6話 アコーニトの契約

 王宮から修道院に戻ると広間では昼餉の支度ができており、あいつは何食わぬ顔で(見えないが)食卓に座って、銀スプーンで掬ったうっすいオニオンスープをベールの下へ一定の速度で運ぶ。

 弱みを握り握られているこの状況で、隣に暗殺者を座らせるなんて……どんだけ肝が据わってやがるんだこの身代わり王女。

 でもまぁ……流石に俺もあんなもんを見た後だから、正直余計なことを考える余裕がない。

 当然飯に手をつける精神も持ち合わせていない!!


(赤石は身代わり……なら青石はおそらく本物の姫の手にある。本物の行方を知るのは協力関係にあるこいつだけ……そこまではわかる。わからないのは、なんで俺に贋物だと知らせたのか……こいつの狙いは一体何かだ)


 敵陣のど真ん中に放り込まれてる今、不確定要素は迅速に処理したい。

 それには話をする必要がある。なのに………こいつ、わかっちゃいたが本当にいつでもどこでもひっついてやがる!

 そのひっつき虫はというと俺の目の前、あいつからは斜め左の席に座り、やたら硬いパンを口いっぱい頬張っている。


「……はぁ」


 だいたいなんだ?なんでお前は警護対象から遠い位置に居て、なんでこいつと一緒にボケボケと飯を食っている……!?護衛なら飯時でも守っとけコリン・ホワイト!

 ワンテンポ遅れて呆れた視線を察知し、毎度相変わらず奴の眉が急勾配で吊り上がった。


「おい、ベルナー!人の顔を見てため息をつくとは何事だ。無礼な……わたしは上官なのだぞ!」

「あ?」


 ベルナーって誰だよ。と口をついて出そうになったが、間一髪で踏みとどまった。

 俺のここでの偽名だったっけな。

 と安堵したのもつかの間、別の災難がこれまた毎度のごとく降りかかる。


「貴様ぁ……!神聖なる食卓の場でもけんか腰なのか!だいたいなんだ!食卓マナーがなっていないではないか!過度に時間を置かず、スープから湯気が出ているうちにいただくのが常識だ!」

「はぁ?そんなもんしr……るに決まってるだろ!じゃない、俺はまだ腹が減ってないんだよ!」

「貴様の腹など関係ない!姫の生活に合わせよ!この祈りの家では姫様こそが基準!護衛なのだから姫のペースに合わせるのだ!」

「あぁ……?これだから常識知らずな伯爵令嬢は……護衛は飯の時間も寝る時間もずらすもんなんだよ普通……!!」

「常識知らずは貴様の方だ!どうやら立場というものを心得ていないらしいな……!」


 白い顔を真っ赤にし、わなわなと震えるコリンが手をかけたのは躾け用の鞭の柄。

 無礼者に教育を施さんと息巻く鬼をほっといていたあいつはようやく匙を置く。


「コリン、私が良いというまで席を外しなさい。そんな胸の内では、食後の祈りもままなりません。エスティーには私からよく言っておきますから」

「……ですがこの者と二人になど!」

「大丈夫ですから。頭を冷やしなさい」


 白い髪が赤くなりそうなほど憤っていた様子がその一言で嘘みたいに萎れる。コリンは俺をギッとにらんだ後、心底不服そうに頬を膨らませ部屋を出ていった。

 あいつをどかしたことで……望み通り話の続きができるようになった。けど……


「お前、相当性格悪いな」


 静まり返った部屋で口にしたその言葉にもあたりまえに無反応。帽子のベールを取ったあいつの顔はむしろ何のことかわからないとでも言いたげな様子だ。


「……俺とあいつが喧嘩するのわかってて様子見してたんだろ」

「今日会ったばかりなのに、二人で話すから席を外しなさいというのは不自然でしょう」

「あのな……もうちょっとやり方ってもんが……っ~やっぱりいい」


 腹の探り合いも、悪趣味な言葉遊びも、一兵隊には荷が重い。そういうことはスフェーンのほうが巧そうだ。

 気持ちを切り替えてあいつに向き直る。

 俺が隠すことは一つ、ゴッシェのことしかない。背負う荷を奪われればリスキーだが、その分動きやすさは増す。

 本来の目的を思い出せ。

 二つの石を手に入れる、そのためなら柔軟に対応しても文句は言われないはずだ。

 

「青い石を持ってる本物の姫はどこだ」

「……わたしは知りません」

「ここまで来て知らぬ存ぜぬか。じゃあお前の目的はなんだ。俺を殺さず、青石が贋物だと明かし、自分の正体もばらして何がしたい」

「目的は、交渉です」

「交渉……」

「私の要求に応えてくださるのなら、この石も、本物の青い石も差し上げます。あなたの正体も決して口にしないと神に誓いますよ」

「要求はなんだ」

「私の護衛です」


 心臓がドクンと跳ねる。この感覚には覚えがあった。だから、都合のいいこの契約に二つ返事で了解しようとした自分を予感に従ってぐっと引き留める。

 交渉、その言葉を聞いた時から何かおかしな感じがしたんだ。身代わりと知られているとは言えあいつは圧倒的に有利なのに、どうして俺に餌を寄越す?

 予感の正体を手繰り寄せるため言葉を選び、俺は奴に問いかけた。


「……どうしてそれが要求なんだ」

「血のブルート兵が護衛なら安心じゃないですか」

「……安心、な」


 俺が護衛することがこいつにとってメリット…

 どうしてだ。

 だってこいつはのに、どうして俺に守ってもらわないといけない?

 そんな言葉が脳裏をよぎった瞬間、目が自然とあいつの顔へ向く。

 涙化粧に固く閉ざされた両の目。

 

(タトゥーに涙化粧……夜の目)


 今もあいつの首にかけられてる紅い石に視線を移した瞬間、化粧が、目の意味がもう一度変化する。


「……おまえ、いつから身代わりしてるんだ」


 俺の問いに、あいつは


「無駄なおしゃべりはお嫌いなんじゃないですか?イエスかノーで答えてください」


 答えを提示することはなかった。

 だけど、それが何よりの答えだった。


「そういうことか」


 ……そもそもの前提条件を間違えていたんだ。だから狙いに今の今まで気付けなかった。


「……神に誓うなんてよく言うな。そんなもん信じてねぇくせに」

「何が言いたいのです」

「魔女の血を引く奴が、偉大なる魔女を殺したこの国に従うはずがなかったんだ。

 ……お前、

 その目は石の呪い。十字架も、呪いだろ……どちらも本物の姫がお前を逃がさない為にかけたものだな」

 

 奴は初めて表情を動かす。固く閉じられた目はそのままに、一瞬呼吸が浅くなる。


「だから偽者のお前にアコーニトの赤石を預けたんだ。

 ヘクセ教は石のことを、偉大なる魔女の力を宿した救いと、呪いを齎す物と定義している。

 ただの人間なら石の恩恵も呪いも受けることはないのかもしれない。だけどお前は魔女だ。良くも悪くも石の力を受ける。

 そして……偉大なる魔女ジェーン・アコーニトの弱点は太陽だったとされている。太陽を拝めなくなればお前の行動は制限される。

 加えて念押しの涙化粧と十字架のタトゥーか?どちらも目立つ。もし脱走してもすぐ捕まえられるだろうな……それとももっときつい何かの呪いの証か?

 どちらにせよ俺の言ってること、大きく間違ってはないよな」


 普通の目を夜の目に変え、顔に印をつけ、そうやって本物の姫は二重の呪いでこいつをここに縛り付けておくことに成功した。


『青い石を持ってる本物の姫はどこだ』

『……わたしは知りません』


 あの答えはお茶を濁すために言ったんじゃない。真実そのもの。だから、要求が自分の護衛だったんだ。


「お前は本物の姫が自分を解放する日まで生き延びるため、自ら殺そうとする者たちを手にかけてきた。

 だけどあの日俺を見てお前は、俺をそばで飼いならして守ってもらうことを思いついたんだろ」


 自分が確実に生き延びるためにどうすべきか考えているときに、言いなりになるブルート兵を手に入れられる機会が舞い込んできた。

 こいつにとっては喉から手が出るほど欲しいはずだ。


(最悪だ……)


 俺が自由になるための唯一の任務はどうあがいても失敗する。


「この交渉は最初から破綻してる。終わりも報酬もない護衛業なんてごめんだ」

「では、どうするのです」


 瞬間、見えないはずのあいつは椅子から立ち上がって俺の両肩をつかんだ。


「包み隠さずブルートに報告しますか。そうしてあなたはどうなるのですか。役立たずの兵隊を生かしておくほどあの国がぬるいとは思えません」


 まだ日が照っているのに、うっすらと目が開く。肩に食い込む爪はぎりぎりと音を立てて俺に微動すら許さない。


「そもそもなぜあなたが刺客として送り込まれたの」

「何?」

「私はあなたに人が殺せるとは思えません」

「暗殺者にずいぶんな言いようだ」

「どうでしょうね。ブルートだって承知していたはずです。だから単独の任務ではなく協力者を用意した」


 手紙をやり取りしていたゴッシェのことが頭をよぎった。

 スフェーンの言葉を思い出して、喉の奥から笛のような音が鳴る。

 違う、これは、俺を動揺させて自分の思い通りに操ろうとしてるだけだ。平静を保て。揺さぶられるな。

 だけど、あいつは畳みかけるように続きを口にする。


「ブルートの方こそわからないじゃないですか。人殺しができないあなたを刺客として送り込むなんて何故?はたから見ている分には無意味に泳がせているようにしか思えない」

「……いい加減にしろ」


 固い爪を振り払い、深く呼吸をする。

 鮮烈な痛みが体を駆け抜けるが気がつかないふりをして心を落ち着ける。


「俺は暗殺者サングインだ。あの夜だってお前が魔法を使わなければ殺してた」

「嘘つき」


 やっと落ち着いてきた心の中は再び、鞭をたたきつけられたように痛みと乱れに荒れ狂い、体中に血が上る。


「あなたは嘘つきです。あの夜本当に殺すつもりなら睨みあう暇なんてない。

 即座に切りかかって制圧していたはず。だけどあなたは迷っていた。いいえ、本当は逃げたいと思っていた。任務なんて投げ出して人殺しなんてせずに」

「黙れ!」


 振り払うように叫んだのに、あいつはまた両肩に手をかけた。逃がさないとでもいうように目を見開き、赤と紫の目がいら立った俺の顔を瞳に抱く。


「ブルートはあなた以上に嘘つきです。何を言われたの」


 眼前に迫る充血した双眸に言葉を失う。こうしてる間にもどんどん赤くなってゆくのにあいつは狂ったように目を大きく開けてゆく。


なにであなたを縛り付けているのですか。どうすれば自由にしてやると言われたのですか」

「それは……」

「石を奪えば?それすら嘘だったらどうなるのです。あなたをいいように動かすための餌かもしれない。自由をくれるとは限らない」

「違う!ちがう…!」


 弱弱しくあいつを振り払ったが、俯こうとする俺をぴしゃりと咎めるのはするどいあいつの声。


「目をそらさないで、相手をよく見なさい。わたしもあの国も相手は人殺しなのですよ」

「違う!……違う!ただの……人殺し、なんかじゃ……」

「そうだとしてもあなたは、退けない。あなたはブルートのやり方で自由を得ることはできない。

 だから、残された選択はただ一つ。わかっているはずです」


 選択、その言葉に遠い昔の記憶がよみがえる。

 記憶の中のあの人の声が凛と鳴った時、血が上っていたはずの頭は急激に熱を失い、俺は我に返った。


「………違う」

 

 俺が自由を欲しがる絶対的な理由。そこだけを見つめ続けろ、殺す道以外もあるはずだって、あの人は言葉をくれたから。今だってきっと、同じはずだ……一つだけ、なんてことは無いはず。


「どこへ行くのですか」


 背を向けて走り出た。こんな狭い場所じゃなく、果てのない空が見たい。

 みたいな、小雨を降らす曇天に。

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