コップは何処に消えた?
寺音
問題編
とある高校のミステリー研究部。
ここで先程まで使っていたはずのコップが、忽然と姿を消してしまった。
「岩戸先輩! 簡単なことってどういうことですか!?」
「植松のコップは一体どこにあるって言うんですか?」
矢継ぎ早に尋ねる部員達を前に、謎が解けた岩戸先輩は淡々と告げる。
「コップがどこに消えたのか。今までの出来事を振り替えれば、自ずと答えは見えてくる」
それを聞いてミステリー研究部部員、
ちなみに、こんな名前をしていても、彼は決して探偵役になることはないのであった。
いかにも重そうな段ボールを、えいと気合を入れて持ち上げた。その瞬間埃が舞い上がり盛大に咳き込む。
「部長。これ、どこに運べばいいんですかー?」
「先に中身を確かめて、その上で必要な物だったら新部室に運ぶのだ」
部長はかけた眼鏡を指で直しながら言った。
今年も残り四日、高校は冬休み。
本来であれば、このように登校しているはずがないのだが、今日は彼が所属するミステリー研究部、通称ミス研の大掃除だった。しかも、部室の引っ越しという一大行事のおまけつきである。
「おーい、金田一! こっち来て手伝ってくれ」
同じミス研である岡本の声に『金田一』は、
「こら岡本! 違う名前で呼ぶな!」
抱えた段ボール箱越しに文句を言った。大きな物を持つと顔のほとんどが隠れて見えなくなるのだ。情けないことに。
男子高校生の平均よりちょっと小柄な彼の名は『
「惜しいよなー。ミス研に『キンダイチ』だったら、ちょうど良かったのに」
「人の名前で惜しがるな!」
金田は段ボール箱の重さで、ふらつきながら真向かいの新部室に向かった。引っ越しと言っても、新部室と旧部室は目と鼻の先だ。
「近くて荷物運びには便利だし、広さは約二倍! これも僕の交渉術のおかげだよ」
大袈裟なほど自慢げに言って、部長が最後の段ボール箱を運び出す。
それを一瞥し金田は新しい部室を覗いた。
新部室は入ってすぐ応接セットがお目見えする。校長室にあった物を買い替える際、部長が校長に直談判して譲り受けたのだそうだ。
まあそんな行動も、ウチの部長だからで済ませてしまう。
応接セットは、手前側に四人ほどが座れる長いソファーと、奥側に一人掛け用の小さなソファーが二つ。それに低めの机が一つでワンセットだ。
それから入って右側に本棚が置かれ、そこにはミス研が所蔵する推理小説を収めている最中だ。
左側には低めの棚が壁一面につけて置かれ、こちらには筆記用具などの細々した備品を収めている。
新部室の掃除は粗方終了しているらしく、皆はもっぱら部室の内装に嗜好を凝らしているようだ。
「あ、金田くん。その段ボール下に置いて、こっち手伝って」
二人しかいない女性部員の一人、山崎先輩が彼を手招きする。どうやら内装は彼女が取り仕切っているようだ。
「はい、この花。飾ってくれる?」
ふわりと手渡されたのは、マリーゴールドの花束だった。忽ち金田は瑞々しい香りに包まれる。
花の包みを見れば、商店街にある花屋の真新しいシールが貼られていた。
「おいおい、山崎。わざわざ買って来たのか?」
持ち物をちりとりから段ボールに持ち替え、副部長である岩戸先輩が呆れたように呟いた。
「綺麗でしょ? せっかく新しい部室になったんだし、ね」
「だとしても、なんでマリーゴールドなんだよ。もっと相応しい花があったはずと、俺は思うね」
別に彼は山崎先輩に恨みがあるわけではない。岩戸副部長は皆に厳しいのだ。
「えっと、とにかくこれ! 飾りますね」
金田は努めて明るくそう言うと、花瓶を探しにかかった。
「ねえ、カーテンって……本当にこれで良いのかな?」
カーテンの取りつけ作業が終わったらしく、もう一人の女子部員野月先輩が現場監督に尋ねた。
窓際で揺れていたのは何故か、おにぎりをモチーフにしたキャラクターのカーテンである。
「これで良いって、可愛いでしょ? ウチに余っていたのを持ってきたの」
野月先輩の戸惑いは伝わらず、山崎先輩はにこにこと微笑んでいる。
「ああー、そう言えばおにぎりって、普通イラストとかでは海苔で包まれた部分が四分の一くらいじゃないですか。でもコンビニおにぎりとか、全面海苔で真っ黒ですよね。アレって何ででしょう?」
「何言ってんだ、井原! そっちの方が絵になるからに決まってんだろ!?」
「成る程植松、謎は解けたな!」
「カーテン取り付け作業は、これで無事に終了ね」
くだらないことを言い合う井原と植松を見事に無視して、山崎先輩は笑顔で頷いた。
以上がミス研の全部員である。
部長は一人で書籍や過去の部誌を本棚に収めていたが、やがて満足げににやりと笑った。
「さて、大体片付いたようだし、そろそろ休憩にしようか。飲み物やお菓子をいくつか買っておいたから、誰か持ってきてくれないか?」
「あ、俺持ってきますよ」
岡本はにこやかにそう言うと、部屋の隅に置いてあった袋を二つヨイショと持ってきた。その中には二リットルペットボトルが三本と、スナック菓子などが入っている。
「応接セットの椅子だけでは全員座れないだろうから、前の部室で使っていた椅子でも持ってこようか。それと、コップはどこにしまったかな?」
お茶好きの部長のこだわりで、ミス研の部室にはコーヒーカップやガラスコップなどが人数分常備されている。
実はその為にこの部室、給湯室から近いのだ。
「コップならそこの籠に収めたわよ」
野月先輩が棚の上を指差すと棚の端に青い籠があった。埃対策なのか、赤いチェックの布が被せられている。
「ああ、本当だ」
部長は布をめくって確かめると、ガラスコップを取り出して一番近いところにいた野月先輩に渡した。
受け取った彼女はコップの側面を見て、
「えっと、これは岩戸くんのね」
岩戸先輩にコップを手渡した。ガラスコップには白い楕円形のシールが貼られている。そこに名前を黒マジックで書いているのだ。
「あの、前から思ってたんですけど、なんでいちいち名前のシールなんか貼ってるんですか? ガラスコップなんてどれも同じなんですから、別に誰のって決めなくても……」
「ああ、金田は途中入部だから知らないのか。井原と植松のせいだよ」
岩戸先輩がちらりと彼らを一瞥すると、二人は部長からコップを受け取りながら、ばつが悪そうに頭をかいている。
「二人のせいとは?」
「あの二人、あまりにも使ったコップを割る回数が多いらしくてさ。キレた副部長が『今度からコップに名前を書いておくから、割ったら必ず弁償してこい』って言って、それから名前シールをつけさせたんだよ」
「へえ、そんなことが」
代わりに答えた岡本の言葉を聞いて、金田はぼんやりと頷いた。
「おかげで俺、ついこないだ弁償したばっかりなんだよね。またコップ割っちゃってさ」
「反省の色がないぞ、植松」
またもや岩戸先輩に睨まれ、植松は再び頭をかいた。
確かに植松のコップに貼られたシールはまだ新しく、名前の文字も皆と違ってあまり擦れていない。
「でも何か嬉しいよな。部の一員って感じでさ」
岡本がそう言って歯を見せて笑う。
確かに。金田も入部の際、部長に名前を書いて貼ってもらったのだが、少し誇らしげな気持ちになったのを覚えている。
金田は飲み口と平行に貼られたシールを、そっと指でなぞった。
「皆さん何飲みます? コーラとオレンジジュースとカフェオレがあるみたいですよ」
岡本が応接セットのテーブルに、ペットボトルを並べて置いた。
「じゃあ、俺コーラ」
「あ、俺も」
植松と井原がまっさきにペットボトルに飛びつき、自分のコップにコーラを注ぐ。しゅわしゅわと泡立ちながら、コーラがコップを満たしていった。
「やっぱりお前らは落ち着きがないな」
じろりと二人を睨みつけておいて、岩戸先輩は岡本からカフェオレを受け取り、自分のコップに注ぎ始めた。
「あ、金田くん。私たちもオレンジジュース」
二リットルのペットボトルが三本、それにお菓子の袋が数個開封されるとそれだけで机の上はいっぱいだ。
「今日はこれで勘弁してくれ。なんだかミス研の部室に相応しいかも、という理由で応接セットを譲り受けたは良いが、全員出席すると席も机も不十分だったな!」
何か良い案を考えておくよ。コップを配り終えたらしい部長が、そう言って応接セットに横付けした椅子に腰かけた。
前の部室でも使っていた部長愛用の物だ。岩戸先輩も前の部室から椅子を持ってきて、部長の向かいに座る。
これで席順は部長から時計回りに、植松、井原、岡本、金田、岩戸先輩、野月先輩、山崎先輩の順となった。
ちなみに女性陣はレディファーストの精神で、それぞれ一人掛けのソファーに座っている。
「どうする? 乾杯とかしちゃう?」
皆の顔をぐるりと見回し、野月先輩はそう提案したが、
「あ、すんません。俺ら先に飲んじゃったみたいで……」
例によって井原と植松が、大分中身の減ったコップを見せそう言った。
「お前らなぁ」
「まあまあ、打ち上げってほどでもないし。良いんじゃない? 適当に飲んでも」
山崎先輩の言葉に岩戸先輩も納得したのか、言葉を飲み込みカフェオレに口をつけた。
それを見た金田もオレンジジュースを喉に流し込む。柑橘系の酸味が渇いた喉に少し沁みた。
喉の渇きが癒された井原と植松はお菓子に夢中で、植松に至っては両手でスナック菓子を頬張っている。
「それにしても、本当に素敵な部室になったわよね。おにぎり柄のカーテンも、割と溶け込んでいるし」
「でしょう? やっぱり持ってきて良かったわ」
野月先輩と山崎先輩はオレンジジュースを飲みながら、部室について話始める。
その言葉に釣られたのか、岩戸先輩が本棚へ視線を向けた。
「ああ、あの本棚ちゃんと分類して整頓したんだな」
「当然だろう。部長であるこの僕の仕事だよ」
部長はコーラの入ったコップを持ち上げ、両手で中身をくるくると回す。動作だけならワインの様だ。
「アレ、俺のコップどこだ?」
「井原、そのお菓子の影にあるぞ。それは俺のカフェオレだ。中身も違うだろうが」
岡本が自分のコップを井原から奪い取り、中身を口にする。
無事に自分のコップを発見した井原は、中身がかなり減っていることを思い出したのか、
「悪い岡本。ついでって訳でもないけど、コーラのお代わり貰っても良いか?」
そう言ってコップを掲げて見せた。
「コーラか、コップ貸せよ。狭いし俺入れるわ」
岡本は井原のガラスコップを受け取り、適当な高さまでコーラを注いで渡す。
「あ、金田くん、あの花可愛く飾ってくれたのね。ありがとう」
山崎先輩が金田の飾った花を見つけてくれたらしく、顔を綻ばせる。
花も窓に近い棚の上に置かれていた。
花瓶にしたガラス容器を薄桃色の折り紙やオレンジ色のリボンで包んで飾り付け、そこに花を活けているのだ。
金田の自信作だ。
「でもミス研の部室が、こんな華やかで良いのか? もっとこう、地味でも良かったんじゃないのか」
「まあまあ、良いじゃないですか。ピンク色じゃないだけ」
「そういう問題か?」
部員たちが思い思いに雑談をしていた、その時だった。
「ない!?」
突然、誰かが叫んだ。
植松である。彼は机の上に何度か視線さまよわせると、もう一度大声で叫んだ。
「俺の、俺のコップもない!?」
「はあ? 何を言ってんだよ植松。ほら、お前のそれじゃないのか?」
岡本が部長と植松の間、机の端にあるコーラの入ったコップを指差す。
「残念ながら、これは僕の物だよ。ほら」
部長がそのコップを持ち、くるりと反回転させる。
貼られたシールには『部長』と書かれていた。黒々とした文字は、右肩上がりでその存在感を主張している。
「皆、とりあえず自分のコップを持ってみてくれ」
岩戸先輩の提案に、皆は自分の名前の書かれたガラスコップを手に取った。
すると、コップは一つも余ることなく、植松を覗いた全員の手に渡ってしまった。
「どういうことだ? 確かに植松、コーラ飲んでたよな?」
植松が自分の名前のコップで、コーラを飲んでいたのは全員が確認済みだ。
試しに机の上の物を避け、机の下や部室を探したが、植松のガラスコップはどこにも見当たらない。
「じゃあ一体、植松のコップはどこに行ったんだ……?」
井原が呆然と呟く。
部室の沈黙を最初に破ったのは、岩戸先輩だった。
「——なんだ。簡単なことじゃないか」
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