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ミートローフを焼いている最中に、ブッシュドノエルのデコレーションをしていく。無事にロールケーキの生地が焼けたのは良かったけれど、問題はそこからだ。クリームが少し硬くなってしまったから、塗り広げていくのが難しい。……かえって木みたいになって、これはこれでいいのかもしれない。少しいまいちな見た目のソレに昨日スーパーで買ったサンタクロースの砂糖菓子とポインセチアの飾り、クリスマスツリーのろうそくを飾っていく。今日酷使し続けているオーブンの焼き上がりの合図と一緒に、私のスマホが鳴った。
「優奈からだ」
通知画面を見ると、優奈からメッセージが来ていた。それは衝撃的な内容だった。
「えー! 遅くなるの!?」
どうやら、今日突然仕事が入ってしまい、こちらに来るのが遅くなってしまうとの内容だった。私はがっくりと肩を落とす。部屋にはミートローフが焼き上がった匂いが満ち溢れていて、ぐーっとお腹が鳴る。悲しいけれど、仕方ない。私はブッシュドノエルを冷蔵庫に仕舞い、ミートローフをオーブンから取り出す。付け合わせのブロッコリーやニンジンをゆでたり、カルパッチョを作っている内に、いつの間にか外は暗くなっていた。
「……どうしよう」
湊人君が言っていた『SNSの生配信』の時刻が迫って来ていた。見るつもりはなかったけれど……気になって仕方がない。優奈が来るまでの間、そう自分に言い聞かせて、私はSNSを開いた。湊人君のアカウントはしばらく真っ暗なままだったけれど、時間が来るとまるで電気がつくように明るくなった。
『みなさん、こんにちは……いや、もうこんばんはか。OceansのMINATOです』
その声はいつも以上に固く、重苦しいものだった。表情も同じで、私に見せてくれていた笑顔はどこにもない。
『えーっと、この前の週刊誌の報道では、迷惑をかけてしまった人々、そしてファンの皆さん、本当に申し訳ありませんでした』
湊人君の背景には見覚えがあった。だってウチと同じ壁紙だから……隣の自宅で配信しているんだと言うのがすぐに分かる。
『ただ、あの報道は全部が事実じゃないと言うか……色々ねじ曲がっていろんな人に伝わっているところがあると思います。俺の口からちゃんと一から説明するのは難しいから、今日は法律の専門家にも協力していただくことにしました』
次の瞬間、私の驚きの叫びが部屋中に――いや、絶対隣の家にも聞こえたに違いない。だってその画面に映ったのが、優奈だったから。
『鈴木弁護士事務所所属弁護士、鈴木優奈と申します』
優奈がカメラに名刺を向けた。スーツをばっちりと着込んだその胸には弁護士バッジがついている。
『まずは俺とホノ……あ、名前出したらマズいのか。A子さんが出会ったのは、今年の夏くらいです。A子さんが隣に引っ越して、まあなんやかんやあって話すようになって……俺が勝手に好きになっていきました。A子さんが引っ越してきた時点で、旦那さんと離婚するために家を出たって言っていました』
私は湊人君に出会った時の事を思い出す。女の子を連れ込む姿を撮っていたら、それが彼にバレたこと。なぜか私の作ったご飯を食べてくれるようになって、一緒に過ごす時間が増えていった。
『ホ……A子さんには自分の気持ちを伝えました。俺は本気だったけど……相手は俺の立場とか色々考えて俺と一緒にはならないって言われました。それに……まだ、離婚出来ていないっていうのもあって』
湊人君はちらりと隣にいる優奈を見た。どうやらバトンタッチするみたいだ。
『私から、今回のMINATOさんのお話と週刊誌の記事に基づいて、いくつかお話させていただきます。まず、今回の二人のケースは、ファンの方が心配しているような不倫関係には当たらないということです』
優奈は背筋を伸ばしていて、いつもと声のトーンがちょっと違う。
『A子さんはすでに離婚を前提に別居をしているので、A子さんと夫の婚姻関係は破綻していると考えられます。お二人が出会ったのも別居後、婚姻関係破綻後となりますので、これから二人が交際を始めても、不倫には当たりません』
『セーフっていう事でいいですよね?』
『まあ、言い方を変えるとそうなりますね』
『なので! 結構ネットとか見ていたらみんな俺が人妻寝取ったんじゃないかって心配してくれていたけれど、不倫じゃないです!』
湊人君が自信満々で胸を張る。その仕草が子どもみたいで、私からくすりと笑みが漏れた。次第に生き生きしてくる彼の表情を見ていると、私の心が凪いでいくような気がした。
『でも、やっぱりこういう報道が出て俺の事が嫌いになったりした人も多いと思います。俺は……もう、みんながアイドルとしての俺を見るのが不快になったり、ホ……A子さんとの関係をファンの人が許してくれないなら……俺、潔く、アイドルを辞めようと思います』
「え!?」
私の声がまた響いた。だってこれは、衝撃発言すぎる。
『ただ、いつもフラフラしていた俺にとって、A子さんはとても大事な女性です。彼女は俺から離れると言っていたけれど、やっぱり俺は諦めたくありません』
そこで湊人君は言葉を区切った。彼はまっすぐカメラを見つめているのだと思うけれど、私は自分自身の目を射抜かれているような気分になる。それくらい、真剣なまなざしだった。
『……ねえ、穂花サン。見てる?』
『A子さん』なんてぼやかした名前じゃなくて、彼が私の名を呼んだ。久しぶりに優しい声でそう呼ばれると、胸がぎゅっと痛くなる。目からは一筋の涙が流れていた。
『俺は、アンタの事、諦めたくない。俺は真剣にアンタとのこと考えてる……だから、俺と付き合ってください』
その言葉と一緒に、生配信が終わった。呆然となっていた私は次第に意識を取り戻していった。
「……私も、決めなきゃ」
そう言って立ち上がる。寝かせて置いたミートローフを切り分けて、保存容器に入れる。それをさらに紙袋に入れて、カバンに必要最低限のものを入れていく。私はコートを着て、スマホをポケットに入れて外に出た。振り返ると、リビングのテーブルの上でもう一つのスマートフォンの画面が光っているのが分かった。
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