白いうさぎの赤いきつね
ゆずしおこしょう
白いうさぎの赤いきつね
ざあっと、やかんの小さな口からお湯を注ぐ。
もわもわと上がる湯気で眼鏡が曇り、吸い込んだ醤油だしの粉末スープの香りが食欲をそそる。
普段は母が許さないカップ麺もこの日だけは自由に選んで食べることができた。
小学校の調理実習以外で、自分で用意したものを自分で食べることができる。
そのことに特別なことをしている高揚感が湧いてくる。
割り箸と七味の袋を蓋の上に乗せて、適当な場所に置いた。
北風が吹く度に身体が芯から冷え、吐き出す白い息もあっという間に流されていく。
少し離れた竈の前に丸まった父の背中がある。ぽいと薪をくべた竈からはパチパチと薪の燃える音が聞こえて来る。
竈の上には塔のようにせいろが積み上げられ、プラスチックの容器よりもずっと多くの湯気を吐き出している。
重い腰を上げた祖父がせいろに近づきの蓋を開けた。
すると、閉じ込められていた蒸気が一気に立ち上っていく。
しかし、ゆらゆらとゆれる湯気もわずかな風で一気にどこかに流れていってしまう。
それでも風がやむと湯気は再びもわもわと湧き上がってきた。
祖父はせいろを1つ取って、背後の臼の中にひっくり返す。
木綿の布に包まれた米が姿を現すと、木の香りと混ざってほのかに甘い香りをあたりに漂わせた。
大振りの杵をどっしりと構え、臼の周りを時計回りに回っていく。
円柱状の米の山を杵が崩していき、ぐりぐりと押し潰されて少しずつ米粒が形を失っていく。
家の方に駆けていった弟の大声に呼ばれた母が玄関口から慌てて飛び出てきて臼の傍に駆け寄る。
祖父は動じることなく、杵をぐりぐりと動かし続け、やがて手を止めた。
母がバケツの水で手を冷やし、祖父が持ち上げた杵から餅を剥がしていく。
祖父が杵を水につけて湿らせているうちに母は臼の中の餅を整えていく。
「はい、どう、ぞ」
母がいうと祖父は杵を大きく振りかぶって、すっと降ろした。
パンと重たく湿った音がする。
祖父が付いた場所を母が返し、再び祖父が杵を降ろす。
トン、ペタ、トン、ペタ、トン……と辺りに音が響く。
何度か繰り返しているうちに杵が乾いてき、餅がひっつく。
杵に付いた餅を母が拭い、祖父はきれいになった杵を再び水につけてから構える。
母はまた餅を整え、再び掛け声をかける。
そこからまた気味の良いリズミカルな音が響き始める。
音が止む頃、祖父はこちらの方に顔を向けた。
無表情だがぶっきらぼうというわけでもない昔気質な男の顔だった。
私は立ち上がって、祖父の持っていた杵を受け取った。
去年初めて持ったときよりも少しだけ軽く感じるが、それでもまだまだずしりと重い。
「はい、いいよー」
母の掛け声に合わせてぐっと杵を持ち上げる。
しかし、それは祖父のやっていたような軽い動きとは程遠い。
一生懸命持ち上げて、精一杯振り下ろした杵が丸々とした餅にたどり着いたときには
ぺち
というなんとも頼りない音が立つだけだった。
祖父と比べればあまりにも拙い動作だった。それでも大人のやっていたことに参加しているという高揚感に沸き立って、再び杵を振り上げた。
ペタン、ペタ、ペタン
と数回だけついて今年の餅つきは終わった。
5kgほどの杵を降ろした手は震え、息はすっかりあがってしまった。
臼の中の餅を母と叔母がボウルにとりわけていく。
もちの一部を祖父が摘まみ上げ、私に差し出した。
つきたての餅は瑞々しく、甘かった。
呼吸を整えつつ、元に座ってた椅子に戻る。
もう5分は経っただろうか、置いてあった赤いきつねの器に手を伸ばす。
蓋を開くと、甘じょっぱい汁と香ばしい出汁の香りが顔を満たす。
力の入らない手で割りばしを何とか握り、お揚げを摘まみ上げた。
ざあっとやかんの小さな口からお湯を注ぐ。
もわもわと上がる湯気が眼鏡を曇らせ、醤油だしの粉末スープの香りとともに顔を包んで温める。
箸と七味の袋を蓋の上に乗せて、適当な場所に置く。
少し離れたところで老いた父が薪をくべた竈から、パチパチと薪の燃える音がする。
竈の上に積み上げられたせいろの蓋を開けると、一気に湯気が立ち上った。
ゆらゆらとゆれる湯気もわずかな風で一気にどこかに流れていく。
せいろの蓋を開き、中を見る。
甘い香りと熱い熱気が顔を焼く。
指でそっと米を摘まみ、炊き具合を確かめる。
せいろを背後の臼にひっくり返して、杵を掴む。
初めて握った時よりも随分と軽くなった。
ちらりと椅子の隣の赤いきつねに目をやる。
今年は麺が伸びないうちに一臼付き終われるだろうか。
白いうさぎの赤いきつね ゆずしおこしょう @yuzusiokosyo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます