?高校時代、他の食べ物を食べている所なんて見たこと無かったのに。仁は違和感を抱いた。

「ごめん架純、確認したいんだけど」

「何?」

「『レシーバーズ』って知ってるか?」

 架純は首を横に振った。

「何それ、新しいゲーム?」

 やはり。この世界にはレシーバーズがいない。あの炎はそういった平行世界にも人の意識を飛ばせるのだろうか。魔騎難は燈花の意識を乗っ取った。ならば、奴が精神に関する超常能力を有していても変ではない。

 いや、平行世界だとかそんな壮大な話ではなく、そもそも今までのこと自体が夢だったのではないか?考えてみれば変だ。得体の知れない化け物が現れて人を襲うなんて、それこそゲームの世界だろう。現実離れしすぎている。

「えいっ」

 そんなことを考えてシワを寄せる仁の眉間を、架純は指でつついた。

「難しい顔してちゃ、幸せ逃げちゃうぞ~?」

 朗らかな表情に和み、自然と笑みがこぼれる。

「聞いたようなこと言ってんなぁ」

「…何かあるんならさ、相談してよ。彼女なんだし」

 架純は仁の瞳を見つめて言った。

 そうか、俺達は付き合っていたのか。仁は納得し、確かめるために架純を抱き寄せた。この胸の高鳴りが現実かどうか、ちゃんと確かめるために。

 爽やかな香りが鼻を通り抜ける。華奢な体躯、柔らかな肌。間違いなく現実だ。

「現実だ…いるんだ…架純…」

「ここ学校だよジュンちゃん!?今日ホント変!」

 仁の突然の行動に騒ぐ架純だったが、やがて抱きしめ耳元で囁いた。

「…私はここにいるよ」

 放課後、仁と架純はゲームセンターまで足を運んだ。ゲーセン荒らしもすっかり懐かしい。様々なゲームセンターに立ち寄っては、ダンスゲームで新記録を叩き出していく。架純の趣味だった。

「今日もカンスト、いっちゃうぞ」

 架純は声を弾ませ、100円を入れた。

「しかし、いつ聞いてもエグいな」

 笑いながら呟く。画面の指示に合わせて、鮮やかなステップが繰り出される。仁はため息を漏らした。技への感嘆。それと、安堵。そして願望。この時間がずっと続けばいいのに。

──「滅!」

 ユニゾンギアを纏ったまま、仁の身体が里眼によって崖から落とされる。尚も仁は目覚めない。

「獏の者の能力、凄まじいの一言」

 里眼は小さくなる仁を見て呟いた。

「夢心地のまま死ねるなら、これ本望」

 傍から滝の流れ落ちる音が身を貫き、超高度から空気の塊を全身に受ける。それでも仁の意識は帰ってこない。仁は今、生命の危機に瀕していた。

 高度20m。彼が目を覚ました。

「──『翔(イカロス)』!」

 ユニゾンギアが緑に染まる。光線が描き出す光の翼が羽ばたき、崖の上まで急上昇する。激しく襲いかかるGをものともせず、地上に舞い降りた。里眼は舌打ちする。

「目覚めたか…!幸運め…!」

「あいにく、運なんて不合理は信じない主義なんだ」

 彼は静かに返した。

「いま彼の命が助かったのも、僕がここにいるのも全て必然。行いの一つ一つが結果を生み出す。そこに運なんてありはしない。そして、君が僕に倒されるのも、これから起こる必然なんだ」

「気配が異なる…何奴!?」

「それを語るのも不合理だね。『久(アキレス)』!」

 ユニゾンギアが黄色に染まる。おもむろに近寄る彼の姿に、里眼は冷や汗を垂らした。

「面妖な…滅す!」

 脚のバネを最大限活かし、里眼は死角に潜り込んだ。その『目』は敵の死角を見通し、弱点を見通し、確実に敵を仕留める。『目』を駆使し立ち回る里眼はまさに、達人の域にあった。

 だが、そんな里眼の連撃が全ていなされた。柳が嵐に揺られるかのごとく流麗に。

 あり得ない。里眼は焦った。死角とは文字通り、一度突かれれば死の約束された場所なのだ。わかっていて対処できるものではない。決して防げない絶対の領域。だというのに何故、こいつは全て防げる?

 里眼は距離を取った。しかし、

「…終わりかい?」

 彼は歩み寄る。威圧感。息さえマトモにできやしない。

「なら、今度はこっちだ。『猛(ヘラクレス)』!」

 突如消える。影も形も無い。音も聞こえない。──いや、聞こえる。見える。足跡が。動作の全てが。

「所詮ハッタリか…!」

「何が?」

 背後から声がした。ゆっくりと視線を落とすと、首筋に手刀が構えられていた。一気に冷や汗が噴き出す。

 おかしい。おかしい。視線を戻す。今だってこうして足跡は増え、動いている最中なのに──まさか、

「残像…!?」

 里眼の首筋を流れる汗を拭き取り、彼は囁いた。

「加減できなかったらごめんね」

 直後、里眼を蹴り上げ、同じ高さまで飛び上がった。

「これくらいだったかな。落ちてみようか、君も」

 拳を固め、彼は無防備な里眼の身体に連撃を叩き込んだ。落下が始まるよりも先に殴打が決まり、衝撃が蓄積されていく。

 最後の一撃が炸裂し、里眼は地面に落ちた。先刻、仁が落ちた時と全く同じ落下速度で。

 着地した彼は里眼を背に、

「名前くらいは教えてあげる。僕は暁澪士。かつて、オーダーと呼ばれた男だ」

 と言い残し、その場を去った。

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