17話 偽り、重ねる

 山から街へ行きついた頃には日がすっかり沈んでいて、ウェルナリス歓楽街は丁度人がやってくる時間帯だった。

 石畳の上を実に様々な出身の人間が歩いている。

 だが、その一本横の裏路地に入るとあんなにいた人は嘘みたいに見当たらない。

 場所を間違えたかと思い歩いていると……突き当り、息をひそめるように灰の壁の酒場が建っていた。

 明かり一つ漏れ出ないそこは遠目から見ても異様だ。

 固く閉ざされた木のドアを押し開けると、薄暗いランプの光が射し込み、安っぽい葉巻の匂いが這いより絡みつく。

 カウンターの向こう側にいる長身の男と目が合った。

 俺をちらりと一瞥して深々と礼をすると低く荒い声が飛んでくる。


「……らっしゃい。ご注文は」


 店主は白く細身だが見ただけでかなりの強者だとわかる。


(……なんだか、ブルート兵を敵に回したみたいな感じだ)


 言いようのない緊張感に飲み込まれないように浅く息を吸った。そしてこの手の店の作法通りの言葉を告げる。


「人を待たせてもらう。ジンをくれ」


 それが、情報を求めているという合図だと当然この店の客は知っているわけで、薄暗い闇の中から射るような視線が体中に突き刺さる。

 だが……


「……カウンターどうぞ」


 店主がそういった瞬間、雰囲気が変わった。

 何かを避けるように各々席を移動するガタガタとした音が聞こえてくる。

 隠語のようなものは特になかったはずだが……どうしてだ?

 怪しむ俺に考える隙を与えないためか、黄金の酒が揺蕩うラピスグラスがすぐさまカウンターに置かれる。

 腑に落ちないところはあるもののお粗末な木椅子に腰かけ、差し出された酒を手に取り、喉に流し込んだ。

 焼けるような熱さが体の中を駆け巡る。

 何かを忘れるにはちょうどいい味のそれを久しぶりに飲んで、なつかしさに浸る。

 すると……


「お酒に強い男の人って素敵~」


 背後から聞こえたその声は、わざとらしく裏声で何より間延びした間抜けな語尾。

 確認しなくてもわかる。

 飲みしくじった酒にむせてせき込みながら急いでそいつの方に向き直った。


「……!!スフェーんぐぅぅっ!」


 言いかけた口にバゲットを突っ込まれる。

 今度聞こえてきたのは、暗い酒場に不似合いないつもの男の声。


「ちょいちょいちょ~い俺は今旅芸人のベンジャミンっていう名前で通ってるんだから」

「……どう見てもお前はベンジャミン顔じゃねぇだろ」

「いやいやベンジャミン顔って何さ!?」


 旅芸人のベンジャミンはいつもの軍服ではなく、ボロのシャツとボロのズボン。右腕には籠手をして腰には鉄笛をぶら下げてと……なんとも身軽な格好をしていた。

 グラスを置いてから俺の隣に座るといつも通り軽い調子で


「そんなことよりエメ~手紙見て心配してたんだぞ~?大丈夫なのか?」

「あ」


 置き去りにしていた不安要素をこの一瞬で思い出す。

 そういえばグリシャに持ち去られたあの白紙の手紙っていったいどうなったんだ……?

 今俺の目の前にスフェーンがいる意味を考えると、生きた心地がしない……

 冷や汗が背を滑り落ちていくのを感じる。

 動揺を悟られぬように笑顔を浮かべつつも、内心ではスフェーンの次の言葉に身構えていた。


「お前……」

「……っ」


 ギュッと目を閉じたその時


「お姫様に見初められちゃって殺せないんだろ?」


 ……

 ………………今スフェーンが何を言ったのか、正直意味が分からなかった。


「あ?」


 数秒経ってようやく頭の中で状況整理が追い付いたが……追いついたところでやはり意味が分からん。


(どっからでてきたんだ……?そんなもん……)


 白紙の手紙になんで手品のように内容が書かれている?しかもその内容はなんだ?頭の中の混乱は考えれば考えるほどこじれまくっていたのだが、その瞬間俺はあることに気が付いた。


(そう言うことにしておけば……作戦は進行中になってディディエの捜索に集中できるんじゃないか)


「あぁあぁ!そうなんだよな!そうそうなんかなそんな感じになっちゃってちょっと今作戦練り直し中なんだ!」

「……なるほどぉ?そうなんだ」


 スフェーンのアッシュグリーンの瞳が狙い定めるように細められ、口元がきれいな弧を描く。

 まずい。感覚的に身の危険を感知する。

 この表情は、何か見透かしてる時にするやつだ……


(スフェーン相手に無謀だったか……?)


 今回もまたばれてしまうのか、そう思い次の手を考えていたが……あいつはいつものような間抜け顔にもどり


「命の危険はないんだよね?」

「……あぁ大丈夫だ」

「それなら、いいんだ」


 聞いたことのない声音が妙に耳に残った。

 明らかにスフェーンの様子がいつもと違い、俺は戸惑いつつ様子をうかがおうと口を開いたが、先にスフェーンが言葉をかぶせる。


「んで?なんでここにエメがいるわけ?こんな危険な所にエメみたいな子がきちゃだめでしょうが」

「だ、だれが子供だ……お前より酒は強い。情報を取りに来たに決まってるだろ。それより……」

「何について?俺が教えられるものなら答えるけど?」


 なんとなく、悟る。

 この野郎あからさまにはぐらかそうとしてる……今もにらみつける俺のことなど気にせず、きれいな笑みを浮かべて見つめている。

 これ以上の追及はただの無駄だろう。


(変なとこ強引なんだよな……スフェーンは)


 相変わらずつかめない同期のことは諦めて、本来の目的を思い出す。

 ……情報を得る。それだけならどこの出かもわからない情報屋より、スフェーンの方が適任だ。


「……この辺に深い湖はあるか?」

「あるねぇ。ラピスゴーネル国境の緩やかな山脈が隣の領地まで続いてるでしょ?

 一つだけ大きい山があるんだけど、そこに湖があったかな?カルデラだからものすごく深かったはず。めったに人は寄らないけどね」

「じゃあ最近、森が枯れる怪奇現象とかは無いか?」


 それを聞くや否やスフェーンは驚いたように眉を上げて瞳を見開いた。グラスの水を口に含み飲み込んだ後、口から出たのはいつもの早口。


「随分ピンポイントなその事件どうやって知ったの?

 確かに最近その湖付近からだんだんと麓の方面に森が枯れていってる。獣の死体とかも確認されたんだって。おそらく水中に溶けて濃縮された火山の有毒ガスが森に流れてるんじゃないかって見立て」

「現場を確認した人はいるか?」


 そう聞いた瞬間、良く回る口が止まった。

 苦笑いを浮かべ目が左へ泳ぐ。

 わずかな沈黙の後出てきた言葉は最悪の答えだった。


「……見立てはあるけど…現場はね~……枯れる原因を探りに行った人は、誰一人生還していない」

「……」

「なにせ山の中だし、不気味なことが立て続けに起こってるから、もう誰も近づいてないんじゃないかな?」


 店主に話を振るスフェーンの横で俺は深くため息を吐いた。

 今この時、最悪の予想が最悪の事実になってしまった。

 ハイドラが。伝説の化け物が、あの山にいる。

 もし、いや……考えたくはないが、ビアンカも枯れる原因を探りに行ったとしたら?ビアンカも……そして


(可能性はゼロに等しいがディディエも……)


 いや、やめよう。確認するその時まで、不安は足かせになるだけだ。

 かぶりを振って、酒を流し込む。


「ス……ベンジャミンはそれを探りに来たのか」

「俺は違うけど?」


 わずかな望みに賭けたがあっけなく打ち砕かれる。

 スフェーンは自分の仕事中だ。互いの任務を邪魔しない、それがブルート兵の暗黙の了解だということはとうに知っている。

 ……この状況は俺一人でなんとかするしかない。


「……最後にもう一つ。グリチネの神話について改めて聞きたい」

「あんなに習ったのに忘れちゃったの?エメは相変わらずこっち系弱いね~」

「うるさいうるさい」

「優しい優しいベンジャミンが教えてあげるよ。

 ヘクセ教が一神、時の魔女エリザ・グリチネ……彼女の親は水の神と呼ばれる怪物だった。偉大なる魔女の中で最も魔力が強く、どんな妖精もどんな怪物も彼女の前にひれ伏した。

 そしてもう一つの力、物体の時を操る彼女の力とでブルートの森は木々と水源がいつまでも枯れない楽園になった」

「それで城の天井画には三つ首の竜を従えた魔女が描かれている、だったな」

「そう、この大陸最強の怪物であり彼女と血縁関係のある三つ首のドラゴン」

「「」」

「ずいぶん懐かしい話じゃない?兵隊おれたちみんな小さいころはヒュドラを倒せるくらい強くなるぞって言ってたっけ~本当にいればの話だけど」

「そう……だな」


 頭の片隅にまだ信じていない自分がいる。だけど、証拠はいると告げているのだからそれなりの覚悟を決めなければならない。


(……どうする。ビアンカを見つけるためには避けることもできない、戦ったら確実に負ける……どうする)


 黙りこくって考えを巡らせていると、今度はスフェーンが問いかけてきた。


「エメはしばらくここにいるの?」

「あぁもう少しな。俺もその山に行くことになるかもしれねぇ」

「……ということは隣りの領に」

「あ?隣りの領がなんだ?」

「ん~……なんでもない」


 何でもないなら質問なんてしないだろ、と口を開きかけたときもっと単純な疑問が浮かんだ。

 ヒュドラのことで来たのではない、じゃあ……


「そういやお前、なんでここにいるんだよ。別件で王都にいるんじゃなかったのか?」

「まぁそのはずだったんだけど?なかなか情報がつかめなくて、アプローチを変えてみようと思ってさ」

「それで?なんで酒場ここに……」

「聞きたいことはもうないよね?こんな酒場に長居しちゃいけないでしょ?」


 先ほどと同じ強引さを感じてスフェーンを見ると、顔には有無を言わさぬ圧を感じる笑みが張り付いている……


「……お前なぁ」


 いい加減文句を言ってやろうと思っていたら、いつの間にか会計が済み、いつの間にか席を立ち、俺は外に出ていた。

 口をとがらせて後ろを振り向くと、爽やかな笑みを浮かべる金髪の色男が木の扉に寄っかかって手を振る。


「お姫様にかどわかされるなよ~」

「……いつか絶対勝ってやる」


 聞こえないようにつぶやいたはずなのに


「無理でーす。俺の方が背も大きいし年上だから~」


 という要らん返事が聞こえてきた。


「かんけーねーだろ!!」


 俺の様子が可笑しかったのかスフェーンは肩を震わせてくすくすと笑っている。


「またね、エメラダ」


 状況は最悪なのに、なんだか肩の力が抜けてしまうからスフェーンは厄介だ。

 自分の名前はバゲットでふさいだくせに、最後に俺の名を呼んで扉の向こうへと姿を消した。



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