6
目覚めが悪いし、案の定、〇号館は戦場のようになった。建物を囲んだ機動隊が放水を始めた。僕たちは屋上へ集って、貯めておいた石や道から剥がした石畳を投げて抵抗した。それらは遥か下方の機動隊の群れへ向かって落ちていく。
『〇大、過激派学生の投石が命中した機動隊員が死亡。』
ひと月くらい前に読んだ新聞記事が急に頭に蘇る。いやな感じ。持ち上げようとした石畳のざらざらした手触りが心なしかまとわりつく気がした。
「おい、見ろ!」
リーダーが叫ぶ。声に押されるようにして、地上を覗く。そこには、機動隊員の無数の頭が見えるはずだった。しかし、見えたのはジェラルミンの盾の群れだった。トンネルのようなものが、〇号館の入り口に繋げられていて、その骨組みにジェラルミンの盾がぎっしり取り付けられているのだ。だから僕たちの応戦はまるで打撃になっていなかった。その中を通って、機動隊員たちが今まさにこの建物に突入するところだった。
「侵入された!」
「もう駄目だ、観念するか。」
「ボクもそう思います。」
呆然と地上を見つめるメンバーが、弱気なことを言っている。まだバリケードがあるから、終わったわけではないのに。バリケードを固めて迎え撃たなければいけないというのに、メンバーの足取りは重い。
「あれ、リーダーは?」
しかも、リーダーの姿が消えていた。こんなときにトイレだろうか。屋上に一番近い階のトイレまで降りてみた。だが、静まり返っている。まるで夜中の小学校みたいに。ヘルメットが投げ捨てられて、便器に沈んでいる。汚れの付き方に見覚えがあった。外に面した窓が開いている。個室の柱にロープが結び付けられていて、外の世界まで垂れている。状況が明確に示していることを、飲み込めない。
「革命を成し遂げるためには戦略的撤退も時には必要だ。」
そういえば、リーダーが「戦略的撤退のすすめ」という勉強会を開いたことがあった。
「いざというときには窓からでも逃げられるよう、ロープを準備しておくんだ。」
分からないものだ。僕はロープを伝って登ったり降りたりしたことがないので、逃げられない。しかしこれでいよいよ終わりだ。突入を許した。指導者は逃げた。バリケードのところまで行く気も失せて、ふらふら彷徨っていると、「ゲバルト・ローザ」とすれ違った。呼び止められる。
「応戦しないの?もう、機動隊はすぐそこまで来てるよ!?」
僕はがっくりと首を落とす仕草をして言う。
「リーダーが逃げた。もう終わりだ。」
「ゲバルト・ローザ」は一瞬落胆した表情を示したが、すぐに覇気を取り戻した。
「なんですって!?でもそれが何?リーダーがいなくなったくらいで革命は終わるの?」
「みんな投石が効かなかった時点でかなり弱っちまったさ。機動隊の対策が万全だったよ。伊達に他の大学の鎮圧をしてたわけじゃなかったんだね。」
シュッ、ポケットに入れていたマッチを取り出して、とっておいた煙草に火を付ける。普段は吸わないが、こういう風に追い詰められたときは喫煙が絵になる気がしたから、なんとなく。
「あきらめるな!リーダーだって、地下に潜って戦い続けるかもしれない!私たちは見限られたかもしれない。でも、まだやれる。私は革命をする。おにぎりを握るのが男女で分担で、性交も控えめな…。」
僕は顔をしかめる。
「なんだい、そりゃ。革命は分かるけど、ずいぶんお行儀がいいじゃないか。」
「ゲバルト・ローザ」の勢いが増す。〇号館はもはや当局の手に落ちそうで、古ぼけたただの建物にしか見えない。その中で、「ゲバルト・ローザ」だけが輝いているかのようで、その身には全世界の労働者階級のエネルギーが充満しているように見えた。
「それがどうした?私の違和感がそうさせてるから。あんたはやらなかった。それだけが少しは…。とりあえず、来なさい!」
それから先のことはいまいち現実味がない。バリケードを破壊している機動隊員に向けて角材を振り回したような気もするし、両手を上げて降参したような気もする。気が付いたら手錠をかけられていた。
機動隊員たちに連行される途中で、その中の一人が僕に語りかけてきた。
「革命だかなんだか知らないけどよ、俺は農家の次男だぜ。こっちの奴は三男だ。みんな田舎から出てきた。大学になんて行ってない。お前さんたちの好きな労働者階級だぜ?そんな俺たちを相手に暴れて、楽しかったか?」
軽蔑を含んだ表情を向けられてしまった。胸が包丁で突かれたように痛んだ。
『あんたはやらなかった。それだけが少しは…。』
留置所の中で、「ゲバルト・ローザ」の言葉を思い出した。彼女はどこへ行ったのだろう?バナナを使えなかったのが、そんなにいいことかい?
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