3話 新月の夜
作戦決行の日まで一日一通、俺は黒蛇を介してゴッシェとやり取りをした。
『三日後の件、了解しました。
貴方であれば心配ないのですが、耳に入れておいてほしいことがあります。
姫のそばには白騎士と呼ばれる女修道騎士が形見離れず仕えています。
名門伯爵家の出らしいのですが、彼女の働きでこれまで他国の刺客は全滅したそうです。
確実に彼女が姫のそばを離れるのは寝所を除いてはありません。
これを基に準備を進めてください。
新月の夜、光源はどうするおつもりですか』
『寝所というのは、修道院の北棟最上階であってるな?
外から行こうと思っている。
脱出も同様だ。
俺は特異体質で夜目が効く。心配はいらない』
『了解です。それから修道院脱出後、二番通りに行ってください。
早馬を用意しておきます。
ブルートまで一晩で着きます。
今宵がいよいよ新月の夜ですね。健闘を祈ります』
ゴッシェからの最後の手紙を読み終え、俺は扉を少しだけ開き、意識を研ぎ澄ませ城内の人の気配を探った。
零時をまわった王宮は寝静まっている者がほとんどで見張りも片手で数えられる程度しかいないようだ。
今がチャンスと見た俺は最後の準備に取り掛かるため再び扉を閉めた。
深呼吸して目を閉じ、力を集中させる。
「ふー……」
息を吐きだしてゆくうちに辺りがぼんやりと緑色に色づく。
小石が弾けるようなかすかな音に耳を傾けていると、段々……緑色が変わってゆく……赤く、紅く、色が濃くなったところで俺は目を見開いた。
瞬間、心臓が大きく音を立てて脈打ち、淡く迸る赤い光があふれ出る。
胸のあたりから湧き出た光は美しい放物線を描きながら俺の目に吸い込まれるように消えていった。
(たぶん、うまくいったな)
一応のため鏡で確認してみると、やはり俺の目は深緑から紅色に変化していて、茶髪に染めていた髪も夜空より深い黒に戻っている。
夜闇で見えなかった視界も一変して隅々までよく見えるようになっていた。
これが手紙にも書いた俺の特異体質。
夜の満月の下だと俺は半強制的に黒髪に戻り、目は自然と血のように赤くなって、昼間みたいに周りの景色がはっきり見えるようになる。
……満月の日以外にもこの目を発動させる方法があれだ。
この世の理から外れた力に意識を研ぎ澄ませ、身をゆだねる。
なぜ俺が黒髪を持っているのか、この力が使えるのかは自分でもわからない。
(
自嘲気味の言葉を胸の内で呟いたその時、過去の記憶を思い出して鏡面を地に臥せた。
俺のこの目をきれいだと言ってくれた……
(……だめだ。余計なことは考えるな)
一呼吸おいて、頭の中を空にする。そして、廊下に誰もいないのを確認して音を立てず走り出た。
そのまま窓から城外へ飛び降りて、中庭を抜けて、あの東門を壁伝いに進み、荒れた草むらに潜り込んで修道院を目指す。
ふと仰いだ新月の夜は星がきれいで、これから
幸か不幸かその前に俺は修道院に入り込む。
外壁をひょいひょいとよじ登り、北の塔も同様にあっという間に目的地へ。
ピンと張った丈夫な糸で細工をして姫の部屋の窓を開ける。
ギィィィ……
軋む音が細く鳴り、俺は部屋の中、ついに足をつけた。
窓から少し離れた部屋のちょうど中央にある天蓋付きのベット。
ゆっくりと歩みを進め、剣の柄に手をかける。
寝台の傍らに立ち、うつぶせで眠る姫君を見下ろした。ブロンドの髪は無防備に振り乱してわきにはいつもかぶっているベール付きの帽子がそっと置かれている。
人の視線から身を守り明日も堂々と生きるために……
その帽子の内側で何かがきらりと光った。
余計なことはするな、頭の中でそう警告が鳴っていたけど俺は見えない何かに突き動かされるように柄から手を離して、帽子の裏側を見てしまった。
「…っ」
三つの太陽と赤と白の花弁の薔薇、サンティエ家の徽章。
いつも身に着ける物にこれがある理由なんて、容易に想像がついた。
帽子から離れた手が柄へ戻ることはなかった。
ここ数日の不快な胸のざわつきが、何なのかわかっていた。
だけど知らぬ存ぜぬでやり過ごせばいいと、それで解決できると、思っていた。
行き場のない手をギュッと握りしめる。そして、姫の首筋のチェーンに触れた。
だが、俺の思いなど簡単に、無情に握りつぶす。それほどまでに石の力は強く、触った瞬間、赤い電流が蛇のように絡みつき俺の腕を痛みが貫く。
持ち主の命がそこにあり続ける限り、やはり他人にははずせない。
(往生際が悪いな。俺は)
俺は
何年も考えて続けて、違う答えを見つけたかったけど、みつからないまんまここまできてしまった。
これが間違いだということには気がついていた。
だけどあの日、ルチル様からこの殺しを命じられたあの日から、もう迷うことすらできなくなっていたんだ。
俺は、殺すしかない。あえかなこの姫を……
「……どうしても自由になりたいんだ。どうしても……
キャンディッド・ロワ・サンティエ……お前の命をくれ」
腹を決めて、剣を取り、震える呼吸を無理やり押さえつける。駆け巡る罪悪感には蓋をして、剣を高々と掲げる。
添えた左手が震えて心もとない。
せめて痛くならないように……そう思い、髪がかかった首を見据える。
「っ……!」
ギュッと両目をつぶり首筋めがけて俺は刃物を振り下ろした。
だけど…固い感触はなかった。
ボフッ…と締まりのない音がした。
手に伝わってきたのは、柔らかなマットレスの感触。
俺は閉じていた両目を慌てて見開いた。
今、そこにいたはずの姫がいない。
「なんで……」
そうつぶやいた刹那、かすかな気配がふっと沸いて、考えるより先に体が反応した。
……死角、五時の方向!
「……っ!」
ガキンッ!
金属がぶつかり合う音が鼓膜をつんざいた。
不意を突かれ、振り下ろされたファルシオンを受け止めきれず俺は瞬時に横へあしらい距離をとる。
惑う心は瞬きの間に警戒態勢に切り替えて冷静に状況を整理しようと試みた。
気づかなければ確実に死んでいた。
あのファルシオンは寸分の狂いもなく首筋の動脈目掛けて振り下ろされていた。
いったい誰が?
答えは目の前に提示されているのに、俺はどうしても信じることができない。
目の前の人物は、俺を仕留めようとしたファルシオンを握りしめ見えないはずの俺を確かにみている。
ブロンドの髪は白いナイトドレスとともに夜風に揺れ、赤と紫のオッドアイは夜闇の中ぼうっと光り頬の十字架のタトゥーを照らし出している。
黒いベールの下のその素顔は、今この時も王女らしく毅然としていた。
サンティエ家王女、キャンディッド・ロワ・サンティエ。
(まさか、いままで誰もこいつを殺せなかったのは……女騎士が守っていたからじゃなくて)
こいつ自身が、刺客を始末していたからだ。
なぜ上流階級の女にこんなことができる?なぜこの暗闇でも、俺が見えている?
……いつから気付いていた?すくなくとも俺が剣が振り下ろす直前には目覚めて見えていたはずだ……俺の剣が空ぶったのはこいつがベットの下に転がり落ちて武器を持って死角に回り込んだから……でもどうして。なぜ、こいつにそんなことができる。
頭が混乱してるのも相まって、直面している問の答えはまるで見当たらない。
それにこの状況、どうする……顔がばれている以上、殺すか逃げるかしか道はない。
しかし逃げ道の窓はあいつの後ろ……
どうする……!殺して石を奪うか、押し通って逃げるか!
コンコン
最悪のタイミングでノック音が響き、血の気が引く。
「姫、どうなされましたか」
どうして人が来る……さっきのファルシオンとの打撃音を聞いていた奴がいるのか。
人が来た以上選択肢は一つ、もう考えてる暇はない!
俺は姫の懐目掛けてぐっと踏み込み、大きく剣を振り上げた。
さすがの姫も不意を突かれたらしく受け止めが中途半端で、手元のファルシオンは宙に高く舞い上がる。
その隙に走り去り俺は窓枠に乗り上げた。あとはここから飛び降りるだけだった。
が、脱出目前のその瞬間、後頭部に鈍器で殴られたような痛みが突きささる。
「…ぅあっ!?」
肩越しに姫を見た。
剣で殴られたわけではなかった。だけど、胸の赤石が煌々と光り、俺に向かって手をかざしている。
この頭痛は覚えがあった。
でも、どうしてだ。どうしてこんなにありえないことが起こる?
(ラピスの人間が……どうして古の魔法を使える……!?)
耐え難い頭痛に、意識が朦朧としてゆく。
だめだ、ここでおちたら絶対に………!
(せめてここからでないと……っ)
まだ抵抗する俺の考えが分かっているのか姫はより一層魔法の効力を強め、窓枠から引きずり下ろし、額に手をかざした。
「ぐあぁぁあぁぁぁぁ……っ!」
赤い光が強くなるにつれさらに遠のいてゆく意識の中で、俺はぼんやりとあることを思い出した。
十字架のタトゥーの意味は、神への愛。
……そして、みがわり。
姫付きの女騎士、コリンが騒ぎに気づき部屋の前にやってきた。
ノックをしても姫が応じることはない。夜通し祈りを捧げるためおきているはずなのに。
(嫌な予感がする……!)
そう思った直後、部屋の中から声が聞こえてきた。
男のうめき声だ。
「姫様!」
突入を試みるが内側から鍵がかかっているのか扉は固く閉ざされている。
「姫様!開けてください!わたしです!」
ほとんど絶叫に近い声で中にいる姫に呼びかけると、内側の鍵が開いた音がした。
無我夢中で扉を開けると、目の前にはベールのついた帽子で顔を隠しているいつもの姫が。
「………なんです?コリン。休暇はどうしたのです」
あまりにもいつも通りの様子だったのでコリンは訳が分からなくなり、返す言葉に困る。
「……その、もう零時は過ぎましたよ。姫様、先ほどの音は」
「わたくしの部屋ではないわ」
「……それでしたらよろしいのですが。いえ、やはり失礼します」
コリンは部屋の中を半ば強引に覗き込む。だが、中の様子は特にかわったことは起きていないようだ。
いつもと違う点と言えば窓が開いているぐらいで……
部屋の中に踏み込もうとすると姫はそれとなく進路を阻み
「そんなに心配なのですか?だったら異常がないか館の中を見てきなさい。わたくしは南の塔から城へ避難しておきます。人払いを」
「えぇ、それなら安心ですわ。すぐに手配を……」
コリンはすぐに承知して螺旋階段を駆け下り去っていった。
彼女を見送った姫はというと、部屋の中に戻りベットの陰に隠していた一人の男を静かに見つめる。
「……黒髪」
それだけをつぶやいて、姫は男を背負って一人城へと向かった。
さすがの姫も気づけなかったのだろう。城へ向かう自分の後ろに黒い蛇が音もたてずに後をつけていたことなど。
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