魔法少女後遺症
椎人
一
他に頑張れることが何一つなかったからとりあえず目先の勉強に集中して、真面目ないい子でいることを最大のアイデンティティにしちゃった人。私はそれだ。幼い頃にそういう歩き方を選んでしまった人間はきっと一生、「やりたいこと」と「やると決めたこと」の狭間で揺れ続けるのだと思う。私にとって座学は後者だ。勉強は大して苦にならなかったけれど、かといって好きでもなかった。
私が熱心に机に向かう姿に感心して、「勉強楽しい?」と訊いてきた大人が何人かいた。どうしてそんな質問をするのだろう。楽しいかどうかは重要じゃない。勉強はやるべきことだと教えたのはあなたたちでしょう?
小中学生の頃は勉強を「やるべきこと」に位置づけていたけれど、今はそういう風には捉えていない。学ぶ権利を義務と誤認するのは、自分が恵まれていることに無自覚な感じがして好きじゃないからだ。私たちは学んでいるというだけで存在を許されて、あの教室の中にいた。
私たちは許されていた。無垢なまま、愚かなまま存在し続けることを。そのまま大人になれたら良かったと思う。でも、私の場合はそうも行かなかった。
中学二年生の夏、私は、魔法少女になった。
*
社会人一年目の冬、親友のマリカが死んだ。彼女は三年間、私と一緒に闇の使者ファントムと闘ってくれた、戦友だった。葬儀には他の元魔法少女も来ていて、私は数年ぶりの再会がこんな形になってしまったことを悲しく思った。皆、こちらを見ると少しだけ頬の筋肉を緩ませて、おずおずと会釈してくれた。私も不謹慎じゃない程度に頬を緩め、彼女たちに応える。笑顔の微調整には慣れている。微笑みを絶やさず気高く美しく闘うのも、
「来てくれてありがとう、サエコちゃん」
喪主でもないのに、キミ先輩は参列者を代表して私を出迎えた。きっと他の後輩たちにもそうしたのだろう、一言二言、私をねぎらう言葉をかけてくれた。
先輩は目を伏せて呟いた。
「マリカちゃんと一番仲良かったわよね」
悲しいね、と彼女は言った。悲しい。私はまだその感情に到達出来ていないのだと悟る。キミ先輩は共感を求めている。そうだ、この場に来て悲しいという感情が沸いてこない私の方がたぶんおかしい。だから私は、暗に求められている通り、親友を亡くして悲しんでいる人間としてコメントした。
「……そう、ですね。私にとってはあの子が一番の友達でした。彼女もそう思ってくれてたら、いいんですけど」
「思ってくれてるわよ。きっとね」
それは先輩が葛藤の中で精一杯絞りだしてくれた、配慮の言葉だった。私は彼女の心遣いに感謝をする。本当は自分の闘いでいっぱいいっぱいだろうに、わざわざ私の心配をしてくれているのだ。
「気を付けるのよ、サエコちゃん」
先輩は私の名を呼んでこう言った。
「ファントムは心の隙に付け入るわ。実体を倒しても、それで終わりじゃないのよ。むしろそこからが本番で、私たちは解呪に何年も費やすことになる」
「どうしたんですか、急に」
魔法少女たちの間では、周知の事実だった。というより、このコミュニティの中では最年長の経験者であるキミ先輩が、新入りに一番最初に教えるのがこのことだった。どうして今更、忠告する必要があるのだろう。私が私に取り憑いたファントムの心臓を破壊したのは、もう半年も前のことなのに。その間、特に後遺症に苛まれることもなかった。至って健康体で、就職活動に勤しんでいたのに。
キミ先輩の黒目がちな瞳が不気味に光って見える。
「最後は結局、自分との闘いなのよ。――マリカは、その闘いに負けてしまった」
「先輩」
それは分かっていても言わないでほしかった。マリカの死因について。
この場にいる元魔法少女たちは皆、遺族に訊かずとも事情を知っている。ラスボスを倒したが裏ボスには敗北した魔法少女が、どんな末路を辿るのか。
魔法少女後遺症。選ばれてしまった少女たちが変身能力の代償として背負うことになる、致死性の病。そもそも変身能力自体、ファントムという不条理への対抗手段として与えられたものなのだから、それに代償が伴うというのは、それこそ不条理だ。けれどともかく、私たちはあのコスチュームに身を包んで立つだけで、常人以上に命を消耗する。
正直に告白すると、私は棺の中のマリカを見るのが怖かった。いつも隣で可憐に笑っていたあの子が、どんなにおぞましく変貌しているかと思うと、身の毛がよだつのだ。聞くところによれば、後遺症で死ぬと、エンゼルケアでは隠すことができない悪性の肉腫が、身体のあちこちに出来るとか。マリカがそうなっている姿を、私は見たくなかった。
「先輩も、負けないでくださいね」
私はキミ先輩の手を取ってそう言った。後輩を慮る彼女もまた、ギリギリのところで耐えているように見える。沢山気にかけてもらった愛弟子として、彼女の老後が穏やかなものであることを、願わずにはいられない。
先輩は少し居心地悪そうに微笑んだ。困らせてしまっただろうか。ごめんなさい。でもあなたが私たちを心配してくれるように、私はあなたのことが心配なんです。仲間たちには末永く生きていてほしい、どうか。公共の奴隷として使役された人々に必要なもの全てが、私たちには与えられるべきです。
その後私は告別式でマリカの遺体を見たはずなのだけれど、よく思い出せない。もしかして、想像していたより損傷が激しかったことにショックを受けて、記憶が飛んでしまったのだろうか。破れた風船みたいになってしまっていただろう彼女の姿を、忘れてしまいたいのだろうか。
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