一.揃いの鞘(2)
***
城下、作事場付近の一軒の暖簾を迷わず潜った悦蔵は、仕方なくついてきた泰四郎の袖をも引き摺っていく。
「早く来いよ泰四郎ー」
「ああもう、分かったから袖を引くな、袖を! どこの童だおまえは!」
紺地に屋号を白く染め抜いた暖簾をかき上げながら、泰四郎も悦蔵に引かれるまま店に足を踏み入れた。
「ご主人、すみませんがね、昨日のあれ、この人のと同じ拵えにしてもらえますか」
店主らしき中年の男の前にまで引っ張っていくと、悦蔵は徐に泰四郎の朱鞘の大刀を指し示した。
赤味の強い朱色だが、泰四郎も特に理由があってこの色の鞘なわけではない。単に朱は好む色だったし、身幅も刀身も泰四郎の身体と膂力にちょうど合っている。ただそれだけのことなのだが。
「おい、なんだって俺と同じ物なんか……」
「うん、なんとなく」
「はぁ?」
悦蔵がどんな色の鞘を佩いても、そんなことは悦蔵の勝手だ。赤が良ければ赤にすれば良いし、黒でも白でも、別にどうだって良いことだ。
刀の拵えだって、同じにしたければそうしてもらって一向に構わない。
ただ、昔からこういうことは度々あった。
いつも泰四郎の後を一歩遅れてついてくるような、そういうところが悦蔵にはある。
剣術道場に入門した時もそうだったし、藩校に通っていた頃には、独りでさっさと行動してしまう泰四郎を悦蔵が呼び捕まえて、行きも帰りもいつも必ず一緒だった。
今回もそういう類の思いつきなのだろう。
(学館の雪隠に行く時でさえ、振り返ると必ずこいつがいたしな……)
過去にはそういう行動が鬱陶しく思えて仕方のない時期もあったが、今となってはすっかり慣れてしまった。
まるで、生まれてすぐの雛鳥のようなものだ。
異常に慕われているのが擽ったくもあり、それでもいつの間にか悦蔵と二人で連れ立っていることが当たり前に思う自分がいる。
「おまえには呆れるよ。揃いの鞘なんか持っていたって、何の意味もないだろうに」
「あるよ。少なくとも、俺にはね」
「……何度も言うが、時々気色悪いぞおまえ」
時々と言わず、これが割りと頻繁に思うことだ。まさか悦蔵の自分に対するそれは、衆道に通ずるものではあるまいな、と思わずにいられなかったりする。
だが、悦蔵はそんな疑念に気付いてか否か、軽快に笑声を上げると悪戯っぽく白い歯を見せて泰四郎の腕を小突いた。
「あははー、残念ながら俺、そういう趣味はないんだよねー。ま、この世に婦女子の皆さんがいなかったら、間違いなく泰四郎を選ぶけど?」
「えええ選ばんで良いっ!!」
辺り憚らずにこういうことを言うから困るのだ。
決して悪気があって言っているのではないらしいが、冗談を言うならもう少し可愛い冗談が言えないものか。
案の定、店主も丁稚もこっそり笑っている始末。
笑っていることを泰四郎に気付かれていないと思っているのだろうが、不自然に歪んだ口許でそれと分かってしまう。
変に目敏い自分も自分だが、商人が武士を哂う不躾は泰四郎の矜持を傷付けるに充分である。
「……悦蔵、俺は外で待っているから」
「えっ、なんだよ急に」
不機嫌に踵を返した泰四郎に、悦蔵も僅かに焦ったらしい。その手が泰四郎の袂を賺さず掴んで引き止めた。
そこに更に引き止めたのが店主である。
「ああちょっと、お武家様。同じにすんだら、鞘を拝見さしてもらわんと」
戸外へ出て行こうとする泰四郎につられてか、振り返ると店主も上がり框で腰を浮かせながら口早に言った。
次いでしっかりと袂を掴んで放さぬ悦蔵を横目で見れば、満面の笑みで度々頷いてみせるのだ。
「おまえなぁ、本気で俺と同じ拵えにするのか?」
「そりゃそうさ。そのために連れてきたんだから」
けろりと答える悦蔵に、泰四郎は大仰に顰蹙する。
こんな面倒なことに付き合わされる身にもなって欲しいものだ。顔ばかりか、やること為すこと女々しいところは今も健在である。
だが、ここまで来ては無碍に突っ撥ねることも出来ず、泰四郎は仕方なく大刀を鞘ごと引き抜くと、店の床先に腰を降ろした。
「……早くしてくれよ」
朱鞘の太刀を店主へと差出し、それをしっかりと丁重に受け取る様子を見届けてから、土間に突っ立ったままの悦蔵を見上げる。
店の者があれこれと泰四郎の鞘の仕立てを確認するのを、悦蔵は嬉しそうに眺めている。
一体何が良くてこんなことをするのか、泰四郎にはまるで解せなかったが、それで悦蔵が満足するなら已む無しか、とも思った。
やがて、悦蔵も泰四郎の隣に腰を降ろすと、やおら口を開いて話し始めた。
「泰四郎の強さに肖ろうと思ってね。もうじき俺たちも戦に駆り出されることだし」
「験担ぎか。別に俺は構わんが、刀を同じに仕立てても腕は同じにはならんぞ」
尤も、悦蔵とてこれでいて同門では泰四郎に並ぶ腕の持ち主だ。わざわざ肖らずとも、力は充分に互角なはずなのに。
だが、あえてそんなことは口に出さなかった。いくら仲が良くとも、門下では競争相手の一人だ。いつも後ろから付いてくる悦蔵に、自ら剣術の腕は互角だなどと言ってやるのは癪なもの。
我ながら少しばかり意地が悪いな、とは思った。
だが、悦蔵はそんな泰四郎の一言を気に留める風もなく、店の戸口から覗ける町の様子を眺めたまま、こちらを向こうともしない。
「剣の腕は、どうでもいいんだ」
「……なんだそりゃ。おまえ、実は俺に喧嘩でも売ってるのか?」
「えー? いや違うよ。泰四郎の剣の強さより、泰四郎のやたら勇猛果敢で男前な性格がさ、半分でも俺にあったら良いなと思って」
「童に泣かれるくらいか?」
「あー……いや、そこまでは」
「どっちなんだよ、まったく」
ついさっき、子供に怖がられて、しかも泣かれたのだと相談した矢先なのに、傷を抉るようなことを言ってくれる。
だが、確かに。
泰四郎の剛毅さの半分でも悦蔵にあったなら、そして、悦蔵の柔和さが半分でも泰四郎に備わっていたなら――。
それが互いに調度良い塩梅なのかもしれなかった。
なるほどな、と納得しかけ、泰四郎は慌てて感慨を振り払った。
そんなものは互いに無いもの強請りであるに過ぎず、揃いの鞘にしたからといって何の御利益があるわけでもない。
「馬鹿馬鹿しいことを」
「そう言うなよー。実は泰四郎も俺くらい学問の成績が良ければなーとか、思ったことあるだろ?」
悦蔵の口調は確実にからかい半分なのだが、実際に学業においては悦蔵のほうが成績は優秀だった。
元服して藩に出仕する今でも、月に数回講義を受けねばならない規定なのである。
剣術で立ち合って、悦蔵に敗北した事はこれまでに無いが、悔しいことに学業の面では悦蔵より高い評価を得た事はない。
「そうか、悦蔵は学問に傾倒してばかりだから、もやしっ子なわけだ」
「あ、酷い。……泰四郎ほどじゃないけど、剣術だって頑張ってるだろ、俺」
「俺に肖ろうって言うなら、まずは俺の後にくっついて回るのをやめるんだな」
生来負けず嫌いな性格のお陰で出たこの一言で、悦蔵は驚いたように泰四郎を見た。
「なんだよ」
「ああ……いや、なんでもない」
何か珍しく悦蔵の気に障ったのかと危惧したものの、それは次の瞬間にはいつもの安穏とした笑顔に戻っていた。
(おかしな奴だ)
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