◆◆◆ 55. ミソジニスト
イラストレーターにはなれなかったけれど、企画デザインの事務所に就けて早三年が経った。
イベントや商品プロデュースを手掛ける仕事で、今はインスタントスープのキャンペーン企画を担当している。
若い女性をメインターゲットにした商品なので、近い年齢の私が主任として抜擢された。
休みが少なく、クライアントの要求に振り回されることも多いがやり甲斐はある。
何と言っても、私が実質的な責任者になったのは初めてのこと。幾度も徹夜を続けて企画書を完成させたときは、安堵と達成感に満たされた。
さあ、明日は相手企業へプレゼンに行く、そんなタイミングで新入りの
納期が間に合いそうになくて、泣きが入ったらしい。
「明日中には二人で形にしてくれ。明後日には提示しておきたい」
「待ってください、明日は私のプレゼンなんです」
「知ってるよ。私が持っていく。細かい打ち合わせは、後日改めて君がやればいい」
確かにプレゼンと言っても、実務が目的ではなかった。取締役や各部責任者との顔合わせが主で、課長を伴うのが既定路線だ。
私が欠席しても支障は無いかもしれないが……。
「頼んだよ。紙資料も刷ってあるんだよね?」
「すみません、そちらは明日の朝一に準備するつもりで」
「何だい、
その計画性の無い、久保くんの尻拭いをさせられるんですが。
課長は決して無能ではない。仕事も出来るし、セクハラもしない。
印象を悪くしているのは、たまにこうやって女を下げるような嫌味を言ってくるところだ。
女は
課長と二人で行動するときは必ず後ろへ下がって、自分より前にしゃしゃり出ないように釘を刺された。
相手が男性なら、あからさまな反対意見は口にするなとも言われている。
頭の固い昭和世代と近年の女嫌い、その両方が混じったハイブリッドだろうか。
「正午には出るから、それまでに仕上げとくように」
「それは間違いなく」
「顔が疲れてるぞ。女は体力が無いんだから、ちゃんと寝るようにな」
気遣ったセリフも、一々カンに障る。
課長こそプレゼンで失敗しないでよね、と心の中だけで口答えしておいた。
その日は終電まで資料作りに励み、かすむ目を擦りながら数字を打ち込む。
他人任せになると思うと心配で、予定より細かなデータまで載せて補強した。
セキュリティのせいだか知らないが、家へ作業を持って帰れないのが恨めしい。
翌日は課長に資料を渡し、八つ当たり気味に久保くんの尻を叩く。
トラブルを知ったのは、さらにその次の日のこと。出社した私に、久保くんが教えてくれた。
「課長、向こうの部長と喧嘩したらしくて」
「はあ!? ……何やってくれてるのよ」
思わず地が出そうになるのを
どうも課長はいつもの調子で女性論をぶったらしく、相手の逆鱗に触れたとか。
相手の広報部長も男性だけれど、女性の悪口は許せないタイプみたいだ。
自席につくと、すぐに神妙な顔をした課長がやってくる。午後から謝罪に行くので、私もついてこいと言われた。
あんまりな経緯に、気の利いた嫌味も浮かばない。
課長の運転で相手先へ向かう道中は、お互い無言で前方を見つめるばかりだった。
どうなることかと思われた謝罪会談、そこは責任もある大人のこと、予想よりずっと穏やかにことが進む。
狭い応接室に、向こうの出席者は部長のみ。
部長は五十代くらい、課長の十上ってところだろう。
課長は平身低頭、土下座までする勢いなのを相手の部長から制止された。
私は横で二人の遣り取りを眺めつつ、ホッと胸を撫で下ろす。
「本当に我が身の至らなさを恥じる次第でして」
「平坂くんも、よく勉強した方がいい」
「はい。仰っしゃる通りです」
「女性と言うのはね。元来太陽なんだよ。そこに在るだけで私たちを照らす光なんだ」
ん? と部長の言葉が引っ掛かり視線を向けた。
「君だって私だって女から生まれたんだよ。女は太陽であり海であり、万物の母だ。男が
「はっ」
いやあ、女上げは結構だけれど、この部長もかなりキてる。
裏返しもまた女蔑視ではと思えてくるのは、天の邪鬼なんだろうか。
「能力がなんだ。仕事ぶりがどうだと。この娘さんをよく見てみなさい。実に愛らしいじゃないか」
「いや、あの……」
話を振られて、つい口を挟む。
「笑っているだけで結構! それで皆のやる気が出るってものだよ」
「ちょっと、いくらなんでもそれは――」
こらっと平坂課長が反論しかけた私を止める。
黙って拝聴しておきなさい――その言い方は実に課長らしい。女は黙って聞いておけ、だ。
こいつ何も反省していないんじゃないかと、私の中で何かが切れた。
「私は何も言うなと? 女は笑っておけ? 今は何年ですか。企画責任者ってのはお飾りですか?」
「やめなさい、部長もお許しになって下さったのに」
「やかましいわっ! 聞いてれば女女女って何やねん! 仕事に女も男もあらへんわ。あんたらもプロやろ。プロフェッショナルやろ。なら仕事の話をしてナンボやんか。女や何やは、家でやりよし!」
ああ、言ってしまった。地が出てしまった。
絶句するオッチャン二人。
しばらくして、課長が小さな声でつぶやく。
「君は関西出身だったのか……」
高校までは神戸育ちでしたので。
女ってだけで馬鹿にされるのは、精神をジワジワ削っていく。
これでクビならそれもそれ、鬱積を発散させて私は穏やかに微笑んでみせた。
意外にも、広報部長は私に笑い返して拍手を始める。
「素晴らしい。これでこそ女性……いや、その言い方が失礼でしたな。一本取られたと思わんかね、平坂くん」
「そう、ですね。プロフェッショナルか。まずは仕事、次も仕事。彼女に説教されるとはまだまだでした」
笑い合う二人は楽しそうで、少し呆気にとられた。
転職はせずに済むかも。
こんなことなら、もっと早くに爆発しとけばよかった。
しかし、本当の爆弾はこの直後投下された。
「いい加減な資料を提出してしまい、本当に申し訳ありません。つい彼女のせいにしてしまいましたが、私のチェック不足でした」
「ライバル会社の数字は常に見ているからね。我社のデータでもなければ、年次もおかしいとは。まあ次は気をつけてくれ」
あっ、と思い当たる。
比較データとしてライバル社のものを調べはした。
資料には使わなかったつもりが、疲れた頭で混同してしまったようだ。
ポカミスもいいところ、それを課長が私の、女のせいにして――という昨日の流れが想像できた。
「も、申し訳ありませんっ!」
「いいよ、反省して今後に活かしてくれれば。な、平坂くん?」
「そうですね。最近の
「昔は厳しかったからなあ。君も覚えがあるんじゃないのか、ほら――」
年配同士が若者批判と苦労自慢で盛り上がる。
女が若者に置き換えられて、一件落着……なのかなあ。
まあいいや、そのうち見返してやろう。
ちびっとだけマシになったと無理やり自分を納得させて、私はペコペコと頭を下げ続けた。
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