中編
30分ほどして、俺は文化館の前に女性と共に立っていた。
「こんにちは、記者さん。今日はよろしくお願いします」
20台前半の、大学生にも見える女性が俺に向かってお辞儀を見せる。
館長に紹介された女性で、背筋が伸び、その容姿からはおっとりとした雰囲気を感じさせる。
美人と言われれば美人に見える、そんな女性だった。
「はい、よろしくお願いします……私は鈴木と申しますが、お名前をお伺いしても?」
「町の人からは、花、と呼ばれています」
「では、花さん。早速ですが、薬を飲んでいるという方にお会いしても?」
「はい、何か聞きたいことがあればなんなりと」
「……? いえ、ですから、薬を飲んでいる方にお話しを聞きたいのですが」
「ですから、私がそうです」
どこか変なところでも、と言いたげに首をかしげる花さん。
「まだお若いのに、苦労されているのですね?」
「? いえ、むしろ逆です。今も昔も、毎日、楽しく過ごしていますよ」
「薬を飲んで記憶を消したというのに、なぜ『昔も毎日』楽しいとわかるのですか?」
「簡単です。私は『楽しい記憶』だけを消すために、薬を飲んでいますから」
「楽しい記憶を? それはなぜ?」
記憶を消すとなれば、それはやはり、嫌な記憶だろう。
楽しい思い出を消すなど、少なくとも俺にはメリットは感じない。
「少し長くなるかもしれませんから、歩きながらお話ししましょう」
そう言って、花さんは歩き出す。
俺は彼女の歩幅に合わせながら、ゆっくりと足を動かし、ついていくことにした。
「記者さんは、楽しい記憶ってどんなものだと思いますか?」
「そうですね、やっぱり、親しい人と一緒にいるときとか、恋人と過ごしている時とか、あるいは娯楽を体験している時、とかでしょうか」
「私もそうです。特に、私には恋人がいるのですが、彼と過ごしている時間はとても楽しい」
「ですが、記憶を消してしまっているのですよね?」
「はい。私が最初に記憶を消したのは、中学2年生の頃でした」
花さんは昔を懐かしむように目を細めて、続ける。
「今の彼氏と私は、同級生でした。学校の生徒数は、小中併せて100人程度の小さな学校で、学年ごとにクラスは一つで、人数も10人程度しかいません」
「当時からお付き合いされていたのですか?」
「いいえ、彼と付き合い始めたのは、中学3年生の頃です……当時はまだ、仲がいい友達、というだけでした。それまでは、私の片思いです」
「なるほど」
「………ある日、私は彼と一緒に、旅行に行きました。といっても、ちょっとした修学旅行です。北海道に行きました。私が初めて消した記憶は、その北海道に行った時の記憶です」
「北海道に行ったということは覚えているのですね?」
「はい。消したのは、彼と北海道で何をしたのか、何を話したのか、何を楽しんでいたのか、ということですから、移動したことや、行くまでの過程は覚えています……きっと、楽しかったのでしょう。だから記憶を消したんです」
「楽しかったのなら、なぜ記憶を消したのですか? 楽しいなら、それは思い出だ。大切なもののはずです」
「大切、という感覚が、私にはありません。むしろ、この町の人たちに、大切な思い出という感覚は、ないと思います。みんな、私と同じように『楽しい記憶』を消していますから」
何でもないかのように笑いながら語る彼女に、俺は少しだけ足を止めそうになった。
彼女と、距離を置きたくなった。
自分とは違う価値観、思考性を持つ彼女が、何か恐ろしい存在のように思えたのだ。
人間は、自分が理解できない存在に恐怖を覚えることがあるというが、まさしく、俺は彼女の―――この町の人間に対して、俺は全く共感することができない。
しかし、同時に、俺の中に生まれるのは好奇心。
怖いもの見たさ、というのだろうか。オカルト記者をしていると、こういった感覚に襲われることは、よくあることだ。
俺はまさに、彼女達のことを知りたい……理解はできなくても、知りたいと思うのだ。
「うまく言えないのですが、そうですね……ところで、私は本が好きです。小説が好きです。特に私の彼が書いた小説なんかは、本当に面白いですし、楽しい。幸せだと感じます。鈴木さんは、何か好きな物とか、ありますか?」
「俺の好きな物、ですか? そうですね、友人と一緒に遊びに行くこと、でしょうか」
「ティスニーランド、とかですか?」
「そこにも行ったことはありますが、一緒に本屋に行って、本を探したり、読んだ本の感想を言い合うことが特に好きですね
「そうですか。では、その次は?」
「その次?」
「本を探して、感想を言い合う……その次に好きなこと、楽しむことは?」
「温泉が好きですね。あとは、そうですね……記事を書くことが好きです。読者に読んでもらえてうれしいと感じます」
「その次は? またその次は?」
「ちょ、ちょっと待ってください。行き成り言われても、好きなことなんて、そうたくさん出てきません」
好きなこと、と言われても、人間が『好き』になることなんて、数が限られる。
人生は短い。だからこそ、限られた好きなことに全力を注げるし、楽しいと思える。
「そうです、好きになれることは、そう多くない」
花さんは続ける。
「その数少ない『好き』のために、私たちは記憶を消します。好きだからこそ、記憶を消すんです」
花さんは立ち止まり、俺の方へと向き直る。
――――好きな映画を見た後、記憶を消してもう一度楽しみたいと、思ったことはありませんか?
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