星空と旅

げっと

前編

いつか、あの星空の中を泳いでみたいな。


望遠鏡を覗きながら、そんな夢を見る少年がありました。


漆黒のキャンバスに浮かぶ、白金のようにきらめく星を望遠鏡で追いかけながら、

少年は星々の海に思いを馳せるのです。


誕生日に買ってもらった望遠鏡を覗き込んでは、

お小遣いを貯めて買った星空図鑑とにらめっこ。


この星座はいまどこで見られるのだろう。

あの星はどんな名前がついているのだろう。


期待を胸いっぱいに膨らませ、望遠鏡と図鑑を交互に覗き込むのです。


しかしそんな夢と美しさに溢れた世界の話を、

楽しみにしている友達が少年にはありません。


学校に行けば、よく話す友達は多からずいるけれど、

その大体は昨日見たテレビの話、友達の噂話。

あるいは、一緒に遊ぼうよとのお誘いの話。


星空の話になったらば、夢の中に迷い込んでしまうみたいでして。

返ってくるのは、いつも朧げな相槌ばかり。


船を漕いでいる場合じゃないんだってば。

ぼくはいますぐにだって、泳ぎに出掛けたいのに。


一緒に楽しめる友達が居ないことを、寂しく思っているのでした。


夜の帳も降りきって、一番星も見えなくなったある日のこと。

満面の月が町を照らす、そんな夜。

いつもならとっくに寝る時間なのに、

少年はなぜだかすごく落ち着かなくて。


少年はおもむろにベッドから這い出すと、

今日一緒にアルクトゥルスにスピカを見つけた望遠鏡あいぼうが、

片付け忘れられ佇んでいるところを見つけました。

片付けようと思ったけど、でもその前に一度だけと覗き込んでみた、その時。


翡翠の光が一筋、にわかにレンズ越しの空を横切ったのです。

流れ星。

橙色ならおじいちゃん星で、穏やかで優しい約六千℃の炎。

青白いならお兄さん星で、若く元気な約一万℃の炎。

そう図鑑に書いてあったけど、翡翠の光は見たことも聞いたこともありません。


なんだろうあれ。


思わず叫びそうになりましたが、今は夜も深くなった頃。

そんな時間に叫んだらば、怒られるに違いありません。

少年は口から飛び出しかけた興奮を喉元にもどして胸に押し込み。

もう一回来ないかなと、また望遠鏡を覗き込みます。


しばらくすると、似たような光が散り散りにやってくる様子が見られました。

夜空のキャンバスを彩る新しい色に見入っていたその時、

こちらに向かってきているものがあることに気づきました。


もしかしたら、おっこちた流れ星を見られるかも。


興奮冷めやらぬ心持ちのまま望遠鏡から目を離し、観察を続けます。

やがて光は近くの砂浜にぽすっと落ち、

砂浜の中でぼうっと明滅するのを繰り返すのみとなりました。


少年はもう堪らなくなって、外の世界に飛び出しました。

月の光の降り注ぐ世界は音の一つも立たなくて、

空気も冷ややかで澄んでいて。

いつもどおりの町並みを歩いているだけなのに、

まるで別世界に迷い込んでしまったように感じたのです。


元は太陽と同じ光のはずの、月の光に照らされて、

夜の凛とした少し冷たい空気にも触れられて、

一層、特別な大冒険に踏み出した時のような。

そんなうきうきとした気分のまま、

砂浜に向かって駆け出しました。


坂を駆け下り、雑木林の間を縫い、

その先に広がる砂浜に、少年は飛び降ります。

砂が足の親指と人差し指の間に挟まってきて、

ようやく靴を履いていない事に気付きました。

乾いた風が頬を、髪を、肩を撫でつけてきます。


このあたりに、流れ星が落ちたはず。


目立つはずの翡翠の光を見つけてまもなく、

少年はこの砂浜にもうひとり、女の子がいることに気づきました。


こんな時間に他の子に会うなんて。だれだろう。


少年はその子に近づいてみます。

細身で、自分より背が少し高そう。

全身をぴっちりと覆う、のっぺりとしたような、

つやつやしたような、不思議な質感の真白な服。

胸元に光る、八つのぎざぎざがついた星のネックレス。

肩まで伸びた、月白の髪。

流れ星に似た、翠玉の瞳。

あどけなさを残した、でもすこし大人っぽくも感じる顔つき。


とてもきれいな子。

まるで、絵本とかテレビから飛び出してきたみたい。


などと少年は考えていましたが、やがて、

彼女がこちらの様子も気に留めることもなく

ただぼうっと空を仰いでいることに気づきました。


空を見上げる理由なんて、

少年にとってはただひとつ。

胸を高鳴らせながら少年は、

思わず聞いていました。



ねぇ、君も、星が好きなの?



にわかに聞こえたその一言に、

少女は驚いたような表情を見せました。


一時は驚いたような顔をしていましたが、

やがて少女は話し始めます。時折空を、指差しながら。

ただ、少なくとも少年が知っている言葉ではなかったようで、

何を話しているのかがわかりません。

ただ話す彼女は両目に輝く翠玉を赤く腫らし、

溢れる雫を頬につたわせ落とすのです。


何かがあって困っているのだと、

自分より年上に見える女の子が、

泣き出したくなるくらいには不安なのだと、少年は受け止めました。


少女はにわかに話を止め、

慌てた様子で何かを探すように背中へ腰へと手を動かしたのですが、

やがて落胆したように膝をかかえなおし、

瞼を膝にうずめてしまいました。


少年は、なにか力になりたくて、

必死に考え込んでいました。

話しながら彼女は時折、砂浜に落ちた翡翠の光をちらりと見やりますし、

聞いたこともない言葉に、見たこともない色の光。

見たことのない女の子。

落ちてきた翡翠の流れ星たちと関係がないとは、

到底思えませんでした。


でもそれが何者か。

流れ星である以上のことなんて知りようもなく、

指を唇に当てて唸ってみたり、指で頭を押さえてみたり。

何かが分かるわけでもなく、いいアイデアなど思い浮かばなかったのですが、

そんなことしか出来ませんでした。

不意にあたりを見回してみると、少し遠くにもう一つ。

少年は、砂浜に輝く翡翠の光をもう一つ見つけました。


ちょっとまっててね。


そんなジェスチャーをしてから少年は、光の下に駆け出します。

少女は気づいた様子もなく、

時折嗚咽を漏らしながら、ただ膝を抱き込んで顔を埋めています。


もう一つ見つけた、翡翠の光。

持っていったら、少しは喜んでくれるかな。


期待を胸に、少年は走ります。

裸足で砂を蹴り出して。

貝殻の浜を飛び越えて。

時折、木なんか踏んづけて。

一意専心に走り続けます。


やがて光の下にたどり着いた少年は、

そこに翡翠に光る石を見つけました。


女の子が見てた石と、同じ色。

でもこっちのほうが、少し大きいかも。


そんな事を思いながら拾いあげ、

また、少女のもとへ駆け出しました。


戻ってきたときには

膝に顔をうずめたままの少女に向かって、

拾ってきた石を差し出しました。

その手に煌々と輝く翡翠の光をみた少女は、

目をまんまるに見開き、

次の瞬間に、その石をひったくってしまいました。

そして近くにあったもうひとつの翡翠の光を拾い上げ、

手にした二つを胸元に放り出したのです。


二つはゆるやかに浮かび上がりながら引かれあい、

お互いを振り回すように回転しながら、

その距離を徐々に縮めていきます。

やがてふたつがぴったりと重なり合うと、

不思議なことに、一回り大きな一つの塊となりました。

そして重力の存在を思い出したか、

あるいはぷつんと何かの糸が切れたように、目の前で落ちていきました。

少女はちょっとあわてて、体の前でキャッチします。


掌の上で煌めく翡翠の光は、まだちょっと頼りないけれど。

集めていけば、何かがわかるかも。

集めていけば、何かがかわるかも。


二人は希望を見出しました。

そして改めてあたりを見回すと、

そこかしこから翡翠の光のきらめいてるのが見えるのです。


ぼく、このあたりに住んでるんだ。

だから、このあたりのこと、案内できるよ。

一緒に探そう。手伝うよ。


少年はそう言って、少女の手を両手にとりました。


もし、ぼくの言葉が分からなくても、

でも心が伝わっていてほしいな。

伝わったら…あれ、ちょっと恥ずかしいな。


少年はにわかに照れくさくなって、少女の手を取ったまま、

踵をめぐらせて歩みはじめました。

少女は眼の赤を頬に移して、

引かれるままに歩みはじめました。

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