34話 逡巡と信心

 頬に滴が落ちて意識が戻る。どうやら手足を縛られて冷たい石の上に倒れているらしい。


「貴女が偉大なる戦士、ですか。思ったよりかわいらしいお顔立ちをされているのですね」


 顎を掴まれ上を向かされ、薄暗い視界に映ったのは怪しく笑うダークブロンドの男。カーディナルレッドの礼服に身を包み跪いて俺を見ている。


「その華奢な体に宿る戦況を変えるほどの力……非常に気になります。是非教えていただけませんか。我が主の本願を叶える最適解のような気がしてならない…………特にあなたの力が」


 華奢だの貴女だのかわいらしいだの男に何言ってやがる。寒いこと言うそいつにいら立ちを隠せず俺は顔を背けて手を振り払う。


「そうだそうだ。いち早くあなたにお見せしたいものがあるんでした。こちら、なにかわかりますか」


 カサっという音がしたからそれを横目で見遣ると、白いリボンで結ばれた黒の髪束がそこにあった。

 瞬間、冷や汗が額に滲む。何故なのかはわからない。けれど、目の前にいるこの男に対してもてあますくらい大きな憎悪の感情が起こる。


「貴女と揃いの美しい髪ですね。ダフネ……というのでしたっけ。実に素敵な息子さんでしたよ。どれほどの苦痛を与えられても貴女を守ることだけを考えておいででした。ですが……そろそろ限界を迎えるかもしれませんね。貴女を守れるのならきっと今すぐにでも自害しそうですし」


 そのまま鼻歌でも歌うようにそう口にする。

 あぁ、こいつが憎い。

 俺の…………いえ、


「教えていただけるのならわたしがあちらさんに口添えなどして差し上げますよ。どうしますか?」

「あなた………誰なの」

「わたしですか?そうですね………わたしは皇帝の道具です」




 ────────────────────





『ゴォォォォン……』


 早朝の鐘の音で目が覚めた。夜の暑さで寝苦しかったのか体全体がなんだか汗ばんでいる。こんな目覚めの日は嫌なことを思い出す。ディディエと離れる前の寝つきが悪かった日と状況が似ているから。

 おまけに嫌な夢を見た気がする。内容はよく思い出せないが……


(切り替えろ。引き摺ってる場合じゃない)


 ウェルナリスの件が解決して、王都に帰ってきてから目立った進展がない。ゴッシェとも連絡が取れないし、シルトパットに会って情報をもらうこともできない。なぜなら………


「おいエスティー!まだ寝ているのか!仕事の時間だぞ!!」


 そろそろだとは思っていたが、やっぱり朝っぱらから大きいコリンの声が扉の向こうから聞こえてきた。

 畳んであったシャツを着て、ラピス衛兵の外套を羽織り俺は扉を開ける。


「今日のお前は教会の清掃をすることになっている。太聖会の準備、気を抜くんじゃないぞ!」

「……承りました上官殿」


 そう。最近このなんちゃら会の所為で掃除だのお祈りだの雑用を詰め込まれて、修道院から出れていない。10年ぶりだからとかなんだとか知らないが、コリンも他の修道士たちも張り切っていてめんどくさい。

 それに加え、期間中はずっと着用しているらしい赤の礼服も起き抜けの瞳にはチカチカして煩わしい。しかも今日は……なんだか無性に腹立たしい。


「コリン様、急ぎお伝えしたいことが」

「あぁわかった!すぐ行く。エスティー、姫様は部屋でお祈りをしているから教会の方に行って仕事を確認したのち、目覚めの挨拶に向かうのだぞ」


 呼ばれて足早に去っていくコリンを肩越しに見遣りつつ、俺は伸びをして外へ出た。

 東の空がうっすら色づくこの時間は気温も低く、風が気持ちいい。忙しいこの頃のことは一旦忘れて自分の行く先のことを考えていた。


 あの時、シルトパットから告げられたタイムリミットが刻一刻と迫っている……それまでにディディエに会えないと俺は殺しをした人間になったあとで彼女と会うことになるから。


 殺す…………そうか。そういえば俺って、キャンディッドの暗殺任務でラピスに来たんだ……。

 時が来たら、あの日をやり直してあいつを殺すことになる。ではないあいつを。

 石を取ってこいと言われている。任務通りだ。

 そうだけど……やっぱりあいつはキャンディッドじゃない。


 扉を開け前を見据える。薄暗い中でも祭壇に佇むそいつの姿が見えて、不意を突かれた俺は少し驚く。向こうも気がつき弾かれた様に顔を向け、ブロンドの髪がふっと揺れた。まだ黒のベールをしていない。久方ぶりに赤と紫のオッドアイがよく見えた。


「朝からご立派なことだなキャンディッド。神なんて信じてないだろ」

「おはようございますエスティー。どうでしょうね。最近、信心深くなったかもしれません」

「なんでだ」

「いいことばかり起きているじゃないですか。ウェルナリスの件といい、あなたを護衛にできたことといい」

「へいへいそりゃどーも」

「お探しの修道士たちはまだ来ていませんよ。試しにあなたも祈ってみてはどうでしょう」

「祈りはしないが……最近疲れてるし瞑想ぐらいしてみるか」


 最前列に腰かけて目を瞑るその前に、祭壇に立つキャンディッドの背中を見て、不快に胸がざわつく。

 この感覚には覚えがあった。ラピスに来た時と同じものだ。

 振出しに戻った気がしてきた俺は、余計なことを考えないように静かに目を閉じた。

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