日々雑感

長居佑介

芸術

作家が、芸術家がPVという数字に囚われてどうするのだ

 ※時間がない人は◇から◆の間は読まなくていい。◆から◇の間を読んでほしい。引用部分があるのでそこは読まなくても、最後の私の意見の部分を読めば引用意図がわかるからだ。


 ◆


 私だって頂けるなら金は欲しい、PV数もほしい。


 だが、それは自分が満足する作品を作ったという土台があってこそ得たいと思うのだ。自分の作品に満足する日が来るのかはわからないが。


 そもそも作家というのは芸術家だ。

 自己表現のために世界のリソースを食いつぶす度し難いやからだ。芸術家一人の生産能力があれば、あるいは芸術家一人の消費リソースが消えれば人が何人救えるかわかったものではない。

 そんなことを理解したうえで作家という卑業に身をやつしているのだ。すべては自己表現のために。

 あるいは気づいていないだけなのかもしれないがそれはそれで度し難いことこの上ない。自己表現を行うものでありながら自分がわかっていないことの証明でしかないのだから。


 そもそも芸術とは何なのか。一人一人に定義があり、私の「芸術」は私だけの芸術だ。もちろん読者の「芸術」も読者だけの「芸術」だ。これを侵す気はない。いくらぶっ飛んでいてもその人なりの芸術あるのだ。赤城大空先生の『下ネタという概念が存在しない退屈な世界』や『出会ってひと突きで絶頂除霊!』などのぶっ飛んだ作品もあるがあれも芸術だ。(読んだことがないなら一度読んでみるとわかる。受け入れられる人と受け入れられない人とで二分する作品だから)



 ◇



 ただ、文化的な見地から一般的な「芸術」について考えてほしい。

 Wikipediaからいろいろ引用して考えてみようと思う。

「芸術>概論」より。

 P.G.コリングウッドの『芸術の原理』において芸術を「魔術的芸術」、「娯楽芸術」、「本来の芸術」の3つに分割している。


「魔術的芸術」とは芸術がもたらすさまざまな感情の刺激によって人々を実際の政治や商業などの実際的な狙いを持つ活動へと仕向ける種類の芸術と定義される。魔術芸術は例えば教会のための芸術や軍楽などを含む概念である。また「娯楽芸術」とは逆に実際的な狙いがない活動へと仕向ける単に感情を高揚させるだけの芸術である。娯楽芸術の概念はその定義に基づけばさまざまな大衆芸術を含んでいる。(「芸術の原理>概要」より)


 この芸術の分類をしたうえでコリングウッドは「本来の芸術」はこの両者から分離された表現的で想像上のもの、ある種の言語であると主張している。



 ◆



 芸術には人に見せるという機能ある以上、上記の二つの要素を完全に排除するということはできない。だが、「魔術的芸術」でもなく「娯楽芸術」でもない「本来の芸術」への追求をやめた時、それは己が芸術的作家ではなく大衆の奴隷になった事を意味するのではないだろうか。

 大衆を満足させるだけの芸術に何の意味があるのだろうか。

 バズることはそう難しいことではない。一瞬の快楽を提供すればよいのだから。

 これを読んでくれているということは、つまりなろう系の意味も分かるだろう。あれこそ大衆の奴隷ではないか。

 では、なぜそのような小説を書いているのだろうか。それはTwitterの作家界隈が教えてくれた。(すべての作家がそうだとは言っていない。ただ大衆の奴隷型の作家になればなるほどその傾向が強かったというだけだ)彼らは書籍化と書籍化後の栄光への欲求が強すぎるのだ。「祝100万部突破」だとか「売れる小説の書き方教えます」だとか。


 なめてんのか。

 そんなことしたいならSEO(検索エンジンに引っかかる方法)でもしてろ。


 心理学者のユングは「意義のある些細なことは、意義のない偉大なことよりも、人生にとってずっと大切だ」と述べた。芸術家に、作家になりたいのであれば自己表現という他人から見れば些細で、むしろ愚かとすらとられることに意義を見出せないならやめてしまえ。


 まして、書籍化願望だと?

 裏に印税と知名度の向上しか見えてこないではないか。

 つまり、金と虚栄心が欲しいのだろう?


 そういう人におすすめする職業はプログラマだ。IT産業はインフラ産業なので金が枯れることは当分ないだろう。また、プログラマの社会的地位も高いので虚栄心も満たすことができる。

(注:別にプログラマに恨みはない。というか資本主義社会は金と栄光で基本的に回っていると作者は考えているのでプログラマは中心で資本主義社会を回してくれてむしろありがとうと言いたい。皮肉とかではなく、今の日本社会が成り立っているのはプログラマの人たちのおかげだと本気で思っている。ただ、芸術家が資本主義社会に屈したらおしまいという文脈で使いやすかったから利用しただけだ)


 最後に

 芸術家、作家なんて職業は生きているだけで人類に対して罪深いのだから「本来の芸術」への追求すら捨てたら唯のゴミの出来上がりではないか。むしろ、消費機能を持っているだけゴミより罪深いかもしれない。


※できるだけ芸術的作家にこの文章が届いてほしいので賛同できればポイント評価とブックマーク登録していただけるとありがたいです。

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