風邪の日は

はおらーん

風邪の日は


「ゴホッゴホッ」


咳き込んだ拍子にパッと目が覚める。いつもならお母さんの怒鳴り声とともに朝を迎えるが、今日はそれより一足早く目が覚めたらしい。妙に体が火照る感覚があり、起き上がろうにも全身に力が入らない。


「おかあさーん」


声を出して呼ぼうとしたが、声がかすれて大声にならない。昨日部活で汗だくになってきちんと拭かなかったのがダメだったのかな、と自省の念に駆られる。枕もとのスマホに目を遣ると、6時半の少し前だった。この時間ならお母さんは起きて家事をしているはずだと思い、「ちょっと部屋に来て」とだけ自分の部屋からラインを送った。



パタパタとスリッパが階段を駆け上がる音が聞こえ、「ナニ、琴奈?朝っぱらから」とお母さんが忙しそうな顔でベッドの私を見る。もう一度「おかあさん」と言おうとしたが、今度もかすれて声にならなかった。


「琴奈、いったいどうしたの!?」


「……ハァハァ…」


変わらず声は出ず、熱に絆されて細い吐息が漏れるだけだった。お母さんは慌てた様子でベッドに駆け寄り、掛布団をめくる。汗でじんわりと湿ったパジャマに涼しい風が通り抜ける。お母さんが琴奈の額に手を当てると、「今日は学校お休みしなさい」と言って、再びパタパタとスリッパの音を響かせて一階に降りていった。


「もう学校には連絡しといたからね。今日はゆっくり休みなさい」


お母さんの言葉にうんと頷く。相変わらず声は出ない。お母さんは冷えピタと氷枕を作って持ってきてくれたらしい。手には、汗ばんだパジャマの着替えも持っている。


「ちょっと、ごめんね」


お母さんは独り言のようにつぶやきながら、琴奈の長い髪をかき上げて冷えピタを貼った。同時に頭をもたげて氷枕を敷く。熱っぽく感じた首筋はひんやりとし、上半身の汗もすこし引いたような気がした。お母さんは、一旦琴奈の枕元に持ってきた着替えを置くと、部屋のクローゼットを開けて琴奈に聞いた。


「もう高校生だけど、念のため、ね?たしか去年使ったはずだから、クローゼットにあるよね…?たぶんサイズは大丈夫だと思うんだけど…」


琴奈に聞いているのか、独り言を言っているのかわからないような調子で、掛けてある服を手で押しながらクローゼットの奥を覗く。


「あー、あったあった。まだ半分くらい残ってるから買い足さなくても大丈夫そうね」


お母さんはそう言うと、クローゼットの奥からブルーのパッケージを引っ張り出してきた。生理用品のようなビニールのパッケージだが、大きさは比べ物にならない。「紙おむつ」と大きな印字が目に飛び込んでくる。お母さんは「まだいけるよねぇ」と言いながら琴奈のベッドにおむつのパッケージを引き寄せ、中から1枚引き出して琴奈に見せた。琴奈は少し複雑な表情で首を傾げただけだったが、嫌がるようなそぶりは見せていない。


「とりあえず先に着替えちゃお」


お母さんは琴奈の背中に手を添えると、自分の方へ引き寄せながら琴奈をベッドに座らせるような形にする。抱き寄せた時も手に熱っぽさが伝わる。


「バンザイして」


少し子供っぽいかなとも思いながら、自分も琴奈の体に手を添えながら着替えを手伝った。上半身は別のパジャマに着替えさせ、パンツも脱がせたところで一旦琴奈の体をベッドに横にする。体を拭くためのタオルは持ってきていたが、なぜか着替え用のパジャマのズボンはお母さんの手にはなかった。


「琴奈、じゃあちょっとだけお尻上げられる?」


「うん…」


少し水分をとったからか、段々と声が出るようになってきた。小さくこくりと頷くと、お母さんの指示に素直に従う。お母さんは三つ折りになった紙おむつを開いて、琴奈の足元に置く。そう言われた琴奈は、体に力が入らないなりに、くッとお尻を持ち上げた。その瞬間にサッとお母さんはおむつを敷きこむ。琴奈には特別体の異常があるわけではない。普段の生活でおむつを必要とすることはないし、実際おむつはパッケージごとクローゼットの奥にしまい込んである。


「風邪の時は安静にしとかないとね」


「はーい」


お母さんはしんどそうな表情を見せる琴奈に、言い聞かせるように話しながらおむつを当てる手を進める。お尻を上げた後はだらんと足をベットに落とし、お母さんは淡々と手を動かす。紙おむつの前当て部分を鼠径部に沿わせて持ち上げると、琴奈の小さなお尻はすっぽりとおむつの中に収まった。買ったのは琴奈が中学生のころだったが、そう身長も体重も増えていない琴奈にとっては、サイズは問題にならなかった。4枚のテープを留めてウエスト周辺をきれいに仕上げると、お母さんはそのまま琴奈に掛布団をかぶせた。


「お母さん、今日は遅番だから。出たら呼んでね。大きな声出なかったらスマホでいいから」


琴奈は再び首だけ動かしてうんと頷く。久々の紙おむつに若干の窮屈さを感じながら、琴奈は再び目を瞑った。



琴奈の母は、長年小児科の看護師として働いている。着替えるときの「バンザイ」などは職業病みたいなものなのかもしれない。病気に対しても敏感なところがあり、少し体が怠かったり、熱っぽい日があればすぐに学校を休ませる人だった。「安静にしときなさい」が家でも口癖になっている。琴奈がまだ小学生に入る前、肺炎を患って長期間幼稚園を休んだことがあった。体が重く起き上がれない日も多く、激しい咳をするたびに失禁することもあった。見かねたお母さんは、琴奈がトイレに行く必要がないよう、数年前まで使っていた紙おむつを引っ張り出してきて、琴奈に履かせてくれたのだった。それからというもの、体調が悪くなったらおむつを当てて安静にしていくのがうちのルールのようになっている。琴奈自身も高校生になっておむつをするのは恥ずかしいという気持ちがないわけではないが、長年このルールでやっていると疑問が湧くところまではいかないらしい。もう高学年になるお弟も、風邪をひいたときは文句を言わずにお母さんにおむつを当てられている。


(…ちょっとおしっこしたいかも)


お母さんが氷枕と一緒に持ってきてくれたポカリスエットを飲んだからか、琴奈はかすかに尿意を感じていた。その瞬間、掛け布団の中からスーっという音が聞こえ、琴奈はブルっと体を震わせた。当然普段はトイレに行くまで我慢ができるが、小さいときからの習慣も相まって、おむつを当てているときもスムーズに事を済ませることができる。おむつに慣れていない大人には意外と難しいことである。


『出たみたいだからお願い』


『すぐ行くよ』


スマホを手早くタップしてお母さんにラインを送る。さすがにおしっこやおむつという言葉を出すのはには恥じらいがある。既読がついて返事が来ると、しばらくしてお母さんのパタパタというスリッパの音が聞こえ、部屋に入ってきた。


「すぐに替えるからね」


「ありがと…」


そう言うと、お母さんはベッドの側に置いてあるパッケージから一枚取り出し、一旦広げて琴奈の枕元に置いた。一階から持ってきた細長い箱には、「おむつが臭わない袋」と書いてある。小児科の看護師だけあって、そういうグッズには詳しいらしい。お母さんが掛け布団をめくると、琴奈にもはっきりわかるくらいおしっこのにおいがしたが、お母さんは一切顔に出すことはしない。こういうところはさすがプロだなと琴奈も毎回感心している。お母さんが黙々と手を動かしている最中、ピロンと琴奈のスマホに通知が届いた。


『琴奈ー!今日サボり?』


同じクラスの彩花だった。彩花とは小学校からの付き合いで、親友というよりは姉妹や腐れ縁といった方が近いかもしれない。


『サボりじゃないよ〜 風邪っぽいし、熱あるから今日は休み!』


『まじで!お見舞い何がいい?プリンとかいるっしょ?』


琴奈にはわかる。彩花は自分がプリンを食べたいだけだと。昔から明るくて友達も多い。それでいて世話焼きでひとなつっこい、彩花はそんなやつだった。ノリがうざいと感じることもないではなかったが、どちらかというと内向的な琴奈にとっては、そんな存在がありがたくもあった。


『じゃあコンビニで焼きプリン買ってきて』


『了解!!』


勢いよく彩花お気に入りのスタンプが連打されてくる。お母さんは、ぐっしょり濡れた琴奈のおむつを開きながら、「彩花ちゃんでしょ?スタンプの勢いでわかる」と笑っていた。一晩と朝のポカリの水分を吸収したおむつは、琴奈の寝相と相まって今にも漏れそうなくらいの形状をしている。


「ちょっとだけお尻上げてね」


さっきおむつを当てられたのと同じように、かろうじてクッとお尻を上げる。お母さんはタイミングを図ってさっとおむつを引き抜いた。においが広がらないように手早く丸めて、持ってきたピンクのおむつ専用ビニールに入れてきつく縛った。その間も琴奈はスマホを握りしめて彩花とのラインに精を出していた。両膝をくの字に曲げてガニ股のようしながらおむつ交換をされる下半身と、熱心にスマホを見つめる長髪の少女は、どうも同一人物のようには見えないなとお母さんは内心思った。


『お見舞いだけどさ、理沙も一緒に行っていい?』


理沙は高校に入って新しくできた友達だった。中学は別だったが、たまたま私や彩花と席が近かったこともあり、学校では3人で行動することが多かった。


『理沙かー、どうしよっかな…』


もちろん琴奈の心配は、今下半身を覆っているおむつだ。いくら病気のときだけとはいえ、16歳になっておむつをつけているのを知られるのはマズイと思った。いくら毎日一緒にいるとは言え、まだ出会って数カ月だ。どんなリアクションをされるか想像もできない。


『もしかして、まだアレ使ってんの??』


『うん、それが心配なんだよねー』


『理沙なら大丈夫っしょ』


『そうかなー?』


『大丈夫だって。理沙に一緒に行くか聞いとくから!琴奈はゆっくり休んどいて。課題のプリントも持ってくから!』


『わかったー ありがと!』



彩花とのやり取りが終わる頃には、すでにお母さんのおむつ交換も終わっていた。もう一度寝入ってから目が覚めると、『理沙も行くって!』と彩花からラインが入っていた。もう一件の通知はお母さんからで、仕事にいくからおむつ交換は自分ですること、その他風邪に関する注意事項が長々と書かれていたのだった。






(理沙も来るんだ…まぁ、大丈夫だよね、理沙なら…)


彩花のラインに既読をつけると、ちょうど同じタイミングで理沙からもラインが来た。


『彩花から一緒に行くって聞いた?琴奈の風邪心配だよー』

『ありがとう、結構寝たからだいぶ楽になった!』


『よかった〜、私もなんか買っていくから、欲しいモノあったら言ってね!』


彩花の方は自分が食べたい気持ちが 8 割だが、理沙の方は本気で私のことを心配してくれている。誰にでも親切で、女の子らしい女の子だなと琴奈も思っていた。家には介護で寝たきりのおばあちゃんがいるらしく、将来は介護士になりたいんだと話してくれたこともあった。


『じゃあ学校終わったらすぐに彩花と行くね!』


うん!待ってる!』



そこでラインは一旦途切れたが、その瞬間私は体の力を抜いた。さすがに寝ている間に勝手に出るということはないが、その分起きた瞬間には膀胱におしっこが溜まっているのを感じる。寝る前に飲んだポカリスエットが効いていたのかもしれない。


(さすがにラインしながら出すのはちょっとアレだしな…)


スマホを置いてふぅっと深く息を吐きだすと、琴奈の下半身から勢いよくおしっこが流れ出す音が、静かな部屋に響いた。お母さんが出かける前にエアコンをつけてくれていたので、朝ほどは汗で体は湿っていない。出したのは一瞬だったが、おしっこはじんわりゆっくりとおむつに吸収されていく。その間、琴奈は太ももに触れる液体がすべて吸収されまで、静かに待った。閉め切ってエアコンの微かな音だけが聞こえる室内で、20 秒にも満たない時間ではあったが、せせらぎが流れたのだった。ブルっと体を震わせた琴奈は、何時間かぶりにベッドから体を起こす。朝は呼吸のペースがあがるくらいに体のしんどさがあったが、薬が効いてきたのか幾分かは体も軽く感じる。


(これなら自分でなんとかできるかな…)


琴奈は掛布団をサッとめくって足元の方へ放り投げる。閉め切った部屋ではしょうがないが、はっきりと尿臭が鼻につく。いくら小さいときからの習慣とはいえ、今では年に数回しかおむつを当てる機会はない。お母さんほどの慣れた手付きとはいかず、悪戦苦闘しながらのおむつ交換となる。


(…うわ、すっごい出た。トイレだと感じないけど、こんなにおしっこの量多いんだね…)


おむつの前あての部分を体から剥がしながら、ぼんやりとそんなことを思う。お尻のほうが無事ならそのままゴロンと横に転がっておむつから体を離すこともできるが、今回は量も多くそうはいかない。一旦脚を広げたままベッドの上に座る形にして、少しずつお尻を浮かせておむつごと脚の方へずらしていく。さすがに背中の方までは濡れていなかったので、おむつをずらしているうちに、おむつの乾いた部分がお尻に触れてかすかに残ったおしっこを吸収してくれる。衛生的に良くないのはわかっているが、濡れている不快感もなくなったので、琴奈一旦そのままベッドの上にお尻を置いた。


「よっと…」


琴奈は、体と腕を伸ばしてベッドから降りずにおむつのパッケージに手を伸ばす。久々に体を動かしたのでつい年寄りみたいな声が出る。ベッドの側に引き寄せたおむつのパッケージから交換用の一枚を抜き取り、お尻ふきと一緒に枕元に置いた。パッケージの「大人用Sサイズ」の文字が、もう子供じゃないんだと自覚を羞恥心を煽っているように感じて、琴奈はそっと目を伏せた。




「あれ、ねえちゃんいるのー?」


1 階から声がする。学校を終えた弟が帰ってきたらしい。玄関にランドセルを置いて階段を駆け上がる音がした。身長が伸びてきて琴奈と変わらないくらいの体格にはなってきているが、中身はまだ 5 年生の男の子だ。


「ねえちゃん、風邪でもひいたん?」


「うん、そう」


頷きながら無愛想に答える。


「うつったらダメだから出て行って」


体が怠いのもあるが、部屋に来て騒がれると鬱陶しい。少しイラついた調子で弟に向かって言う。


「ふーん、そうなんだ」


興味なさそうに返事をしたが、弟の目は部屋の隅に置かれたおむつのパッケージを見逃さなかった。


バサッと足元から琴奈の掛け布団をめくる。


「あー、やっぱり!」


掛布団をガバッとめくると、琴奈のおむつが露わになる。咄嗟に体を捻るように横向きにして片膝を立てたが、ばっちりとおむつ姿を見られてしまった。


「ちょっ!おい!」


「ねえちゃんもう高校生なのにー」


ニヤニヤしながら煽ってくる弟に、「アンタも先月風邪ひいた時にお母さんに履かされたでしょ。偉そうなこと言うなら遊びに来た友達にアンタのおむつ見せてやる」と煽り返す。


「いいもん、じゃあねえちゃんの友達にもおむつバラすし!」


脛に傷のあるもの同士だと、煽り合いも悲しい結果に終わるしかない。なんとなく盛り上がりに欠ける煽り合いはすぐに収束して、弟もリビングでゲームをするため、そそくさと琴奈の部屋を後にした。



「ねえちゃーん!あやちゃん来たよー!」


風邪薬の影響だろうか、おむつを新しいものに交換したあとすぐ眠ってしまったらしい。一階から弟が呼ぶ声で目を覚ました。どうやら彩花たちがお見舞いに来てくれたらしい。家に着く直前に理沙からラインが入っていたのには気付かなかった。


「カズは風邪引いてないん?」


「うん、ねえちゃんだけ」


理沙も「お邪魔します」と言いながら家に上がりこむ。彩花と琴奈は小学生のときからの腐れ縁ということもあり、弟のカズともよく知った仲だ。


「なーんだ、寝込んでたらまたオシメ替えてあげたのに」


「あやちゃん!もうしてないし!」


カズは顔を真っ赤にして反論する。


「ホントにぃ?」


カズはますます顔を赤くして黙り込んでしまった。彩花はケラケラと笑ってカズの頭をポンポンとたたき、「冗談冗談」と言いながら階段の方へ向かった。理沙は彩花の冗談の意味を図りかねながら、カズに「お邪魔します」とだけ挨拶して彩花の後を追った。



「おい、生きてるか?」


彩花はノックもせずに琴奈の部屋のドアを開けた。勝手知ったる家では、あいさつもノックも必要ないらしい。きれいに整頓された女の子らしい部屋に、理沙はひとしきり感心していた。


「まぁなんとかね」


琴奈の声もだいぶもとに戻り、普通に話せるくらいにはなっている。起き上がろうとする琴奈を制止しながら彩花はベッドの端に腰をかけた。理沙は多少居心地が悪そうに、カーペットの上に正座した。


「あ、そうそう」


彩花は思い出したように、かばんの中からプリンを差し出す。「ちゃんと全員分あるからな」と言いながら、テーブルに2つ並べ、残り一つは琴奈の枕元にスプーンと一緒に置く。


「ありがとう彩花。理沙も来てくれてありがとう」


「ううん、全然。私あんまり友達の家とか行ったことなくて、お見舞いだけど来れてよかったな」


理沙はにっこりと微笑む。「これは私から」と言いながら、彩花と同じようにかばんをあけてナイロン袋を取り出した。中にはゼリーや水分補給のドリンク、おでこに貼るシートまで入っている。プリンだけ買ってきた彩花とは大違いだ。


「彩花には理沙のこと1ミリでいいから見習ってほしいね〜」


冗談ぽく皮肉を言ったが、当の本人はそんなことも気にせすでにプリンに手が伸びていた。



「理沙さぁ、そんなに気になるなら直接聞けばいいじゃん」


プリンを食べていたと思ったら、急に彩花が理沙に方へ向き直って話し出す。


「たぶん琴奈も気が気じゃないと思うし。そうじゃない?」


琴奈は一瞬え?というような表情をしたが、すぐに彩花の意図を察する。理沙自身も自分の考えを読み取られたような気がして動揺した。最初に琴奈の部屋に入ったとき、部屋のきれいさに感心しただけではないのは事実だった。


「えっと、その… 聞いていいのかな…?」


「たぶん大丈夫」


彩花はプリンを食べる手を止めずに言う。理沙と琴奈の目が合い、琴奈は何も言わずコクンと頷いた。


「琴奈ちゃん、病気なの?」


意を決した表情で理沙は切り出す。部屋に入ってすぐに目に飛び込んできたのは、生理用品よりも一回り大きいビニールのパッケージだった。パッケージに描かれているイラスト、文字から、それは16歳になる女子高生が使うにはふさわしくないものだとすぐに理解することができた。少し間があって、琴奈は首を横に2,3度振った。


「じゃあ、なんで…?」


この質問が案外難しい。病気でおむつを使っているとは言えないし、当然趣味なわけでもない。寝込むときだけだから…という意味では、病気も間違いではないのかもしれない。


「ん〜、難しいな… お守り?かな」


琴奈は、理沙にはすべて話すつもりでいた。だからおむつのパッケージはクローゼットには仕舞わずにベッドの横に置いたままにした。小さときからの習慣で風邪を引いたときは安静のためにおむつを使っていることを、できるだけ丁寧に理沙に伝えた。その間、理沙はずっと黙って琴奈の言うことを聞いていた。


「あ〜、もう!琴奈の話長いんだよね。見てもらった方が早いでしょ」


そう言うと、彩花はバサッと掛け布団の下半身側を琴奈の承諾もとらずにめくった。そこには、Tシャツとおむつだけの琴奈の姿があった。琴奈も一瞬体を固くしたが、理沙が彩花と一緒にくる段階でなんとなくこの展開になるだろうなとは思っていた。理沙だけ心の準備もへったくれもなく、急に琴奈の秘密を知ることになった。


しばらく無言の理沙だったが、ぽつりと「風邪のときだけ?」と琴奈に聞いた。


「うん、寝込むような病気のときだけだよ。年に何回かだけ」


「なーんだ、それなら良かった」


理沙はホッと胸をなでおろした。理沙の意を組み取れず、彩花と琴奈は顔を見合わせた。


「だって、おむつだから修学旅行行けないとか、そういうことかと想って…」


真剣に話す理沙に、プッと二人は吹き出した。多少悪意のある彩花とは違い、理沙はこういうところがまっすぐだ。真剣に琴奈の事を心配してくれたらしい、二人とも、理沙のこういうところが好きだった。そこからは、3人で学校の話をしたり、時には琴奈のおむつの話もした。弟も同じようにしているというのを聞いて、ようやく理沙はさっっきの彩花の冗談の意味がわかった。




「でもあれはびっくりしたな、5年生のとき…」


「ちょっと彩花、それは秘密でしょ!」


琴奈はわざと怒ったような口調で彩花の肩をはたこうとしたが、病人からパンチをくらうほど彩花はどんくさくない。わざとらしくよけながら、理沙のの方へ体を預けて助けを求めるような仕草をする。


「え、なになにー?二人だけの秘密とかずるい!」


「そうだよね?理沙もそう思うよね?」


彩花はニヤニヤしながら琴奈の方に視線を向ける。彩花もなんでもかんでも秘密をバラすわけではない。琴奈の微妙な表情を読み取りながら、一線は超えないようにして付き合ってくれてる。だから高校生になっても関係が続いているのだ。


「はぁ、わかったよ。理沙には話していいよ」


やれやれとため息混じりに琴奈も言う。実際のところ、見舞いの時点でおむつを隠す気は琴奈にはなかったし、これ以上に恥ずかしい秘密はないと思っているので、理沙相手ならそれぐらいなら別にいいかとも思っていた。


「琴奈ね、5年生のとき保健室でおねしょしたんだよね〜」


嬉しそうに彩花は理沙に離す。


「え〜、なんで〜」


理沙は琴奈に気を使ったのか、驚きすぎないようにリアクションしたようにも見える。クスクスと笑うが、恥ずかしい失敗だと笑っているのか、小学生なら微笑ましいことだとニコニコしているのか判断がつかない。


「いや、あれおねしょじゃないし!ちょっと勘違いしただけ!」


琴奈も顔を真っ赤にして反論する。熱で顔が赤いのか、恥ずかしくて赤面しているのかわからない。


「まぁまぁ、病人はしっかり寝てて」


彩花は半笑いで無理やりベッドに寝かしつける。


「おねしょじゃないなら、なんで保健室でおしっこしたのか教えてよ?」


「私も気になるー」


楽しそうにじゃれ合う二人を見て、理沙も話に乗ってくる。琴奈は仕方なく事の顛末を話すことにした。



「あの日ちょっと風邪っぽくて、保健室で休んでたんだけどね…」


「覚えてるよ〜、私保健委員だったし!」


いちいち彩花が合いの手のように言葉を挟む。


「それでまぁ、ね。おむつのことはさっき見たとおりなんだけど… いつも体調悪いときは家ではおむつだったから、そのときもおむつ履いてると勘違いして…」


話しているうちの当時のことが蘇ってきて再び顔が赤くなる。琴奈は段々と声が小さくなる。


「つまり、いつも通りおむつ履いてると勘違いして、おむつにおしっこしたと思ったら保健室のベッドの上だったってこと。今思えば、それっておねしょじゃなくておもらしじゃん!」


ご丁寧に彩花が補足する。理沙は途中まで真剣に話を聞いていたと思ったら、口元に手を当ててクスクスと笑い出した。


「恥ずかしい、でしょ…?」


琴奈が理沙の顔を覗き込むようにして聞くと、理沙はにっこり微笑んで首を横に振った。


「ううん、琴奈ちゃんかわいいね」


意外な言葉に彩花と琴奈は怪訝そうに理沙の顔を見る。逆に理沙も不思議そうな様子で二人を見返す。


「え、かわいくない…?だって琴奈ちゃんってすごいしっかりしてるし、そういう子が失敗しちゃうってちょっとキュンと来るなって。さっきのおむつ姿もギャップあってかわいかったよ」


最初琴奈は、彩花と同じように煽っているのかとも思ったが、理沙はそういうタイプでもない。琴奈のおむつ姿を見て、彩花の話を聞いて、自然とかわいいと感じたらしい。


「うん、ありがと…?」


なぜか感謝の言葉が出た。なんとなく変な空気になったのを彩花は敏感に感じ取って、話の続きを語りはじめる。



「そんでさ、私も保健の先生も焦っちゃって。琴奈は泣き出すし」


「えー、私泣いたっけ?」


ただ恥ずかしいからか、当時の記憶が曖昧なのか、琴奈は彩花の言葉に反論する。


「泣いてたじゃん。服は汚れるしで、結局お母さんに電話して迎えに来てもらったでしょ」


「そうだったかなぁ…」


「そうだよ!そのときに琴奈のママがおむつ持ってきたから、私初めて琴奈の秘密知ったんだもん」


「あのときはまだ風邪引いておむつするのが普通だと思ってたから、彩花にあんなに驚かれて私のほうがびっくりしたよ」


「保健の先生もめっちゃびっくりしてたね〜」


なんだかんだ仲良く思い出話に花を咲かせる二人を、理沙はニコニコと眺めた。彩花はふと何かを思い出したように、理沙の耳元で何かをささやく。理沙は一瞬驚いたような表情になり、琴奈の顔を見てまたクスクスと笑った。


「琴奈ちゃん、小学生でムーニーマンはちょっと恥ずかしいね」



琴奈は一瞬ぽかんとして、気付いた瞬間に彩花に向かって枕を放り投げた。


「それだけは絶対に秘密にしとく約束ー!」



理沙はそんな二人を見ながら、これだけ元気なら明日は学校に来れそうだなと一安心した。





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