第10話

 太陽が真上に上がった頃に私たちはどちらからもなく起きて、軽くご飯を食べた。名残惜しさは少しあったものの、まだ旅の途中だという彼を引き止めるのも悪いかと、シャワーだけ使ってもらって、別れることにした。


「少しは力になれました?」


  玄関から出かけに、彼が振り返って尋ねた言葉に、私は見当もつかず「何が?」と尋ね返すと彼はおかしそうに小さく笑った。なんだか昨日から笑われてばかり。歳上なのに、恥ずかしい。


「ほら、智さん辛そうだったから」


 ああ、メッセージアプリのことを言っているのかと理解した途端に、自分がこんな若い子、直接顔すら合わせていない子に心配されるくらいに落ち込んで見えたのかと頬が沸騰しそうに熱くなった。


「ええ、ありが、と」


 いたずらにニヤける彼の顔を見るのも恥ずかしくなり、大人の女を取り繕うことも出来ずに、私は顔を逸した。


「じゃあ、俺はこれで。また、メッセージ待ってます。それに、えっと……智さんのためなら、いつでも駆けつけるんで……」


 照れからか、彼の言葉はあとになるにつれてボソボソと小さくなり、語尾は殆ど聞こえなかった。


 まったく、嬉しいことを何度も言ってくれる人。


 玄関を開けて出ていこうとする彼の背中はなんだか寂しそうに見えた。いや、寂しさを感じているのは私なのか? 


 だって、私の誕生日を祝ってくれる人なんて、久しぶりだったから。陰気な私と話していて楽しいって言ってくれた人なんて、その上、いつでも駆けつけるなんて言ってくれた男の人は初めてだったから。


「あの……」


 思わず私は彼の手を握っていた。無意識の行動に私は繋がれた手をじっと見つめて動けなくなる。どうしよう。鼓動が徐々に早くなる。


 突然引き止められて彼も困っているだろう。彼の視線が責め立てるように突き刺さる。この不可思議な行動に何か弁解をしないととは思うものの、言葉が口から出てくれない。


「その……」

「大丈夫」


 焦る私の言葉を包み込むように、彼は優しく微笑んだ。


「急がなくて大丈夫です。俺、智さんのこと、ずっと待ってるんで」


 すっと一陣の風が吹いて、私の中の何かが吹き飛んでいった気がした。どこか張り詰めていた心が、安らいだのを感じた。


「ありがとう」


 微笑んで言うと、彼はぽかんとした顔をしたので、今度は私がおかしくなって笑った。


 ああ、この人なら……。


 そうして、私たちは軽く挨拶をして別れた。


 一つだけ、約束をしてから。

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