一.揃いの鞘(4)

     ***


 幕府が大政を奉還してより、京から遠く離れたこの奥州の地にも急速にその波紋は広がっていた。

 慶応四年の年明け早々に勃発した、京都鳥羽伏見の戦においては、薩摩や長州が錦旗を掲げて圧倒的な勝利を収め、これによって幕府側の勢力はすべて賊軍となったのである。

 先帝の信任厚く、京都の治安維持のために粉骨砕身して守護職を務めた会津藩も、同時に賊の汚名を着せられることになったのだ。

 この会津藩のすぐ東側が、二本松藩。

 十万七百石の小藩ではあるものの、隣接する会津が薩長に対し徹底抗戦の構えを取るからには、無視は出来ない。

 奥州の各藩が挙って会津の降伏嘆願を周旋し、二本松藩もやはり、薩長と会津との折衝に参加した。

 だが、薩長の会津への怨恨は予想以上に深く根強いものであったのだろう。

 今や王師となった薩長が言うには、会津藩主・松平容保は天地に容れざる罪人なのだそうで、奥羽雄藩の苦心の末に漕ぎ付けた会津の降伏嘆願すらも棄却した。

 尚且つ、彼ら官軍の中には「奥羽皆敵」とまで明言した者もあるらしい。

 泰四郎ら末席の武士には詳細などは知り得ぬことながら、憤慨するに充分な風聞である。

 無論、城中でも昼夜問わず様々に議論が交わされ、城下を出入りする各藩の使者の数も、このところでは閑無く見受けられるようになっていた。

 既に京から出された奥羽征討軍は、奥州への入口である白河関を越え、白河城も制圧されている。

 この二本松藩からも筆頭家老が軍事総裁の任に就き、長らく白河城奪還戦を試みているのだが、仙台、会津などの大藩の兵力を合わせても、未だ白河城を取り返せずにいるらしかった。

(俺もじきに戦場へ出るのだな)

 良好だった日中の天気は、日没後には雨雲の覆う重苦しいものに変わっていた。

 湿った土の匂いが雨の気配を濃厚に漂わせ、城下を囲む野山の蛙が鳴く声が輪唱となって響きわたる。

 蒸し暑さに開け放した障子の桟に凭れた泰四郎は、寝巻きの帷子を纏い、じっと夜陰に潜む黒い竹林を眺めた。

「おまえが羨ましいよ、悦蔵」

 それは思いがけなく小さな掠れた声となって、口の端から紡ぎ出された。

 幼い日、それは口にするには余りに屈辱で、認めたくない事実だった。

 決して誰が比較するでもなく、傍目には仲の良い二人に見えていたはずだ。

 体躯は人に優れ、武にも才を発揮していた泰四郎に比べ、悦蔵は決して突出した存在ではなく、いつも皆の後から慌ててついてくるような奴だった。

 ふとすると鈍間だ何だと仲間内から除け者にされているような、ひ弱な子供だった幼馴染。

 気が付けばいつもひとりぼっちで寂しそうにしていた悦蔵を、泰四郎が見るに見かねて声をかけてやる。そうすると、悦蔵は決まって心底嬉しそうな笑顔で泰四郎を見上げるのだ。今にも泣き出しそうだった顔をぱっと輝かせて。

 それが、泰四郎の記憶にある悦蔵の姿である。

 武よりも学を得意とし、弓馬槍剣に至っては、どんなに贔屓目に見ても秀でているとは言い難かった。

 泰四郎が三日で習得できる剣技を、悦蔵は半年もかけて漸く人並みにまで到達する。

 子供同士の遊びで、仲間内でよくやった兎追いでも常に後れを取っていたし、人と競うことは総じて苦手としていた。苦手だからかどうかは定かでないが、寧ろ競い合うことを嫌っている風にさえ見て取れたものだ。

 誰しも得手不得手はあるものだと理解こそすれ、当時の泰四郎には、悦蔵という人は理解出来ていなかった。

 それが、泰四郎の後を追いかけて来るうちに、いつの間にか文武両道に通ずる非の打ち所の無い青年になっていたのである。

 一朝一夕のうちにそうなったわけではないはずなのに、泰四郎は悦蔵のそんな成長に気付けずにいた。

 そうして、ある時突然にその本領を見せ付けられて、やっと気付くのだ。

 日常を共にしながら如何に悦蔵を見下していたかが、焦燥感となって泰四郎の胸中に浮き彫りになる。

 そういえば、昔は高みから見下ろしていた目線も、今ではほぼ同じ高さにまでなっていたではないか。

 何故、気付けなかったのか。

 何故、気付いて焦るのか。

 何故、今、悔しいと思うと同時に、その存在に羨望を向ける心があるのか。

 その目覚しい成長振りが、単に羨ましいと思う。

 それは泰四郎にとって不思議な感覚でありながら、また安堵という心情でもあった。

 追いつかれたと感じ得るのは、恐らく己自身に精進が足りなかった結果である。

 それを悦蔵への嫉妬というものに摩り替えずにいられることは、なかなかに為し難いことだろう。

 人は兎角、己よりも劣ったものと比較をして、自らの価値の確かさを認める。

 今がもし平穏に包まれた世の中であったなら、羨望はそのまま妬み嫉みに成り果てていただろう。

 これから死地へ赴くという共有の定めがあるからこそ、悦蔵を妬まずにおれるのだ。

 藩の命運をかけた大きな戦の中では、身近な者への些細な嫉視も混乱に紛れて掻き消されるものらしかった。

「我ながら、情けないものだ」

 湿気の多い夜風は時折強かに泰四郎の頬を打ち、夜の帳に隠れた竹薮をさざめかせる。

 そうして、首許へ吹き込んでくる風を目で追うように、泰四郎は室内を振り返った。

 蝋燭の灯りさえ点けない座敷の奥で、掛けられた大刀がひっそりと鈍い朱色を闇に滲ませる。

 悦蔵がわざわざ揃いにしたいと言う、朱鞘。

 もし泰四郎が出陣に別の刀を携えていけば、悦蔵はがっかりするのだろうか。

 いくら学才があるにしても、馬鹿な奴だと思う。

 鞘を同じに誂えたところで、鞘は全くの別物。泰四郎の佩く物と同じには為り得ないというのに。

 漫ろに眺めた後で、泰四郎は徐に座敷へと足を踏み入れた。

 六畳ほどある江戸間の中ほどに腰を据え、大小二本の揃いに見入る。

 この刀で人を斬ったことはない。

 いや、この手で、と言ったほうが正しいだろう。

 それは悦蔵も同じはずだ。

 今や二本松藩でも、武器は銃や大砲が主力たり得るという風潮に染まり、家中の全員が砲術を学ぶよう触れが出されている。

 泰四郎も、そして悦蔵も無論、城下の砲術道場に通っていたが、迫り来る敵はそれ以上に進んだ砲術調練を受けた精兵集団であるとも聞く。

 加えて近年の藩財政は芳しくなかった。

 家中の録は年々目減りしていたし、大身の上士でさえ刀を質に入れなければ家計を維持出来ないという噂まで聞こえてくる。

 当然、藩は武器弾薬の確保にすら難儀している有り様だ。

 とすれば、二本松藩側が砲術だけで敵を退けるのは難しい。

 戦は銃や砲で火蓋を切るだろうが、やはり最後には刀槍の白兵戦になる。

 尤も、刀を抜く前に敵弾にやられてしまえばそれまでだが――。

(斬れるか、俺に)

 戦陣の中で敵を斬らねば、己が斬られるのみ。

 敵兵の血糊、血脂でこの刀身を染める覚悟が必要だった。

 悦蔵にはその覚悟があるのだろうか。比類なき猛者と見做される泰四郎でさえ、人を斬り殺すことに躊躇を覚えるのに。

 あの順良な悦蔵が人を斬り捨てる姿など、思い描く事も難しかった。

 泰四郎は目の前にした大刀を手に取ると、僅かにその刀身を引き抜いた。

 すらりと静かな音が響いて微かな鈍色が現れると、暗闇の中でも秋水の如き輝きを放つ。

 曇り無きは刀ばかりである。

 振り切れぬ迷いを抱えたまま戦へ出ることだけは、避けねばならない。

 いくらそうと自らに強請み立てても、拉致が開く気配は毛筋ほどもなかった。



【二.雨に逸る】へ続く

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