13話 きせきの追憶~迎え~
薬屋を立て直し、商売を再開してからしばらく経ち、木々の葉が紅く色づく季節になった。
この頃気温も下がってきたし、いつもの川の水も冷たい。
来る冬に備えて俺たちは商売を早めに切り上げ、着々と支度をしていた。
ぱちぱちと燃える炉端。
ぼんやりと明るい中で闇に溶け込む黒髪とは反対に、くっきりと浮き出ているシルクの真っ白なワンピース。
袖を通したディディエは水色の目をキラキラと輝かせて裾をチョンとつかんでいる。
「きつくないか?」
「うん。私、こんなにきれいな服を着たの初めて」
「…俺が作っただけのもんだ。そんなにすごいもんじゃ」
照れくさくなってつい卑下するようなことを言うのをディディエは許してくれない。
話している途中いつの間にか満面の笑みを浮かべた顔が間近に迫り、頬が熱くなって何も言えなくなる。
「きれい、嬉しいの。ありがとう」
じりじりと焼けこげるような感覚とろうそくにそっと火をともしたような感覚が同時に全身を巡るから今でも変わらず、視線が合うと落ち着かないけど嬉しい。
はつらつとしていてもどこか柔らかなこの笑顔が見たいから、俺はなんでも頑張ってしまう。
「もう一個ある…後ろむいて」
背に垂れる黒髪を掬い上げいつか母さんがしていた編むような方法で丁寧に結い上げた。
結った髪を肩に流し、赤色と水色のストライプリボンにグランディディエライトをあしらった髪留めを見せる。
「すごくきれい…」
「アクセサリーとかお前にあげたかったから」
「ありがとうエスティー…ずっと大切にする」
髪留めを両手で包み込んでディディエは笑顔で振り向いた。
「エスティーはなんでもできるのね。すごいわ」
「自分でなんでもできないと不便だから」
「じゃあ、エスティーができないことって何?」
「……な、ないよ」
頭の中で一通り考えてみても、特に思いつかない。だけど、ディディエはいたずらっ子みたいに笑って
「私は知ってるよ。だから苦手なことは私が請け負うね」
「何?教えて」
「直してほしくないから言わない」
「何それ、ますますわかんなくなった…」
笑いながら火の始末を済ませると、困惑する俺の手を引いて寝屋へと向かい、隣り合って仰向けになる。
「今日は大丈夫かな」
ディディエがぼそりと呟いたのは、最近の俺の寝つきについてのことだ。
ここ最近、目が勝手に変わったり、変な夢を見たりする。
夢の内容は暗闇の中、籠ったような誰かの叫び声が聞こえるというだけのものなのだが、隣で寝てるディディエが言うにはその間俺は苦しそうな呻き声をあげて、体中汗をかいているらしい。
そのたびに熱さましの薬草を使って俺のことを気遣ってくれるのだ。
「わからない。けど、薬草もそろそろ切れるだろ。そもそも風邪じゃないから使わなくてもいいよ」
「だめ。使ったら少しだけ苦しそうじゃなくなるの。だから止めても聞かない」
頑固だな、そう心の中でつぶやいたのを見通したのかはわからないけれど、ディディエは俺の頬を包み込んでそっと優しいキスを落とした。
「おやすみ、エスティー」
「……おやすみ」
想ってくれるディディエの温かさに身も心もゆだねて、瞼を閉じた。
闇の中から、声が聞こえる。
今日は不思議なことに、時がたつにつれて段々はっきりとした言葉が音が飛び込んでくる。
「……………まを!………ちどきせ………………だ!」
男の声だ。熱に浮かされ、早口でまくしたてているように聞こえる。
「…………れば……なたもぶ……とは……ないし……のこは…ものでも………てしまう!」
必死に叫ぶその女の声に、俺は覚えがあった。
荒々しいけど、間違いない。不思議な響きを持った、女にしては低い声。
「ちが…!…………して…ってくれな…んだ……………ジゼル!」
かろうじて聞き取れたその名前は、亡き母の名前だった。
俺は、何を見ているんだ。これはなんなんだ。
「君が…ても僕はやめ……い…ぁ目を……して君は…のよの…せきになるんだ。い…いなる…じょよ………ちどこの地に!」
「……めて!おねがい!」
母さんと話しているこの男は、もしかしたら……
「やめてジュリアス!」
「……父さんっ!」
叫ぶと同時に俺は跳ね起きた。
(何、今の…)
父さんは、俺が生まれたすぐ後に死んだはずだ。
あれはなんだ、いつの記憶なんだ。どうしてそのころのことをあんなにはっきりと思い出せたんだ。
どくどくと音を立てる心臓を落ち着けるように深呼吸し、まだ熱い涙が溢れそうな目を拭う。
頭の中がかき乱されて、不安でいっぱいになる。
震える指先で隣を探るが、あの熱が伝わってくることはない。
「ディディエ…?」
いたはずのそこはすっかり冷えていて、俺は行き先に気が付き寝屋の隅っこに視線を移す。
やはり、薬草を取るあの籠がない。
「外か」
切れたから取りに行ったんだ。念のため薬棚を確認すると案の定熱さましの薬草は空。
俺を心配しての行動だとはわかっていても、不安が先に立つ。
早く迎えにいかないと
扉を開けて外へ出ると、あたりの様子が明らかにいつもとは違っていた。
(なんだ……やけに人が多いな)
正確に言うと、馬車が列をなして道をふさいでいる。
国境の村だから、馬車の通りは珍しくない。だけど、この時期にこの数の馬車がいるのは異常だった。
不意を突かれたのと、焦っていたのとでいつもできていることができなくなって俺は馬車の後ろにぴったりとつく歩兵の一人と視線が合ってしまった。
「黒髪の分際で邪魔をするな!」
瞬間、背筋が凍り付く。
幾度となく向けられてきたものだった。だけど今は防ぐすべがなくて判断が遅れた。
「忌々しい異端者が…!」
閃いた銀の刃から必死に逃れようと飛びのいたその時、金属と金属がぶつかる音が鼓膜に突き刺さる。
恐る恐る見上げた先には風にはためく紅いマントと赤毛。
静かで涼やかな声が張り詰めた空気の中に溶け込む。
「こんな小さな子を躊躇いなく斬りつけようとするなんて、あなたこそ悪魔か何かなんでしょう?」
「無礼な…!俺が仕えているのは!」
「兵隊さん、これが何かわかりますか」
「ひ……!」
背中の向こう側で何が起こったのかはわからないが、俺を斬ろうとした歩兵は腰を抜かして逃げ帰っていった。
剣を鞘に納めるとマントの男が振り返って俺に笑いかけた。
短い赤毛で眼鏡をかけたその人は17歳くらいに見える男で、白いシャツもチェックのベストもしわ一つなく着こなし、藍のズボンと腿まである黒いブーツが縁取る足は長く、華奢だ。とてもさっき剣を受け止めた人物とは思えない。
「この頃の国境は危ないよ。遠路はるばる来たのに突っ返されて、気が立ってるおじさんたちが跋扈しているからね」
「どういうこと」
「ラピスで戴冠式が延期になったんだ」
男の言葉を聞いてこの馬車の列にある種納得がいった。よく見ればどれもてかてかしてて高価そうな貴族の馬車だ。
「ねぇ君、ジュリアスの家って知ってる?」
男が突然そう言った。夢の直後だったのもあって心臓が大きくはねる。
俺が何か言う前に男の顔は明るくなって
「知ってるんだね!案内してくれないかな?僕は彼の商売仲間だったんだ」
「いや、そこだけど」
俺の家を指さすと男は首を傾げた。
「薬屋…?えっと、ジュリアスは?」
「父さんはもう死んだよ。ここは俺達がやってるの」
「そう、なんだ…まだあるのかな。僕ね、昔ジュリアスに大切なものを貸したんだ」
初めて会った人間だが、その言葉に嘘はないとなぜか確信していた。真面目そうな見た目だけじゃない、直感的な何かで。
父さんが残したものと言えば一つしかないから、俺は
「それって、宝石?」
と問いかけてみると、しょげていた男の顔はみるみる元気になっていく。
「そう!そうなんだよ!心当たりあるの?」
「父さんが残した宝石ならあるから、あがって見て」
「ありがとう!」
薬屋のカウンターでその人を待たせ、俺は寝屋に隠してあった父さんのカバンを差し出した。
「これに入ってる」
「探してみるね」
カバンの中には手帳とディディエの描いてきた絵も入っている。とてもきれいとは言えない土ぼこりのついたそれを手に取り男はまじまじと見つめていた。
「すごい…!僕この絵好きだなぁ!」
「汚れてるけど」
「汚したわけじゃないでしょ?どっちかっていうと…汚されちゃったのかな?それできれいにしたんだ」
「……あたり」
「僕はパルト。君は?」
にこやかなその男、パルトの気にあてられたのか、俺は言うはずのないことをなんとなく打ち明けてしまった。
「エスティー、エスティー……ポードレッタ」
「ポードレッタ…?でも君はジュリアスの」
「そうだけど、大人になったらそう名乗るからいいの」
「これがもとだね。ポードレッタイト!君の瞳の色とどことなく似ているよ」
「……え」
その言葉に息が止まった。
俺の視界は明るい。起きたばかりで朝だと思い込んでいたけれど、俺の目が紅くなっていたからそう錯覚していたんだ。
証明だと言わんばかりに窓の向こうの夜空には満月が輝いている。
「いま、夜なの」
「…そう、だけど」
「ちょっと…!今何日!?」
パルトが口にしたのはあの夜から三日後の日付で…俺は寝屋の扉を開け、あることを確認する。
(食事、減ってない…)
ということはディディエは三日間帰ってきていない。
ディディエの身に何かあったんだ、そう思い炉端に放っておいた外套を羽織る。
夜の山へ行く準備を進める俺の背にパルトの声がとんできた。
「エスティー……いくつか質問してもいい?」
「何」
「プレラーティという名前を知ってる?」
「知らない」
「お母さんは黒髪?」
「違う」
「…昼間は、瞳の色がエメラルドみたいな緑だったりする?」
「そうだけど」
「……そう、なんだ」
「俺外に出てくる、探し物してて」
ドアノブにかけた俺の手にパルトの骨ばった手が音もなく覆いかぶさる。
「待って。最後の質問」
どんな顔をしているかはわからないけれど、真剣さをまとったその声音に一瞬体が動かなくなった。
「旅に出るなら何を持ってく」
「父さんのカバン」
「うん……わかったよ」
「……!」
刹那、蠱惑的な甘い匂いがして脳が痺れるような心地がした。そのあとで口に何かが押し当てられたことに気づく。
息をふさいでももう遅かった、吸い込んだ匂いが充満していくのがわかる。体の力が強制的に抜けていく。
「ちゃんと、持っていくから」
だまされたと頭ではわかっているのに、聞こえてくる言葉は真実ばかりで、パルトを恨み切れないまま俺の意識は深い深い暗闇に落ちていった。
「……ルチル様、僕たち…遅かったみたいです」
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