自由を張る様

シヨゥ

第1話

 父は型にはまらない人だった。自由人ともいえる。そんな父に母と僕は振り回されっぱなしだった。

 自分が生きやすいように生きる。それが父のモットーだった。そんな父だから仕事については辞めを繰り返し最終的には自営業に落ち着いた。あれは小学校に上がるころだったと思う。


 そんな父にある時愚痴をこぼしたことがある。小学校3年生ぐらいだったか。いじめという流行り病が僕を襲ったのだ。それで愚痴をこぼしてしまった。

「学校が辛い? なら行かなければいい」

 それに対する父の反応はそんな分かりやすいものだった。

「いいの?」

 と聞けば、

「辛いのに無理していっても何もならんだろう。休め休め。勉強なんて家でいくらでもできる」

 と返ってくる。そんなもんかと思っていたら、翌日には大量の教本が届いていた。呆気に取られる僕と母を前にして、

「中学卒業までに学ぶ範囲の資料だ。お前をいじめる奴とは少なくとも中学まで絡むことになるだろう? なら中学まで行くな。義務教育期間に落第なんてないんだから」

 と父は言った。

「高校は遠くの高校を選べ。そして誰よりも頭のいいところに進学しろ。そうしたらいじめる奴らはついてこないし、小中不登校っていう世間的には不名誉な肩書もかき消される」

 理解が及ばないスピード感でものごとは進んでいた。父なりに僕の生きやすさを考えた結果だったのだろう。そこまでお膳立てされては従う以外になく。僕の学校生活は約7年の空白期間に入った。

 これは余談だが、こういう引っ張られたらそれに従うし、それをかっこいいと思うのは母の気質を受け継いだからだと思う。


 本筋に戻そう。結果として僕は遠方のかなりレベルの高い高校に進学し、ヒーヒー言いながら勉強をしている。脳味噌が筋肉で出来ているような阿保はおらず、非常に快適だ。知っている顔もいないため伸び伸びやれるというのもまたいい。

 残念なところが一つ。父がもういないことだ。生きやすいように生きた結果、衝突も多かった父。不運にも昨年の12月に殺害されてしまった。

「受験を控えてなんで病院に来ているんだ」

 息も絶え絶えの父は病院に駆け付けた僕を𠮟りつけるようにそう言った。だから僕は、

「見舞いたいから見舞いに来た」

 と返した。すると父の口角がわずかに上がる。きっと笑ったのだと思う。そしてそのまま意識を失い帰らぬ人となった。

 自由に生き、自由に死んだ父。真似のできない生き方をやり遂げたと思うと本当にお疲れさまと言いたい。ただもう少しその背中で僕にその自由な生き方を語ってほしかった。

 ああはなれないが、ああなりたい。父親像とはかくありたい。そう学ばせてもらった気がする。

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自由を張る様 シヨゥ @Shiyoxu

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