オミエサマ

@aikawa_kennosuke

オミエサマ

今も覚えている。


幼い頃、カーテンに影が見えていた。




影が見えるのは、決まって自分の周りに人がいない時だった。




初めて見たのはいつか分からないが、まだ小学校に上がる前の、5,6歳の頃だったと思う。


その日の夕方、両親が外出しており、自分は一人で留守番をしていた。


部屋の日当たりがよく、暑かったためカーテンを閉めて、リビングでおもちゃを並べて遊んでいたところ、ふと気がついた。




カーテンの後ろに影が見える。


その人の形をした影は、腕を軽く上げ、向こう側へ手招きをするようにして佇んでいた。




そして、影から




「おーい、おーい」




と、子どものような声が聞こえた。


影は大人ほどの大きさだったから、その不釣り合いな声を、子供ながら奇妙に感じた。




カーテンの影をぼうっと見ていると、両親が帰ってきた。


両親と出迎えたあと、ふとリビングのカーテンを見ると、あの影は消えてしまっていた。


だが、特に気に留めるでもなく、母が夕飯をつくるのを待ちながら遊びを再開した。






それから、よくその影をみるようになった。




シチュエーションとしては、室内で一人でいて、窓にかかったカーテンが日を遮断しているときだった。




夜は現れなかったが、真っ昼間でも、朝でも、その影は現れた。




祖父母の家や、幼稚園や教室、レストラン。


自宅以外でも、条件を満たす場合は場所を問わず影は現れた。




こちらに手招きをしながら、




「おーい、おーい」




と呼びかけてくる影を見て、不思議にも恐怖はなかったが、なんとなく見てはいけないもののような気がして、カーテンを開けたり近づいたりすることはなかった。


そこまで気にしてはいなかったので、両親や友人に影について話すこともなかった。




それは、私が小学校にあがっても続いた。


だが、特に悪い影響はなかったため、こちらも無視を続けていた。








あれは小学1年生の頃だったと思う。




その日は両親の遠出のため、祖父母の家に預けられていて、泊まることになっていた。




祖母の寝室で祖母と一緒に寝ることになり、隣で祖母が本を読み聞かせてくれていた。


その本の話の中に、自分の影が意思を持って、話しかけてくるという話があった。




私はその話を聞きながら、カーテンのあの影のことを思い出していたので、祖母が話し終わった後、影のことを打ち明けて見ることにした。




祖母は最初、笑顔で聞いていたが、私が影の特徴を話していくと、徐々に険しい顔になっていった。




私の話が終わると祖母は立ち上がり、カーテンを開けて窓の戸締まりを確かめるような所作をしていた。


そして、どこからか黒い数珠を取り出すと、布団に戻って私を抱きしめた。




「今日はもう寝なさい。」




祖母はそう言うと、私を抱きしめたまま、南無阿弥陀仏のような、呪文のような言葉を唱え始めた。




突然のことに私はわけも分からず、呆然としていたが、次第に眠気が襲ってきて、いつの間にか寝入っていた。








翌朝、目を覚ますと、祖父母の家の、一階の奥にある仏間で寝かされていた。


眠っている間に移動されていたようで、私の布団のそばには祖母と祖父が座っていた。




祖母は数珠を持って、しきりに祈っているようだった。


祖父が、私が目覚めたことに気がつくと、すぐそばに立っていたスーツ姿の中年男性に声をかけた。




「起きましたわ。」




すると、そのスーツの男は私に寄り、寝たままの私の額に手を置いた。




私はわけが分からず、熱があるのだろうか、重い病気にでもなったのだろうかと、怯えていた。




スーツ男は私を起こすと、仏間の中央に座らせた。




「怖がらんでええからな。」




そう言うと、私の手や足、胴や肩を軽く触り始めた。


頬にも触れ、私の目をじっと見つめてきた。




そして、その様子を心配そうに見ていた祖父母に向かって、




「やっぱ、オミエサマやな。」




とだけ言った。




祖父は険しい顔をしていた。


祖母は数珠を両手ですり合わせながら泣いていた。




スーツ男は私に向き直ると、




「さっそくやる。けど怖がらんでええからな。悪いもんとの縁を切るだけやからな。」




そんなことを言った。








スーツ男はまた私を立たせると、




「自分の立っとる周りを囲うようにして、おしっこしなさい。」




と言い、私に畳の上へ小便をするように指示した。




戸惑いながら言うとおりにすると、尿の匂いが畳の匂いと混ざり、独特な匂いがした。






そして男は、尿で作った円の中央に私を座らせた。




祖父母はふたりともいつの間にか仏間から出ていて、私とスーツの男だけが残っていた。




男は




「胡座でもええから、姿勢を楽にして。目は閉じときんさい。これから、何が聞こえても絶対に声を出さんこと。そんで、このおしっこの丸の中から、絶対に出んこと。できるか?」




と柔らかい、温和な表情で言った。


私は、これから何が起こるのか、なぜこんなことになったのか、そんな様々な疑問を頭の中に浮かべながら何度も頷いた。






スーツ男は古びた本を取り出すと、私の方に向いたまま、お経のようなものを唱え始めた。


葬式で読まれるようなイントネーションではなく、普通に文章を読み上げるような感じだったのを覚えている。




私は目をつぶって、胡座をかいたまま体を硬直させていた。






お経が始まって、10分ほど経った頃だろうか。




コツン、コツン




と、外から窓を叩くような音が聞こえた。




コツン、コツン




コツン、コツン




と何度も繰り返し聞こえてくる。




そして、あの声が聞こえた。




「おーい、おーい」






それが聞こえた途端、私は体の震えを止められなくなった。




あの影が、外から窓を叩いている。


奇妙な声をあげながら、私を呼んでいる。




コツン、コツン




「おーい、おーい」




スーツ男の唱えるお経に混じって、その音と声は繰り返し聞こえてきた。




自分は、あの影に連れて行かれようとしている。


なんとなく、そう理解した。




頬の筋肉が痛いことに気がついた。


恐怖のあまり、私は無意識に、声をたてないように泣いていた。






どれくらいそうしていただろうか。




お経は続いていたが、窓を叩く音も、声も止んでいた。




終わったのだろうか、そう思った私は、薄目で前を見てみた。






スーツ男が、汗で額を濡らしながらお経を読み続けていた。




そして、男のすぐ隣。


私のすぐ斜め前に、あの影がいた。




影は、カーテン越しに見たような真っ黒い姿をしていた。


そして、しゃがみ込むようにして、スーツ男の顔を覗き込んでいる。


真っ黒い顔に、ギョロッとした目があり、食い入るようにスーツ男を見つめていた。




私は、自分の呼吸が荒くなるのを感じた。




影が少しだけ姿勢を変えるような素振りを見せた気がしたので、私は急いで目を閉じた。




頬を持ち上げ、歯を食いしばり、体をより強く硬直させた。




あの影が、部屋の中に入ってきている。


不気味な、真っ黒な姿で。


それだけで、とてつもない恐怖だった。






そしてまた、




「おーい、おーい」




と聞こえた。




窓の外からではない。


部屋の中から。




そして、部屋の中で位置を変えながら、何度も聞こえる。




「おーい、おーい」




あれが、部屋を歩き回って、私を探している。


想像するだけで、卒倒しそうだった。


心臓がばくばくと鳴っている。


体中がこわばり、全身の筋肉が痛くなった。








どれくらいの間そうしていたか分からない。


何時間も経ったような気もした。




気がつくと、お経は止んでいた。




そして、




「よう頑張ったな。」




と言われ、肩をポンと叩かれた。




目を開けると、スーツ男がやつれた顔で笑っていた。




私はその笑顔を見て安心すると同時に、全身の筋肉が緩んでその場に伏した。




男が廊下に向かって呼びかけると、祖父母が駆け付けてきた。


号泣している祖母に抱きしめられながら、自分が確かにあの影から開放されたことを実感した。






「もうオミエサマはおらん。この子も安心して生きていけるやろ。」




男はそんなことを祖父母に向かって話していた。






その後、スーツ男に連れられて、近くのお寺に行った。


体中に塩のような粉末をふられ、今度は短めのお経を読まれた。






そして帰り際、男から




「もう影はおらんなったから、安心しなさい。もしまた変なことがあったらすぐに言いなさい。おっちゃんが助けるからな。」




と言われた。




祖父母とともに、私は深く頭を下げた。










私の体験した話はこれで終わり。




祖父母や両親に訊いても教えてくれず、結局、“オミエサマ”が一体何だったのか分からずじまいだ。




ただ、“オミエ”を漢字にすると、“御神影”とできることに気づいたときは少々ゾッとした。




あれは、影の神様か何かだったのだろうか。




判然としないが、私に知られることを避けているように見える祖父母や両親を見ていると、別に知らなくてもいい、知らないほうがいいとも思ってしまう。






ただ、一つだけ気になるのは、あの日の約1ヶ月後に、スーツ男が亡くなったことだ。




幼い頃の記憶なので、実は彼の名前も分からない。




だが、男は自宅マンションの窓から飛び降りて死んでしまった、ということだけは覚えている。


たしか、葬式に行った時に、祖母が話しているのを聞いたのだと思う。




突然飛び下りたため、自殺ではないかと噂になっていた。








だが、私はどうしても想像してしまう。




あの影が、


オミエサマがカーテンに現れ、その手招く方へ飛び込むスーツ男の姿を。




ただの偶然だと思いたい。




しかし、脳裏に焼き付いたあの不気味な、真っ黒な姿と、ギョロッとした眼、そして、




「おーい、おーい」




という声が、この事実と想像から目を背けるのを許さないでいる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

オミエサマ @aikawa_kennosuke

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ