第34話


 2月。

 深夜から朝方にかけて気温が氷点下まで下がる日が続いている。

 寒さのピークも今月いっぱい。来月以降は暖かくなることを考えればこのてつくような寒さも我慢できるというもの。


 そんな自然の摂理より、俺には今気になることがあった。

 

「――ロコ! さかなさかな!!」

「へ? ......うわっ!!?」


 焦げ臭ささと共にガスレンジのグリルからはモクモクと黒い煙。 

 ロコは慌てて火を止め中を確認するも、今晩のおかずのしおさばは炭のような姿に変貌へんぼう

 とてもじゃないが食べられる状態ではないのが一目瞭然いちもくりょうぜん


「大丈夫か!? 火傷やけどとかしてないか!?」

「私は平気。でもお魚が......」


 しおさばだったものを水道の水にけて鎮火させながら、悲しそうな表情を浮かべる。

 とにかくロコに怪我がなくて良かった。


「今ならギリギリ近所のスーパーやってるから、私買ってくるね」

「だったら俺が行ってくるよ。ロコは後片付けを頼む」

「でも......」

「気にすんな。たまにはそんなこともあるさ。しおさばが無かったら、何か他の魚でもいいよな?」

「もちろん」

「じゃあ、ちょっと行ってくるわ」


 俺は急いで寝室で外用の私服に着替え、気持ち早足で閉店時間まであと30分の近所のスーパーへ。


 丁度明日ロコと食料の買い出しをする予定で、我が家の冷蔵庫の中でメインのおかずになるものは、黒い物体になってしまったしおさばのみ。

 夕飯のおかずに肉類が全く無いのは俺としても辛い。

 

「......あいつ、やっぱり最近なんかおかしいよなぁ」


 これでもかと主張している満月の夜空の元、俺はぼそっと独り言をこぼしてしまう。 

 2月に入ってからというもの、ロコはぼーっとすることが増えた。


 俺は日頃、何か悩みがあったら遠慮なく相談しろとロコに言っている。

 だがロコは前世こそ柴犬でも、現在は現役の女子高生。

 男の俺には相談しにくい内容なのかもしれないと考えると、どうしようもなく打つ手がない。

 こういう時、同性の家族がいてくれたら心強いのに。




***




「――それは加那かなちゃん、恋してるね」


 俺は箸でつかんでいた昼食のコロッケをぽろっと落とした。

 とある日の仕事の昼休憩。岡さんと同じ席で昼食をとっていた俺は、会話の流れで最近のロコの話題になった。


「いやいやいや。何言ってるんですか、あいつに限ってそれはないですって」

「加那ちゃんは17歳だっけ? 誰かに恋をしてても全然不思議じゃないでしょ~」


 岡さんの言う通り世間的には17歳は青春真っ盛り。人生の中で一番色恋に興味が湧く年

代だとしても、相手は色気よりも食い気の元・柴犬JKですよ? 絶対にありえない。


「誰かって誰にです?」

「同じ学校の生徒とか? または久しぶりに再会した義兄おにいさんにだったり」

「冗談はやめてください」

「でも加那ちゃんスタイルも人当たりも良いから、きっと学校ではモテてると思うよ」


 ロコ=加那は元・家族の俺から見ても魅力的だと感じる。当然あくまで一人の人間として。


「バレンタインも近いことだし、チョコを渡そうか迷ってるんじゃないの?」

「そうなんでしょうか......」 

「義兄さんとしては心配?」

「心配というか何というか......複雑ですね」 


 俺は自分でもこの胸の奥から湧く感情が何なのか謎で、言葉を濁した。

 あいつが誰と付き合おうが勝手。あいつの自由。良いじゃないか。

 お米と一緒に口の中に入れたおにぎりの具の梅干しが、妙に酸っぱく感じる。


「若いって羨ましいわねぇ。私もできればあのバカに出会う前のモテモテだった時期に戻りたいわよ」


 あのバカ、とは離婚した旦那さんのことを指していた。

 岡さんはこう見えて女手一おんなでひとつで息子さん二人を育ててきた。

 今では笑い話にしているが、女性一人が子供を二人も育てるのは俺の想像以上に大変なことだろう。

 だからこそ、今の厳しさの中にも優しさのある人間性が形成されたのかもしれない。

 

「お、なんスかなんスか! けんさんがブラコンって話っスか?」


 休憩室の戸を開け、まだ勤務時間中のはずの次男・鷹丸たかまるが俺達の元へやってきた。


「うるさいのが来た来た。あんたには関係の無い話だからこっち来るんじゃないよ。さっさと仕事に戻んな」

「俺は剣さんに用があって来たんです~」

「なんかあったのか?」 

矢代やしろの奴が剣さんを呼んでこいって。自分でケータイに連絡すればいいのに」


 三元豚さんげんとん、矢代が直接俺に連絡してこない時は決まっている。

 やれやれ、手間のかかる豚野郎だ。


「分かった。わざわざありがとな」

「休憩が終わるまで待てばいいのに、あの豚は」

「まぁまぁ。じゃあ俺、戻りますね。聞いてくれてありがとうございます」

「何の話?」

「あんたも早く売り場に戻んな! 給料減らすように店長に言うよ、バカ息子!」

「へいへい......」


 長年連れった夫婦のようなやり取りを横目に、俺は休憩室を退出して矢代がいるであろう食品事務所へと向かう。

 

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