魔獣


 集合時間の九時になった瞬間――千年樹林の奥から、ダールの巨体がのっそのっそと現れた。


「皆の衆、おはようである!」


 生徒に先んじて現地入りした彼は、『中』でいろいろな準備をしていたのだ。


「おっほん。それではこれより、来たる大魔聖祭に備えた『強化合宿』を開始する!」


 ダールの宣言と同時、周囲に緊張が走る。


此度こたびの合宿における第一回目の課題は――『魔獣狩り』! 今回我が第三学園は、魔術教会の所有する千年樹林を丸っと借り受け、敷地内に100匹の魔獣を解き放った。諸君らには、こやつらを狩ってもらいたい!」


 彼の大きく張りのある声が、森の奥深くまでよく響いた。


「解放した魔獣は、E級70匹・D級25匹・C級4匹・B級1匹――合計100匹。各個体には特別な魔術刻印が打たれており、とどめの一撃を加えた生徒に『討伐スコア』が加算されていく。この数値は、魔獣の討伐難度によって異なり、同じD級の個体であっても多少前後する。ちなみに……今回の『目玉』は森の最奥に放ったB級魔獣『ボルス』。こやつのスコアは非常に高く設定されているが、その分やや手強てごわい故、討伐に臨む際は特段の注意を払ってほしい」


 大魔聖祭の出場枠を狙う生徒たちは、『B級魔獣ボルス』の名前を頭に刻み付けた。


「この魔獣狩りは、吾輩のスタートの合図と同時に三時間行い、最終的な『チーム全体の合計スコア』をって、諸君らの評価とする。――以上、ここまでで何か質問のある者はいるであるか?」


 ダールはそう言って、生徒たちへ視線を投げた。


「チーム全体の合計スコアってことは、どっちかって言うと『団体戦の選考』って感じの内容だな」


「この広大な樹林から魔獣を探すとなると、『探知型』の有無で戦略が大きく変わってくるわね……」


 優秀な生徒たちは、今の説明をすぐに理解するだけでなく、課題の意図を掴んだうえ、それぞれが取るべき戦略まで考えていた。


(うむうむ。やはりこの世代は、非常に優秀であるなぁ)


 ダールは嬉しそうな表情で満足気に頷く。


「どうやら質問もないようなので……最後に一つ、『大切な注意事項』を伝達しておく。此度こたびのような実戦形式の課題は、本当に何が起きるかわからぬ。もしも命の危険を感じたときは、魔術師が仲間に危険を伝える信号『赤道の八・紅炎筒こうえんとう』。これを空へ向けて放つのだ。吾輩、こう見えてけっこう足が速い。諸君らが森のどこにいようとも、必ず十秒以内に駆け付けてみせよう!」


 ダールはそう言って、丸々と膨らんだ自身のお腹をパシンと叩いた。


「さて皆の衆、準備はよいであるな? それでは強化合宿一日目――スタート!」


 合図と同時、全員が素早く動き出した。

 各チームを率いるリーダー格の生徒は、チームメンバーに素早く活動方針を伝えていく。


「行くぞ。狙いはボルス一択だ」


「うちらは探知型もいるし、D級とE級の小粒を全部さらっていくよ!」


「うっしゃー! 見つけた先から、ガンガン狩ってくぜー!」


 各チームが一斉に千年樹林へ飛び込む中、エレンたちもその例に漏れず、深い森の中を走っていた。


「さて、と……。チームの方針、どうしようか?」


「雑魚をチマチマ狩ったってしょうがねぇだろ。当然デケェ一発、ボルスを狙うぞ」


「大物はきっとラストアタックの奪い合いになるわ。ここは安定策を取ってC級とD級、小粒を狙っていきましょう」


 一発派のゼノと安定派のアリア。


「あ゛?」


「むっ」


 二人の間に険呑けんのんな空気が流れ始めたそのとき、


「それじゃ『森の最奥を目指しつつ、道中の小粒を素早く狩っていって、最終的にボルスを仕留める』ってのはどうかな?」


 完璧なタイミングで、エレンが両者の折衷案せっちゅうあんを提案。


「お前/キミがそう言うなら……」と納得する二人。


 朧気おぼろげながらも、チームのまとまりのようなものができつつあった。


 こうして基本的な戦略方針が定まったところで、


(とにかくまずは、魔獣を探さないとな)


 エレンはレンズをめたまま、左目に意識を集中させた。


「っと、いたいた。――黄道の十四・雷閃らいせん


 眩い雷の閃光が木々の狭間をすり抜け、


「ギィ!?」


 遥か遠方の岩陰に潜む、E級魔獣の頭部を正確に射貫いた。


 それと同時、彼の右手の甲に累計討伐スコア『10』が浮かび上がる。


「なるほど、こういう感じ……っと、あそこか。黄道の十四・雷閃」


 鋭い稲光が再び駆け抜け、土に擬態していたD級魔獣を打ち抜いた。


 低位の魔獣には大した知能がなく、自身の魔力を隠すことができない。

 彼らの多くは肉体の構造つくりや体色を変え、周囲の環境に擬態することで、捕食者から身を隠しているのだが……。


 史上最悪の魔眼は、魔力を色で見分ける。

 当然、擬態の類は一切通用しない。


 その結果、


「――黄道の十四・雷閃。っと、雷閃。あそこだな、雷閃。あっちもか、雷閃」


 エレンは驚異的な速度で、次々に魔獣を仕留めていった。

 彼の射程距離は、自身を中心とした約半径三キロの円。

 この範囲内にいる魔獣は、超々遠距離攻撃により、即座に死滅する。


 そんな調子で魔獣狩りは進み、開始から早三十分が経過。


 現在、エレンは全体の約半数――すなわち50匹以上の魔獣をたった一人で狩っていた。


「……なんか、思っていたのと違ぇんだよなぁ゛……」


「……もう全部、キミ一人でいいんじゃないかな……」


 この三十分、ただひたすら森を歩いているだけのゼノとアリアは、どこかやるせない表情を浮かべている。


「あ、あはは……。今回の課題は、ちょっと俺向きだったかもな? っと、雷閃」


 エレンはポリポリと頬を掻きながら、さらに追加の魔獣を仕留めた。


 それから三人は、時折軽い冗談を交えつつ、森の奥へ進んでいく。


 そんなあるとき、


「黄道の十四・らい……っと、これは……」


 エレンの手がピタリと止まり、展開途中の魔術が消えた。


「どうした?」


「何かあったの?」


 ゼノとアリアは、不思議そうに問い掛ける。


「……ここから三キロ先、かなり大きな魔力を見つけた。この距離じゃ、一撃で仕留めるのはちょっと難しい」


「おい、それってもしかして……っ」


「ボルスなんじゃない!?」


「あぁ、多分そうだろうな」


 エレンが頷くと同時、


「よぅし、ようやく俺たちの出番ってわけだな!」


「小粒も相当狩れているし、後はそいつを仕留めれば、うちのチームがぶっちぎりの一番ね!」


 ここまでずっと手持無沙汰だった二人のボルテージは、一気に跳ね上がった。


 その後、エレンが先頭を進み、ゼノとアリアがその後ろを続く。

 雑多な木々をき分け、険しい獣道を踏み進み、小さな沼を抜けた先――白銀の大魔獣が、ゆっくりと歩く姿を捉えた。


 体高たいこう三メートル・体長五メートルにもなろう四足歩行の大型魔獣。

 剥き出しの鋭い犬歯・長く尖った爪・ぎょろりとした大きな瞳――ウェアウルフだ。

 威風堂々と歩くその姿には、このまま額縁に収められそうなほどの『確かな迫力』があった。


「――いた。おそらくあの魔獣がボルスだ」


「なるほど、確かにありゃかなり強ぇな!」


「B級の中でも、相当上位に食い込む魔獣ね」


 ゼノが好戦的な笑みを浮かべ、アリアが魔剣白桜を構えると同時、


「……ちょっと待ってくれ」


 何故か険しい顔つきのエレンが、鋭い『ストップ』を掛けた。


「あ゛? なんでだよ」


「せっかく一番先にボルスを見つけられたのに……。あまりグズグズしていたら、他のチームに横取りされちゃうよ?」


 二人は不満気にそう言うが、エレンの慎重な姿勢は変わらない。


「……さっきから妙な魔力が視えたり、視えなかったりするんだ」


「妙な魔力?」


「どういうこと?」


「例のレンズをめたままだから、はっきりとはわからないんだけど……。凄く不安定で不気味な魔力が、真っ直ぐこの場所に向かって来ている。……今はボルスと戦うんじゃなくて、ちょっと隠れて様子を窺った方がいい」


 エレンにしては珍しい断定的な口調。

 ゼノとアリアはコクリと頷き、その指示に従った。


 三人は体から溢れる魔力を完璧に消し、近くの茂みにそっと身を潜める。

 どうやらボルスは、この辺りに群生している果実が好みらしく、あまり大きく動こうとはしなかった。


 そのまま三分ほどが経過したあるとき――茂みの奥から、白い仮面をつけた謎の人間が姿を現した。


 両者はちょうど向かい合う形で遭遇。


「ボルゥウウウウ……!」


 低い唸り声をあげ、威嚇するボルス。

 それに対して、仮面の人間はチラリと一瞥いちべつし、再び真っ直ぐ歩き始める。


 直後、


「ボル、る、ォ……ッ」


 いったいどういうわけか、ボルスはゆっくりと崩れ落ち、そのままピクリとも動かなくなった。


「なんなんだ、アイツは……!?」


「今、いったい何をしたの!?」


 ゼノとアリアは、驚愕に目を見開く。

 一方のエレンは、明らかな異常事態イレギュラーに対し、すぐさま最善の手を考えた。


「あの大魔獣を瞬殺するレベルの魔術師……危険だ。静かにこの場を離れて、絶対に安全な距離を取ってから、ダール先生に合図を送ろう」


「あぁ、そうだな」


「賛成よ」


 二人が頷くと同時、


「――おっ!? いたぞ、ボルスだ!」


「へっへっへっ、俺たちが一番乗りだな!」


「あれ……でもそいつ、なんかもう死んでねぇか?」


 最悪のタイミングで、他のチームの魔術師が突撃してきた。


(……マズいぞ……っ)


 謎の仮面が果たして敵なのか味方なのか。

 未だその判断さえもつかぬ中、急転直下の事態を迎える。


「ん? なんだお前……?」


 生徒の一人がそう問い掛け、


「……ふはぁ……っ」


 白い仮面が醜悪にわらった。


 次の瞬間、目にも留まらぬ速度で、『白銀』がを描く。


「……え? ……ぁ、がぁあああああ゛あ゛あ゛あ゛……!?」


 泣き別れた右腕が鮮血と共に宙を舞い、男子生徒の凄惨な悲鳴が木霊した。


「こ、この野郎……!」


「よくもやりやがったなァ!」


 チームメイトの二人が睨んだ先――そこにはもう仮面の姿はない。


「なっ!?」


「……ぇ?」


 二人はどんな攻撃を受けたのかさえ知らぬまま、その場にバタリと倒れた。

 ここまでわずか三秒、息もつかせぬ早業だ。


「くっ、くくく……っ、人間! それも魔術師を食うなんて、随分と久しぶりだなぁ!」


 白の仮面は邪悪にわらい、その魔の手を三人にくの方へ伸ばした。


 刹那、


「――め、ふくろう


 漆黒の斬撃がほとばり、仮面の右腕を斬り飛ばす。


「……なんだぁ? 人の腕を落とすなんて、酷いことをするじゃねぇか……えぇ゛?」


 仮面がゴキッと首を鳴らすと同時、その肩口から新たな右腕が生えてきた。


 ボルスを瞬殺した謎の力・人間を食らおうとする奇行・腕を斬り落とされても即時再生する回復力――眼前の仮面は、明らかに並一通りの存在ではない。


「――ゼノ、アリア、援護を頼む」


「「了解」」


 エレンが前衛に立ち、二人がすぐさま補助に付く。

 こうして突如遭遇した謎の仮面との死闘が、静かに幕を開けるのだった。

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