好きな人

Fuyugiku.

好きな人

 夏真っ盛り。

「そんなに怒ることないでしょ」

 レモンでひたひたになった唐揚げの山を見た彼は、呆然と立ち尽くしている。

 昼間から冷えたビールを飲みたくなって、それならと久しぶりに彼が率先して料理を作ってくれた。しかも唐揚げ。私はボトル入りのレモン汁を軽くかけるつもりだったのに、勢い余って熱々の唐揚げに注いでしまった。

「怒るだろ。俺、そもそもレモンかけない派なんだよ。なんだよこれ、食感もない」

「ごめんて、でもさっぱりして美味しいよきっと」

「唐揚げ食べたい時に、そんなの求めてない」

 私は決して自分の過ちを正当化しようとしていたわけではない。本当に好きなのだ、レモンをかけた唐揚げが。ジューシーな肉汁と爽快な果実の香りは、ご飯の助けなく単独で主役を張れると信じている。

「外で食べてもレモンついてるじゃない」

「俺はサクサクの唐揚げが好きなんだ」

 味覚が違うって致命的だよなと彼は続けて、ボソリと「いつもきつねばかりだし」と言い捨て、片付けをしにキッチンへ戻っていった。


 ***


 ぞぞっと蕎麦を啜る。暖房をケチった部屋で冷えた体が中からじんわり温まった。

 緑のたぬきも悪くない。でも普段は断然赤いきつね派。あのジュワッと出汁のしみた油揚げが大好きだ。好きで好きで、どうしてもそれを伝えたくなる。好きだと主張して、どれだけ素晴らしいか伝えたいと思うことは自然なことではないだろうか。

「ただいまー」

 声の後、荷物をどさりと置く音と、着込んだ上着をその辺に放った気配がした。

「寒みー、あ、なんだ先に食べてんの」

「おかえり」

 スープに天ぷらの衣が浮き、芳ばしく香った。

「緑のたぬき? めずらしいな」

「たまには、ね」

 分かり合えないのは伝えきれていないからだと思っていたけど、そうではなかった。

「たぬきも美味いだろ?」

「うん。天ぷらが好きなの?」

 彼はいそいそとキッチンから自分のお昼ご飯を持ってきて隣に座った。電気ケトルのスイッチを入れるとまだ温かかった中のお湯が、しゅーと音を立てる。

「天ぷらの衣が絡まった蕎麦が好き」

 好きな人にどんなに好きか伝えるより、好きな人の好きを聞くことが二人の幸せになった。

「あ、食べる前にジャケット玄関に置いたままにしないでね」

 彼は赤い蓋をピリピリと破き始めた手を止めて、バレたかと小さく言うと素直に玄関へ立ち上がった。

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