◆◆◆ 35. 聖剣伝説

 陽の当たる大地から潜った先、五十五層にも及ぶ広大な地下迷宮ダンジョンの奥底に聖剣は眠るという。

 岩の台座に鍔元まで刺さった聖剣は、剣がそうと認めたあるじにだけ抜かせるのだとか


 魔物が跋扈ばっこする迷宮は、一層を下るのすら死力を尽くす必要があろう。

 最下層に至れる者などそう現れるはずもないが、これとて剣の与える試練、越えられない者は最初から資格が無かっただけのこと。

 幾人もが迷宮へ挑み、そして帰らぬ人となった。


「くそっ、何匹いやがるんだ!」


 メルナースもまた、聖剣の伝説に憧れてこの地下に足を踏み入れた男だ。

 伝説の出所など不確かで、本当に命を賭ける値打ちがあるのか分かったものではない。


 だが、メルナースがさらなる高みを目指すには聖剣しかなかった。

 彼は魔法が使えない。魔力を全く持ち合わせず、簡単な火起こしすら道具に頼らねば不可能だ。

 おかげでひたすら剣の腕を磨き、火炎や稲妻にも対抗し得る技を獲得した。

 それが迷宮では効を奏する。


 魔物たちには侵入者の精神を犯し、混乱させ、自失した木偶でくを喰らうものも存在した。

 この凶悪な攻撃が彼には効かず、ひたすら目の前の敵を狩り尽くしていく。

 魔法を使えないのは、魔法を跳ね返す力ともなり得たのだ。


 たった一人。そう、メルナースは単独で迷宮に入り、なんと最下層へ辿り着くことに成功した。

 長い通路の果てには大部屋があり、ごろんと無造作に鎮座する岩の台座が見える。


 成し遂げたメルナースではあったが、この大部屋は彼を祝福してくれはしなかった。

 いや、熱烈な歓迎と考えるべきか。


「せいっ!」


 殺せ。

 滅ぼせ。

 悪意が熱を持って渦巻く。


 横薙ぎに振った刃が、骨の虎を真っ二つに断った。

 ガラガラと転がり散る骨を蹴散らし、次は狼がメルナースへ飛び掛かる。

 交差気味に迎え打ち、その顎を跳ね上げて背後へ駆け抜けた。


「どりゃあっ!」


 月円斬げつえんざん、我流で生み出した絶対防御の型。

 彼を中心に刃先が真円を描き、軌跡上にいた魔物たちを切り刻む。


 骨の身体を持つ魔物が多いものの、それだけではない。

 何やら真っ暗な体毛に覆われた毛虫の親玉如きものもいれば、岩の身体を持つ人型もいる。

 どれもメルナースより大きく、一瞬でも気を抜けばなぶり殺されるだろう。


 鷲かと思うサイズの蝙蝠こうもりも厄介だ。

 隙を窺って火焔玉を飛ばしてくるため、常に上空にも注意を払う必要があった。


 どこも狭っ苦しい迷宮にあって、ここ大部屋だけは勝手が違う。身丈の四倍はあろう高い天井が恨めしい。

 既に二度ほど火焔玉の直撃を受け、メルナースの首元と左手にはひどい火傷が生じていた。


「六、七……また増えやがった」


 斯様かように単身で戦える者が、メルナース以外に存在するだろうか。

 誰も見ていない地の底で、彼は一騎当千の死闘を演じる。


 足元の床は、最初から骨だらけだった。

 聖剣を求めた者たちのなれの果てである。

 そこにメルナースが新たに魔物の死骸を加え、あちこちにうずたかい骨の山が生まれていた。


 左後方からまたもや虎、今度はいくらか肉が残る別物だ。

 骨虎よりも動きが素早く、メルナースの首を狙った爪が肩をかすめた。


 月円――。

 周囲を丸ごと断とうとした剣は、しかし、虎の胴に食い込んで止まる。

 自己犠牲てもあるまいし、虎はただ闇雲に突っ掛かってきただけだろう。

 その無謀な踏み込みのせいで剣の中程があばらに挟まり、勢いを殺されてしまった。


 決定的な隙を見せたメルナースを火炎玉が、狼の追撃が、岩の巨人ゴーレムの投げた石弾が襲う。

 すかさず剣を引き抜いて応戦し、致命の傷こそ避けたメルナースだったが、狼は彼の左手首を捉えた。

 獰猛な牙が筋に食い込む。


「くっ!」


 メルナースは狼ごと地を転がり、ゴーレムへと近づく。

 狼を盾として岩の殴打を受け止め、ゴーレムの胸に露出した核へ渾身の突きを放った。


 核が割れ、岩の巨体が静止する。

 へしゃげた狼がズルリと落下したのを機に、メルナースはゴーレムの身体へ駆け登り宙へ跳んだ。


 耐えられるもんなら耐えてみろよ――千刃影斬せんじんえいざん、長年の修業で得た彼が持つ遠距離攻撃の最高峰が大部屋で炸裂する。

 常人では持ち得ない速度と膂力りょりょくが、鎌鼬かまいたちにも似た刃の影を四方に散らした。

 蝙蝠の羽を裂き、狼のうなじを切る見えない刃が空間に満ちる。

 メルナースが着地した時、魔物たちは一斉に崩れ落ちた。


「きつ過ぎるぜ……休憩くらいさせろっての」


 大技は大技たる長所もあれば、短所もまたあってのもの。

 限界まで酷使した筋肉は一気に弛緩し、しばらくは使い物になるまい。

 とろくさい剣では狼一匹の相手も厳しい。


っ!」


 左腕の怪我は酷く、何本か動かない指があった。

 激痛に呻きつつ、メルナースは部屋の奥へ向き直る。


 魔物はまたすぐに現れる――そんな予想を彼は確信していた。

 もう六回は大部屋での乱戦を繰り返したのだ、七回目が無いとは思えない。

 事実、壁際の暗がりが奇妙に揺れて見える。


 急がねば。

 新手が登場する前にと、メルナースは台座へ走った。


 痛みは心で押し殺しても、額から汗が噴き出し、息は勝手に乱れる。

 敵の殲滅など考えようものなら、いずれメルナースも朽ちた骨の仲間入りだ。

 体力も消耗し、満身創痍となった今、ここが最大にして最後のチャンスだと彼も分かっていた。


 たった数十歩が遠い。

 意識を足に集中させて、身体を前に運ぶことのみを考える。

 背後で唸り声が聞こえたように感じても、メルナースはもう振り返らなかった。


 岩の台座が眼前に迫ったところで、彼は残る力を振り絞って跳ぶ。

 岩にしがみついて上り、その上面に立ち上がった彼は、真下にある刃幅のを睨みつけた。


「クソったれが!」


 右手に持つ剣を、元あったようにメルナースは穴へ差し込む。

 鍔まで刃が岩に埋まると、後ろから近寄ってきていた唸りは止んだ。


「何が聖剣だ……魔剣ですらねえ」


 剣の力は本物だ。

 彼の技にもこれ以上なく応え、抜群の切れ味を発揮した。

 だが、剣を抜いた途端、強烈な魔物たちが発生して所持者を狙った。

 これが聖剣を抜いた者への試練だとは、どうにも思えない。


 聖剣は人を引き寄せる餌なのでは。

 いや――と、メルナースはかぶりを振る。

 ここに来た者が聖剣の餌なのだ。


 頭の中、さらには部屋中に響いていた殺意の喚きが今では聞こえなかった。

 おそらく殺意の根源は剣。

 彼がいくらかでも魔に通じていたら、剣に呑み込まれていたのかもしれない。


 忌ま忌ましげに剣のつかを目の端に収めつつ、メルナースは周囲の気配を探る。

 この大部屋に限り敵意は消えたようで、彼はいくらか緊張を解く。


「さあて、どうしたもんだ」


 自らに問うメルナースも、選択肢が無いことを知っていた。

 往きより帰りの方がつらいとは、彼の気も滅入ろうというもの。

 未だ戻らない左手の調子に悪態をつきながら、メルナースは大部屋の入り口へと歩き始める。

 腰から自前の剣を抜いた彼は、刃毀れしたさまにまた愚痴を重ねた。

 いよいよ部屋を出ようかというとき、今一度、台座に視線をくれる。


「またな、クソ聖剣」


 ここは迷宮の深淵。

 単独制覇は誇るべき偉業なのだが。


 誰に知られなくとも、メルナースという男はそこで手に馴染む剣とともに在った。

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