起爆

補綴

bomb

 高校卒業まで20日と書かれた黒板に、窓から注がれる光が反射する。春の匂いはしない。冷たい空気、というのはやけに透き通って見えるものだと、今朝自転車に乗りながら感じた。

 20日、というのは学校に通学する日数のことで、別に20日後に卒業するわけではない。そういうものだ。大概のクラスメイトはカウントダウンが好きで、残り少ない日々を生きたことを『青春』という箱にしまっていく。

 カーテンの隙間から昼下がりの光が漏れてくる。誰も知らない時間が、勝手に流れていく。そういうものだと勝手に悟った。

「卒業式のあと、タトゥーいれにいくんだ」

 ここらへんに、入れてさ。タンクトップに隠れるか隠れないかの際のあたりを指さして、嬉しそうに笑った。暖房の風が毛先を揺らす。

「うえ、痛そう。よくやるね」

「見にくる?あー、でも忙しいか。」

 シャツを着ればいいのにタンクトップ姿のままミルクティーを飲み出すウオの、前髪が流れていく。重たそうな髪が太陽光に透けて薄茶に光った。窓の外からクラスメイトたちの楽しそうな声が聞こえる。そういうのはあんまり好きじゃなかったけれど、ウオは窓の方を見上げながら笑っていた。

「楽しそうだね」

「まぁ、みんなで体育なんてもう無いから」

 電気はついていない。カーテンも少しの隙間だけ開けていた。寒くはないのかと言おうとしても、自分も似たような恰好をしているせいで何も言えない。外から見えないように、壁のすぐそばで胡坐をかいて座ったまま、外の音を聞いた。

 最後のテストも終わって、あとは合格通知と卒業証書を待つだけの日々。ほとんどのクラスメイトが気を緩めている。口の中のミントタブレットを割った。

「青春してるからね。どこまでもそうやって生きていくんだよ」

 梶井基次郎の『檸檬』の授業を受けた二限目の黒板がそのまま残されている。書かれた文字が不気味な存在感を放って、ゲシュタルト崩壊を起こし始める。檸檬よりも先に、洒落という言葉が読めなくなった。どんどん消えていく知っている言葉たちを眺める。平仮名ですら、もう、読めるかどうか怪しいほどに解けきっていた。

「三年しか通わない高校に、期待しすぎなんだよなぁ」

「青春だから、いいんでしょ」

「いや、青春こそ破壊してなんぼでしょ。

 ここで断ち切りたいよ」

 ウオがあははとあっけらかんとした笑い声をあげた。馬鹿馬鹿しさなんて含まない、純度の高い笑い声はいやに教室に響く。

「まだ授業中だから。静かに。」

「あーはいはい、ごめんね」

 スクールバッグの中からチョコレートを取り出してこっちに投げてくる。手のひらに乗った四角いチョコレートは、Tのアルファベットが浮き出ていた。食べていいよ、内緒にしよう。そう言いながらすでに口の中でチョコレートをとかすウオは、変わらずタンクトップ姿だ。お返しにとリュックに入れていたグミを袋ごと投げる。

「いい加減に着たら?」

「嫌だよ。面倒だし」

 どうせ着ることになる制服を嫌がるウオは本当の理由をいつも何もかも「面倒」に押さえつける。絶対に見せてやらないと、子を守る獣のように牙をむく。ウオがクラスで浮いているのは確かだった。話が面白くて、誰とでも会話する人間なのに、一番最初に手を取ってくれる人間はいない。

「ちょっとだけ本音、教えてくれたりしない?」

 袋を破いて鮮やかな黄色のグミを一粒、つまんだウオがこっちを向く。空調の羽の動きに合わせて、ウオの髪がなびいた。

「だって、いつも知らないままでいる」

「知りたいの?」

「そりゃ」

 ふーん、と呟いて、グミを口に投げ込んだ。このままだと大切な何かを知らないままウオを殺してしまう気がした。視線を落としたウオがまた、こちらに目を向ける。

「主人公に似てるんだよ」

「は?」

「破壊と再生を望んでる。ほとんどのものに対して」

 笑いながらまた一粒、グミを食べる。本音かどうか定かではないものに対して、ここまで不安になる必要はないと思いながら、ウオから視線が外せない。首筋を風が撫でたせいで、鳥肌が立った。全身を動かす権利をウオに握られたみたいだ。

「だからすきだよ、光。」

 ウオの言った言葉の意味は分からなかった。なんの主人公に似ているのか、どうしてそれを望むのか、だからという単語の意味すら、何一つ理解ができなかった。掌に包まれたチョコレートが溶けて、やわらかい。

 口の中にチョコレートと砂糖の味が広がる。破壊と再生なんて言葉、本当はどうだってよかったのかもしれない。今まで見たことのない微笑みを浮かべて、立ち上がってシャツを着始めるウオをぼんやりと眺めていると、チャイムが鳴った。ああ、彼女たちが戻ってくる。

 アルファベットの消えたチョコレートを口に入れれば、さっきとは違う味がした。

 何も知らないまま、ウオが誰かを爆破する瞬間を、私は遠くから見るべきだった。私は元の形に再生できないのに。そう思いながらも、誰よりも最初に破壊の対象とされたことが、少しだけ嬉しいのはなぜだろう。

 時限爆弾を抱えたウオの起爆スイッチを押したのは、紛れもなく私だった。

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