雨は桜の絨毯を紡ぐ
いおたしゅう
第1話 トンネルの向こう側
目が開かない。
息をすると鉄の匂いがする。
手の感覚がないのが2月の寒さのせいなのか、落下した際に意図せず換気扇にぶつかって明後日の方向に肘から先が曲がってしまったせいなのかわからない。
妙に静かだった。雪が積もる音が聞こえる。
意を消して飛び降りた。でも、助走が足りないせいか、3階の換気扇のでっぱりに左半身が当たった。頭から落ちて、麻酔で眠るように死にたかったが死ねなかった。
川沿いに建てられた自宅の7階建てのマンションの裏には散歩用の遊歩道があり、遊歩道沿いに設置されたコンクリートの堤防に向かって飛び降りたはずだった。マリオのような飛距離をイメージしたがそれほど飛ばなかったようでほぼ真下の換気扇にあたった。その衝撃のせいか、さらに奥の草むらに落下したようだ。
少しずつ目が開く。走馬灯なのか、ドン・キホーテのテーマソングが頭中をループすする。これが、走馬灯かよ、と、少し笑った気がした。
ペンキで塗りつぶしたような灰色の空から真っ白の雪が舞っている。雪の一つ一つが天使のようで、きっと私を天国に導いてくれるだろう。
報われないこの世界、くそったれのこの世界。やっとバイバイ。
私は”中学時代は”オタクだった。
教室の隅に集まって友人の瑞佳と二人で昨日見たアニメの展開について語り合う。アニメの男同士のカップリングの想像に勤しんだり、声優がラップやってるアニメの推しが一緒だったので一緒のキャラのキーホルダーを通学バックにつけてスール(姉妹の意:意味深)の契を結んだりした。
二人でいれば心が満たされていた。
同時にクラスの中でも私たちは異質な存在であることも理解していた。東北の中核都市であるこの町ではオタクバレすることで村八分にされてしまうのだ。
内容が内容だけに私たちは村八分どころか、外界からの干渉を完全に断たれた異物のような存在になっていた。からかう男子もいないし、女子からはそこに存在していない様に扱われる。
私はそれも気持ちがよかった。こんなに素晴らしいものを私たちだけで独占できるなんてと、優越感すら抱いていた。
中学2年の3月14日、瑞佳が男子に告白された。
外界との接触を断っていたはずの私たちが認知されていたこともびっくりした。ただ、瑞佳がその告白を受け入れたことのほうがさらにびっくりした。
瑞佳はあか抜けないメガネだが、巨乳だし狸顔で愛嬌があった。ただ、この閉じた世界では私たち以外、誰もいないと思っていたので、男受けなどは全く気にしていなかった。(誰が“受け”かは気にしていたが)
瑞佳が告白を受けれたのを聞いたとき、私は家に帰って泣いた。
どっぷりオタクの世界に浸るのが二人にとっての幸せと思っていたのは私だけだったのか、裏切りられた。ゲイの男同士しか愛せないはずなのに、リアルな男が近寄ってくればなびいてしまうただの女子中学生だったなんて。
次の日から私は瑞佳を避けた。
必死に話しかけて来る瑞香を軽くあしらった。少しだけ心が痛んだが泣き腫らした瞼を擦るたびに怒りを思い出してはあしらった。ひどい言葉も言った。
でも本当は私は瑞香と話をすればもう一つの感情も吐き出してしまいそうだった。
「私のこと、好きじゃなかったの?」
そんな勘違いなのか、本気なのか、冗談なのか。よくわからない気持ちを吐き出しそうになってしまいそうだった。
3年のGW前には仲直りして、一緒に即売会に行こうと思っていたが、GWが過ぎても、受験勉強が始まっても仲直りのきっかけがなかった。瑞香が休みがちになったからだ。聞こえるようなひそひそ声であの人が原因らしいよ、かわいそうに。と遠巻きに非難され始めた。
学校にくればリア充たちがこぞって瑞香を囲い始めていた。メガネもコンタクトになっていた。
クラスの異物は気が付けば私一人だけになっていた。
高校受験は瑞佳と同じ高校を希望していたが、もうこのクラスの誰かと同じクラスになるのはごめんだと電車で40分もかかる僻地の高校を受験することにした。希望の高校から偏差値も20も落ちているので、受験勉強をしなくも問題はなかった。
みんなが受験勉強をしている間、やりかけのゲームを進めたり漫画を読んで暇つぶしをしている間も私はいつも焦っていた。本当に大事なことをやり逃していることを知っているからだ。
ただ、結局卒業式が来てもそんな日は来なかった。
リア充に囲まれて、さめざめ泣いている瑞佳をじっと見つめた。
一瞬こっちを見た気がするが、その目をとらえることはできなかった。
一人で通学路を帰る。
2年の3月までは、半分くらいの道筋は瑞佳と一緒に尽きないオタ話をしながら帰宅していた。でも、中学最後の通学路は一人ぼっち。
寂しさと腹立たしさが襲ってくる。
「なんだ、じゃあ私もリア充になればいいじゃない」
ちょっと大きな独り言。
帰り際のコンビニに立ち寄り、初めてファッション雑誌を買った。必死に読み解きどこで買ったらいいかわからないので化粧品をAmazonで買った。
必死に化粧の勉強をした。それこそしてない受験勉強よりも真面目に練習した。2週間でかなり盛れるようになった。
鏡に映る自分はアニメの第2期が始まったみたいにワクワクした顔をしていた。
明日から新生、岩瀬 あかねの人生が始まるのだ。
地元の駅から10分、ハブ駅で乗り換えて山沿いに30分。
4両編成の電車に乗り換えた後は車内はガラガラだった。間隔を贅沢に使ってフカフカの座席に腰を下ろす。
中学校の頃は持っていなかったハンドミラーでもう一度化粧を確認する。
大丈夫、ばっちり盛れてる。
その時、急に視界が暗くなった。トンネルに入ったのだ。車内灯が付いているが自然光よりも肌色が悪く見えて少し不安になる。
このトンネルは結構長い。受験と合格発表の2回しか来たことがないがこのトンネルの暗さに毎回気分が呑まれてしまっていた。鏡を見つめたまま合格発表の日を思い出していた。受かって嬉しい気持ちもない訳ではないがその気持ちを分かち合う誰かがいないことが凄く寂しく感じた
大丈夫、次はそんなことにならない。上手くやる。鏡の中の自分を見つめた。
その時電車がトンネルから抜け、温かな4月の日差しが飛び込んできた。その光は長い冬が終わり春が来た証明のような日差しだった。そんな光に照らされた顔は今までで一番自信に溢れた顔だった。
学校についてクラス分けを見てる時にかなり化粧の激しい女に声をかけられた。あ、一緒じゃん、一緒に行くべ。何中?些細な会話だったが私が異物から普通の女子高生に戻った瞬間だった。
私はリア充の主要メンバーとしてのポジションを確立していった。いわっちというあだ名も貰った。過去につながる話を避けて、徹底的にオタク要素を嫌った。このクラスにもまた異物のようなポジションが生まれたがみんなの前でこき下ろした。オタク嫌いのいわっち。それが新生岩瀬あかねなのだ。
12月の雪がちらつく頃、リア充の友人が彼氏にクリスマスプレゼントを送るのでハブ駅まで付き合ってほしいと言い出した。中学の知り合いに会うのを恐れてハブ駅で遊ぶのを何かと理由をつけて断っていたが、あまりにも断るので付き合いが悪いと言われ始めていた。リア充グループでのポジションを守るために渋々付き合うことにする。
長いトンネルの中で中学の知り合いに会いませんようにと祈った。
駅ビルに入った何とか良品やらハチミツの名前がついた服屋とかを物色して全然目的のお店に行かないのでかなり焦っていた。かと言って彼女たちの機嫌を損ねてしまうとボロが出かねないので笑顔で合わせるしかなかった。
ようやく、目的のものを買い終わる頃には6時近い時間になっていた。
お腹減ったからなんか軽くコーヒーでも飲んでいかない?一刻も早くこの場を離れたいのに彼女たちはコーヒーショップで何のケーキを食べるか楽しそうに選び始めた。
この時点でもう嫌な予感はしていたのだ。
奥の席に見覚えのある巨乳の狸顔がチラッと見えた気がしたのだ。
だが、彼女であれば問題ない。あっちに過失があるのだからこっちは堂々と座っていればいいのだ。問題は一緒に座っている他の2、3人だ。
ミルクレープとカプチーノを注文して受け取り場所で狸顔に背を向けてスマホをいじるふりをする。耳を澄ますと話し声が彼女だった。なんだか久しぶり過ぎて自然と涙が出そうだった。熱くなった目頭を拭い、視線を変えてチラッと座っているあたりを見ると他のメンツは中学の同級生では無さそうだった。少し胸を撫で下ろす。
ミルクレープとカプチーノを受け取るとシロップを入れて仲間のところに向かおうとした。
その時ちょうど奥の狸顔の一行も立ち上がった。不意に立ち上がったのでこちらも目線を奪われてしまい、狸顔とバッチリ目が合ってしまった。
大丈夫、こちらは化粧もバッチリなんだ。もう気が付かれないし、気が付かれてもお前らとは違うんだ。
「あかね」
はっきりと名前を呼ばれたが気が付かないフリして仲間の方に早足で歩く。
「おい、だれかよんでんぞ」
仲間の一人が言う。
「え、マジで?全然気が付かなかった」
高い椅子に座りながら気にしてない素振りを取り繕うのが大変だった。
「あかね」
すでに狸顔は椅子の真横に来てしまっていた。
「あかね、久しぶりだね」
私は無言で彼女を見つめる。
「高校一緒だと思ってたけど違う高校行ったんだってね。言ってくれればよかったのに。」
お前がいたから行きたくなかったんだよと言う気持ちから無意識に睨んでしまった。
「まだ。まだ私のこと無視するの?」
「え、いわっちこの子いじめてたん?」
予想外の内容にビックリして言葉が出てこなかっただけだった。
そんな切り口の会話をされるとは思っていなかった。
「いや、いじめてた訳じゃないよ。裏切られたから友達やめただけだよ」
「裏切られたってなにが!何も説明しないで勝手に怒り出したのはあかねでしょ!」
あんたに彼氏が出来て一人になると思ったからだよ。と、本音が出そうになった。そもそも私は瑞佳を失うのが怖かった。あの時の涙の理由は同士がいなくなるとかじゃなくて単純に寂しくて泣いていた。
「もう、別に終わったことなんだからいいでしょ?うちら忙しんだけど」
瑞佳は目に涙を浮かべている。
「少しは大人になってくれたかと思ったんだけど。私の話を聞いてくれるくらいに」
「おい、コイツアニメキャラのキーホルダー付けてるぞ」
瑞佳の話を遮るように仲間が大声で言った。
「そんなオタクみたいなことやってるからいわっちに嫌われたんじゃね?いわっちオタク嫌いだし。」
仲間がめざとく見つけたアニメキャラのキーホルダーは間違いなくスールの契りを交わしたあのキーホルダーだった。
「私はとっくに捨てたのに。」
スーっと瑞佳が息を吸う音が聞こえた。
「へー。今はそういう感じなんだ」
最悪な予感がする。走って逃げ出しそうだった。
「この人中学の時めちゃくちゃオタクだったんですけど!アニメの男同士のセックスの漫画を提出するノートに書いたまま出して教育指導室に呼ばれて泣きながら帰ってきたこともあるんですけど!!」
瑞佳はすでに号泣だった。
「貴方達この人がどんなカップリングが好きか知ってるんですか?キラアスで3日間ご飯食べれる女なんですよ!」
私はもうミルクレープのクレープの枚数を数えるマンになってしまった。頭が回らない。現実逃避してしまう。
「きらあす?なんだ?いわっちどういうこと?」
「いや、これは」
「めちゃめちゃオタクってことです!」
「いわっちでもオタク嫌いって」
「高校デビューして変わったんですね!よかったですね!昔のオタク親友を捨ててリア充に転向するなんてさぞ順風満帆でしょうね!」
「もうやめて!私帰る!」
「あ、いわっち」
椅子に置いてあったバッグを引ったくるように持って全力で走って駅のホームに向かった。
終わった。
過去だけじゃなく今も台無しにするなんて。
これだけ努力したのに。全て水の泡。
殺してやりたい。殺してやりたい。
電車が来るまであと5分。仲間が来たらどうしよう。瑞佳が来たらどうしよう。明日からどうしよう。
結局誰も追ってくることはなかった。LINEすら来なかった。
次の日から学校をサボり始めた。もう、メッキは剥がれ落ちた。明日から異物はまた私なのだ。
一度異物から這い上がってしまうと居心地が良くてまた異物には戻りたくない。
だからこれからの人生に意味はない。早めに終わらせてゲームをリセットしよう。
そして彼女の心に少しでも罪悪感が芽生えれば私の勝ち。
そう考えたら足の震えが治った。
そして、飛んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます