9 クリスマス・キス

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 女性週刊誌による報道は、SNSやネットニュースのコメント欄を中心に炎上の嵐になっていた。特に多かったコメントは「MINATOに対して幻滅した」というもの。やはり、当たり前だけれど『既婚者と熱愛』というのはみんな嫌悪感を抱いてしまうものだ。もし私が当事者じゃなかったら同じことを思っていたに違いない。


 湊人君や所属事務所からは週刊誌が発売された後も何もコメントがなく、彼がOceansとして活動を続けていることも、それに火に油を注いでいる感じだった。金曜日のキラモニッ☆の時にはSNSではアンチによるコメントが増え始め、Oceans以外の出演者もなんだか余所余所しいように見える。しかし、年末年始にかけての音楽番組への出演も決まり始めていて……事務所はこのまま、黙っているつもりなのかもしれない。ただ見守るだけの時間が過ぎていった。


 あれ以来、私は彼の事を拒み続けていた。毎週木曜日、インターホンが鳴る。オートロックを介さないそれは間違いなく湊人君の物だった。木曜日の夜にたった一回だけ鳴るそれを、私は聞こえないふりをする。早く引っ越しが出来たらいいのだけど、あまり条件に合う物件が見つからないみたいだった。私も休みの日を利用して不動産屋に行ってみたりするけれど、セキュリティの事を考えると今の私では家賃を払うのが難しい物件が多い。私はまだ、湊人君から物理的にも心の中でも離れることができないでいた。街並みはすっかりクリスマス一色になっていて、バイトに向かうだけでも何回もクリスマスソングを耳にするようになった。年が明ける前に何とかしたかったのに……私は肩を落とす。


 鬱々とした気分で日々を送っていたある日、優奈にこんなことを言われた。


「クリスマスパーティしない?」

「……え?」

「女二人でさ、パーッと明るくやろうよ。次の日休みにして、朝まで飲んだくれるの」

「それ、クリスマスパーティって言う?」


 私が呆れるように笑うと、優奈は満面の笑みを見せる。彼女のこんな表情を見るのは久しぶりだった。優奈はずっと私に気を使っていたのだと、この時になって気づいた。


「お酒は私が持って行くから、穂花は料理担当ね」

「はいはい、わかりました」

「あとケーキも」

「え? ケーキも?!」


 思いがけない注文に私は思わず大きな声をあげる。


「ケーキなんて、数えるくらいしか作ったことないよ? できるかな」

「大丈夫だよ、きっと。私、ブッシュドノエルっていうやつが食べてみたいな」

「えー……。それ、うちのオーブンで焼けるかな……」

「ま、できる範囲でいいよ! 楽しみしてるからね!」


 そう言ってくれる友人のおかげで、私も何年かぶりにクリスマスが楽しみになってきた。バイト先で時間があるときに、クリスマス料理のレシピを探したり、主婦のパートさんからどんな料理をするのかという話をする。そうしている間は湊人君のことを考えずにすんで、気がまぎれた。


 それでも、少しでも気を抜くと現実は波のように押し寄せてくる。私が抱えている問題は、もう一つあった。湊人君から離れることができないのと同様に、離婚についても話が進んでいなかった。藤野さんはのらりくらりと逃げ続けているらしい。優奈には年明けにも、離婚調停、そして裁判まで視野に入れて本格的に話をしようと言われている。裁判なんて大掛かりなことまではしたくはなかったけれど、解決しなかったのだから仕方ない。


 乱れた本棚を直していると、テレビ雑誌コーナーの前で女子高生の集団が何やら話をしているのが見えた。一瞬『Oceans』という言葉が聞こえてきた。私は本能的に耳を澄ましてしまう。


「アンタOceans好きだったじゃん、買わないの?」

「んー……今ちょっと萎えてるの」


 そう話す女の子の声はとてもどんよりしていた。


「へー、アンタにもそんなことあるんだね」

「だってさ! MINATOってば不倫してたんだよ!」


 その言葉にドキリと胸に痛みが走る。


「あー、そういえばそんなこと言ってたね。ネットニュースで見たよ」

「それなのに今も謝罪とかなくってさぁ! なんかすっごく幻滅したっていうか……ほとぼり冷めるまで待ってるみたいな感じで、何かムカつくんだよね」

「アンタがそこまで言うって、よっぽどだねー」


 私は、湊人君はそんな人じゃないよって言いたかった。けれど、今彼女たちにそんな風に声をかけたらただの不審者だし……それに、私にできることは何もない。下手に何かしても、ただ墓穴を掘るだけ。私は息を潜めながらその場を離れていった。


***


「穂花ちゃん、クリスマス何作るのか決めたの?」


 バイト終わり、最近よく話をするパートさんに声をかけられた。今日は12月23日、明日はイブ。優奈とパーティをするって約束した日だった。


「はい、ミートローフでも作ろうかなって思ってて」


 肉だねを半熟にしたゆで卵と一緒に型に入れて、オーブンで焼いていく料理。上手に焼くことが出来たら、卵は半熟のまま、切ったら黄身がとろりと流れ出す。簡単そうに見えるけれど、その加減が難しい。


「いいねぇ。うちの子なんて、もう面倒だから何もしなくていいなんて言うのよ。だから焼き鮭だしてやるわ」

「寂しいですね、それは」

「そうよ~、クリスマスを一緒にやってくれるうちが華なの。その彼氏大事にするのよ」


 私は大慌てで首をぶんぶんと横に振って否定する。


「友達! 友達です! 一緒にパーティするの!」

「え? あらやだ、ごめんね。勝手に勘違いしてた」


 私からは乾いた笑いが漏れるけれど、パートさんは自らの勘違いに大爆笑していた。


「楽しんでね、パーティ! お友達によろしく」

「はい、ありがとうございます」


 私はバイト先を出て、スーパーに向かう。ここもクリスマス一色で、少しだけ価格にお祭りムードが加算されている。私はそれに目をつぶって、材料を買い集めていた。明日は料理作りとパーティで一日が終わる。今のうちに買い物を済ませておかないと。ミートローフの材料と、それだけだとテーブルが寂しいからサーモンのカルパッチョとサラダの準備もして、優奈にリクエストされたブッシュドノエルの材料を買う。まだ家のオーブンでロールケーキが焼けるのか試したことはないから、もしかしたら失敗するかもしれない。その時は、コンビニでケーキを買おう。私はそう考えながら家路を急いだ。


 マンションの近くに来ると、まだ少しドキドキしてしまう。藤野さんがいるかもしれないという恐怖だけではなく、湊人君に出会うという偶然が起きてしまうのではないかという不安。もし彼に会ったら、私はどんな態度を取ればいいのだろう? その答えが見つかっていないから、どうしてもそれだけは避けたい。エントランスを過ぎて、エレベーターに乗って、自分の部屋の前に着くまで気が抜けなかった。


「……あれ?」


 私は自分の部屋のドアにメモが貼りつけられているのに気づいた。そっとテープを剥がして二つ折りになっていたそのメモを開く。そこには湊人君の名前にメッセージが添えられている。


『明日、SNSで生配信するから見て欲しい』


 メモには走り書きでそう書いてあった。私はそれを破り捨てようと思ったけれど、どうしても手がうまく動かなかった。私はその手紙を丁寧に畳み、それと一緒に家に帰っていた。


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