赤い鞘
紫乃森統子
一.揃いの鞘(1)
小野派一刀流、免許皆伝。
剣の腕は紛れも無く本物である。
生来剛直で、筋の通らない事は嫌いな性質。
体躯も人より優れ、その上にやや強面だった。
名は青山泰四郎。齢、二十一。
***
「俺はそんなに怖いんだろうか?」
いつものように道場で稽古を終えた後、泰四郎は唐突に問いかけた。
どうにも、周囲には「怖い人」に見えるらしい。
恐らくそれは何事にも謹厳であるがゆえに周囲に与える印象なのだと思いたかったが、何しろ同じ門下でも遠巻きにされているように感じるのだ。
勿論、他者にも厳しいところがあるとは自負しているが、己自身にもそれ以上に厳しいつもりなのだが。
平素通りに振舞っているものの、最近では常々そんな周囲の目が気になるようになってきたのである。
「怖い、って? 泰四郎が?」
問いかけた相手、幼友達であり同門でもある和田悦蔵は、そんな泰四郎の鬱々とした様子も気にかけずにきょとんと訊き返してきた。
「ああ。この前なんかは、入門したばかりの童に木刀の持ち方がなってないと注意したら……。なんと、泣かれた」
「はあ……、泣かれたか」
「そんなに強く怒鳴ったりしたわけじゃない。手の添え方に気をつけろと言っただけなんだぞ? そしたらそいつは大泣きするし、どういうわけか他の子供まで泣き出した……」
指導の一環とはいえ、さすがに十を超えたばかりの子供を泣かすのは気が咎めるものだった。
もし目の前にいる悦蔵が泰四郎と同じ要領で注意したとしても、泣き出すまでにはならなかったのではないだろうか。
悦蔵もまた同門では泰四郎に匹敵する剣の達人であるが、気性は極めて穏やか、且つ容貌もまるで女のような美丈夫。
「俺はそんなに怖いか? なあ悦蔵、おまえどう思う?」
「えっ、俺は泰四郎大好きだけど?」
「馬鹿か、そんなことを訊いているんじゃないだろう!? 客観的に見て、俺は怖いかどうかと訊いているんだっ!」
「えー? ああ、そうだなぁ。子供にしてみりゃ、怖いのかもなぁ」
「やはり怖いのか、俺は。道理で婦女子も近付かんわけだ……」
「なんだよ、子供より婦女子の皆さんに好かれたいのかよー。やだなあ、泰四郎には俺がいるじゃーん」
汗に濡れた道着を上半身だけ肌蹴て、悦蔵は適当に汗を拭いながら軽く答える。
泰四郎としては深刻な悩みなのだが、悦蔵の耳には然程に深く届いていないらしい。
そして、今更ではあるが、この悦蔵だけは昔から妙に泰四郎に懐いてくるのだ。
悦蔵とは対照的な気性を持つ泰四郎に、何故こうも如才なく接してくるのか、それは幼い時分から疑問に思っていた。
いや、対照的な性格をしているからこそ、なのかもしれないが。
男同士で好きだとか何とか、そういうことを衒い無く言ってのけるあたりも、泰四郎には決して真似できない荒業である。
(いくつになっても、こいつは分からん……)
まだ藩校の手習所に上がる前の悦蔵は、泰四郎が見かける度にべそをかいていた記憶があるくらいで、何度女々しい様を晒すなと叱り付けたことだろう。
たった一つ歳が離れているだけなのに、随分弱々しい存在に見えていたこともしっかり覚えている。
それが何時の間にか、笑った顔しか見せないようになっていた。
元々柔和な面立ちの悦蔵が笑顔を見せれば、女子供も怖がるどころか向こうから近寄ってくるという。
にこにこと微笑みながら、泰四郎を慰めるように肩を軽く叩く悦蔵。
その様子を眺めて、泰四郎はふと思い立った。
「……そうか、笑顔か」
「え? 笑顔? 何がだ?」
突然声を上げた泰四郎に首を傾げる時も、悦蔵はまだ温和な笑みをその顔に残している。
悦蔵と違って、泰四郎は滅多に笑わない。
よほどに面白おかしいことがあれば別だが、ここ最近は人と会えば二言目には年明けから始まった戦の話題ばかりが出るようになっている。
遥か遠い京都で火蓋を切ったその戦が、今ではこの奥州にまで戦場を移してきているのだ。そう遠くないうちに、二本松藩からも兵を出すことになるだろう。
さすがにそんな話の最中に笑うのは不謹慎だと思ったし、げらげら笑いながら戦の話を出来るのは、そこに高い勝算が見込める場合だけである。
城下中にそういう張り詰めた空気が漂っている中では、確かに泰四郎に限らず笑顔を見せる者は少なかった。
だが、それとこれとはまた別な話。
泰四郎が笑いながら他愛ない話の一つでもすれば、敬遠する子供たちも少しは気を許してくれるかもしれない。
「俺も笑えば、怖がられずに済むかもしれないな」
「そうか? じゃあ試しに今、ちょっと笑ってみたらどうだ?」
「えっ。い、今? ここで、か?」
悦蔵は剣術ばかりか、笑顔の達人でもある。
そんな人の前でいきなり笑ってみろと言われても、泰四郎も慣れぬ笑顔をすることに若干の気後れがした。
情けない話だが、どうしても悦蔵の笑った顔に勝る自然な笑顔が出来る自信はない。
たじろいでこの場をやり過ごそうにも、悦蔵は素早く泰四郎の目と鼻の先に顔を寄せて、にっこりと飛び切り上級の笑顔を見せ付ける。
「ほら、にっこりー」
「……に、にっこ、りー……?」
悦蔵を真似て、泰四郎も半ば強引に口の端を引き上げる。
「!? 泰四郎怖っ!」
「俺の精一杯の笑顔を怖いとか言うな馬鹿野郎っ!」
「ごめんって! でも目が怒ってんだもん、もっと自然に笑えよ……!」
「俺のこの目は生まれつきだっ! もういい、笑顔はやめたっ!」
まさか、笑った顔まで怖いとは。それも悦蔵に言われると何故か無性に劣等感が生まれる。
うまく笑えない。
武人として大事なのは、自戒心、忠誠心、そして忍耐力だと教え込まれてきたせいだろうか。
泰四郎の父・青山泰介も、やはり厳しい人であった。小野派一刀流の奥義を極めた頗る腕の立つ武人である。
そういう常に武張った父の背中に倣い、幼少から培われたこの性分をいきなり変えることは難しいのかもしれない。
泰四郎はくるりと背中を向けると、小さく吐息した。
「いいんじゃないか? 厳しかろうが怖かろうが、俺はそういう泰四郎のほうが良いな。だいたい泰四郎みたいな偉丈夫はさ、キリリとした表情のほうが似合ってるよ」
「変な慰めは要らんぞ」
「じゃ、もっと平たく言うか? ……年中仏頂面の泰四郎がいきなりにこにこしてたら、気味が悪いって」
「言うじゃないか、悦蔵……」
人の気も知らずに、よくもいけしゃあしゃあとあしらってくれる。
やはりこんな相談を持ち掛けるのではなかったと少々後悔を覚えた時、背後の悦蔵がぽん、と膝を打った。
「そうだ、泰四郎」
「なんだよ」
気を取り直し、ひとまず汗と埃に塗れた道着を着替えようと襟を広げたところで、悦蔵の手が泰四郎の肩を掴んで引いた。
「俺、これから太刀を見に出掛けようかと思うんだけど」
「太刀? だからどうした?」
「付き合えよー」
「ああ?」
太刀と聞いて、思わず悦蔵の腰の得物に視線を落とす。
黒塗りの鞘の、立派な拵えの一振りを佩いているのに、何故太刀を新調する必要などあるのか。
そう疑問に感じたことが、泰四郎に自然と怪訝な声を出させた。
「な、たまには二人で逢引といこうじゃないか」
「おまえの誘い方はいちいち気に障るな……」
「ほうら、ぐずぐずしてると俺が着替えの介添えを……」
「せんでよろしい!! 触るな馬鹿っ!」
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