宇宙で食べる、地球の味
国見 紀行
変わらない、故郷の味
薄明かりが瞼の上から網膜を刺激している。
目を開き、全身に血液が緩やかに回り始めたのを脳が認識すると、徐々に体温が上がっていくのを感じた。腕の筋肉へと信号が送られ、それに従い腕を出して透明な蓋を押し上げる。
わずかな抵抗を肩に逃がし、空気が逃げる音と共に蓋が開く。油圧のサポートで蓋は全開し、周囲の空気が自分の周りの空気と混ざるのを肌で感じた。
上半身を起こすと、自分が
仕方なく立ち上がろうと両足に力を込める。筋肉と血液が久方ぶりの活動に悲鳴を上げるが、いくらかぎこちない動きではあるもののふわりと浮き上がる体を両手でカプセルにしがみつくことで自由運動を抑制し、何とか直立の姿勢でカプセルからの脱出を成功させた。
「……誰もいないのか?」
当初の話で、冷凍睡眠からの起床には少なくとも一人の立ち合いが必要、と言われたのを思いだした。だが、誰かがいるような雰囲気を感じない。
仕方なく予備の船上衣装を引っ張り出して、着ながら部屋の外へと出る。
足取りは軽い。比喩ではなく重力の影響下にない事を自覚する。この宇宙船は現在も無重力の中を航行しており、それが未だにこの船が遭難中である事を示していた。
俺は、他の起きている乗組員がいないか船内を運動がてら探すことにした。
だが、医務室、エンジンルーム、共有寝室、格納庫…… そのどこにも、人の姿はなかった。
「おかしいな、誰もいないはずはないんだが」
俺はふと、冷凍睡眠から目覚めた部屋へと戻った。
新たな宇宙資源を探すべく旅立った俺たちネクストエクスプローラー隊は、船に搭載されていた
それが判明してから数日後。俺たちはすぐに話し合い、帰るためにある作戦を展開した。
活動する乗組員の数を最小限に留め、残りを冷凍睡眠させることで消費するエネルギーを最小限に抑えるという古典的な方法だ。
簡単な話し合いで俺は五番目に目覚める予定となり、順次カプセルに入っていった。
「確か、最初のペアはツウェンゲルとデガビア、だったっけ」
活動は最初の二人を除いておよそ五年ごとに一人が起き、一人が眠る。三人目はエレノア、その次が
部屋に戻り、一つ目のカプセルの中を覗き込んだ。
「……あれ?」
中身が空だ。誰もいない。
「おかしい。ネームプレートは…… ツウェンゲル、合ってるな」
表記どおりなら、彼がここで眠っているはずだ。
「何かあったのか?」
俺は次に隣のカプセルへと移る。やはりデガビアがいない。さらに視線を隣のカプセルへ移すが、そのカプセルは蓋が開いている。誰もいないのは明白だ。
「なら、なぜ船内にいないんだ」
嫌な予感がする。
自分以外、全ての乗組員が消えてしまったんじゃあないかと言う予感が。
そんな思いを早々に打ち砕くべく、六つ目のカプセルの確認に向かう。俺の次に目覚める予定のアレックスがいるはずだ。
ゆっくりと近づき覗き込んだが、やはり誰も眠っていない。
「嘘だろ……」
恐る恐る隣のカプセルを見る。そこに眠っているのは、自分の恋人でもあるハルミのカプセルだ。
汗が首の裏を伝う。
……いた。
俺は心底安心した。ハルミまで居なくなってしまっていたら本当に孤独になってしまう。だが、生命活動の状態を示すモニターを見た瞬間、俺は起きながらにして体が再度凍り付くような感覚に陥った。
凍結開始から、およそ五十年以上が経過しているではないか。
「……嘘だろ」
近くにある自分のモニターも確認する。日付は、例の話し合いがあった日の数日違いで、ハルミもその日にカプセルに入っている。
幸か不幸か、彼女のバイタルセンサーは正常値を示しており、正常に冷凍を解除できれば自分と同じように活動を再開できるのが救いであろう。
「何が起こっている、なぜ誰も事態を報告しないんだ!」
別の事故なのか、はたまた何か船の中で発生したのか、情報がない中辺りを見回す。
「いや、そう言えばまだ一つ確認していないカプセルがあるじゃあないか」
俺は一縷の望みをかけ、ベスの眠っているはずのカプセルを確認した。
「これは……?」
そこには、蓋は閉まっていたものの一枚の紙が入っていた。力任せに蓋を開いて紙を取り出した。俺は今にも破れそうなその紙を開くと、書かれていた文章を読んだ。
副船長 ソージロー・ヤマナカへ。
君には伝えていなかったが、実は船に搭載された生命維持システムは八人全員を生かし続けた場合、一年と持たないことを私は知っていた。元々半年の航行計画だったこの船には、まともな長期航行機能を持ち合わせてはいなかったからだ。
機材の故障は完全な不運だったが、それを乗組員全員が被るにはあまりに残酷だ。
他の乗組員には申し訳ないが、この船は君とハルミに任せることにした。
このメッセージを呼んでいる頃には、我々は脱出用ポッドで既に船外へ出ている。
いつか、二人が地球へ帰投できると信じている。
船長 ツウェンゲル
「……そう。ポッドもなくなってて、取り残された、と」
俺はハルミを起こし、船長達がもう船にいないことを告げた。
二人で船の中を探索したが、どうやら俺たちがカプセルに入るとほぼ同時期に他のメンバーは脱出したであろうことが分かった。
船の状況確認のために一度全ての機能を起動させ、各施設の状態確認を行ったところ、例のWPS以外はおおむね損傷は無く、二人なら食料も合わせてあと五年は生きながらえるだろう。
このことを伝えるために、俺は食堂で食事の準備をしているというハルミの元へ向かった。
「おっと、確か食堂は今歩けるんだったな」
この船の食堂を含むいくつかの施設は、特徴的な機能の一つである
待機用の小部屋で立ち位置を調整してから、重力制御下で問題ないよう姿勢を直してから入室する。
「あ、お疲れ様」
少し広めのホールには机と椅子が並んでおり、キッチンに近い場所にハルミは座っていた。
「
俺はハルミに向かい合うように座った。その間には二つの食器が、紙の蓋をされた状態で隙間から湯気を出していた。
「これは? 食糧庫にはなかったような」
「故郷から持ってきたの。普通の宇宙船じゃあ食べられないけど、この船なら問題なく食べられるって聞いて」
「……ははあ。インスタントヌードルだな。しかし少し知ってるサイズと違うようだが?」
普通のインスタントヌードルは宇宙食に向かない。無重力下では熱湯などが危険だからだ。だが、この船には前述したように重力の影響化で暮らせる設備がある。つまり普通の食事がとれるのだ。
「日本食の代表的な『うどん』と『そば』が味わえるの。これはその代表的な『赤いきつね』と『緑のたぬき』っていう製品よ」
よく見ると、ハルミの方にある器には赤い紙が、俺の方にある器には緑の紙が蓋をしている。
「宇宙に来てまで食べるものかい?」
「逆よ。重力発生装置が動く間じゃないと作れないし、これは私の持ち込みだから食糧庫の数を気にしないで食べられるでしょう」
「これ、君が持ってきたの? 用意がいいというかなんというか……」
だが、こんな状況であればありがたい食べ物とも言える。緊急事態に暖かい、まして地球と同じように食事ができるのは精神的にもありがたい。
「さ、ちょうど時間よ。食べましょう」
ハルミは赤い蓋を取る。俺もつられて緑の蓋を取ると、ふわりと何とも言えない甘い香りが鼻から脳天を突き抜ける。
湧きおこる食欲を抑えつつ、なかなかうまくならない箸使いで麺を混ぜ、ほぐれたところでまずひと啜り。
「熱っ!」
思わず、口から麺を離してしまう俺をハルミはくすくすと笑う。
「ふふっ。冷まさずに一気に啜るからよ」
そう言いながら、ハルミは口の近くまで白い麺を持ちあげると口をとがらせて息を吹きかけ、冷ましていた。なるほど、確かにいきなり口に運ぶのは食べにくい。
ハルミのように息を麺へ吹きかけ、ようやく食べられる温度まで下がったであろう麺をすすり上げる。
ある程度口に入った所で、いったん咀嚼。
「んむ、……うまい!」
インスタントとは思えない弾力のある食感が、噛んだ時の弾力を楽しませてくれる。パスタにはない舌触りも新鮮で、次の麺がすぐに欲しくなる。
何度か食べているうちに、ハルミがこちらを見つめているのに気が付いた。
「おいしい?」
「ああ。スープが思ったより味わい深い。麺に絡んでいないようで、濃厚な味がしっかりと麺からも感じる。宇宙にいることを忘れそうになる味だ」
残りの麺もほぼ一口で食べ終わると、ハルミと一緒に器を片づける。
「さ、先はまだ長いだろうし、そろそろ重力発生装置も、他の機能も切っておこう」
そう言って食堂を出ようとする俺の手を、ハルミは強く握ってきた。
「……私達、帰れるかな。みんなは、どうなったのかな」
空腹の不安から解放されたせいか、脳が他の事を考えるようになり、ふと自身が置かれた状況を再認識させる。
だが、俺は先ほど今まで保存され続けていた航行ログを見て、微かだが希望を感じていた。
近いうちに、帰港ルートの近くを通る可能性が出てきた。周囲の天体座標で一致する惑星が確認されたのだ。だが、それまでまだ二、三年はかかるかもしれない。
「大丈夫、きっと帰れるさ」
安易な報告は彼女に余計な心労を増やすだけだろうし、今は二人だけの時間を大切にしたい。
だから、もう少し経ってから
宇宙で食べる、地球の味 国見 紀行 @nori_kunimi
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