― 18 ―


「はい、交渉成立! それじゃ、湊人のことよろしくお願いします!」

「それじゃあ、僕たち仕事があるんで失礼します!」


 二人はまるで風のように家から出て行っていく。私は呆気にとられながらも、大変な事を引き受けてしまった責任感にじわじわと圧し潰されそうになっていた。気づいた時にはもう家を出なければいけない時間になっていて、私も慌てて家を飛び出していた。


***


「穂花、久しぶり!」

「結婚する前以来だよね? 優奈から話は聞いたよ、大変だったって……」


 優奈と同じく、中学の友達である美穂と茜。優奈が連絡を取ってくれて、今日はプチ同窓会という事で集まる約束をしていた。茜は専門学校を卒業して今はデザイン会社で働いていて、美穂はいつの間にか結婚してすぐに出産していたらしい。優奈が来るまでの間、美穂に2歳になる子どもと旦那さんの写真を見せてもらったけれど、絵にかいたような幸せそうな家庭で、それがまぶしく見えるくらい羨ましかった。


それから優奈が少し遅れてやって来て、私たちは美穂が行きたいと言っていたカフェに向かう。ガレットやグラタン、パスタといったメニューを見ていると、美穂が大きく息を吐いた。


「こんな所に来るの、久しぶり」

「あー、美穂のとこ、まだ子ども小さいから無理だよね、こういうオシャレカフェって」

「今日は旦那さんが見てくれてるの?」


 その言葉に美穂は頷く。


「うん。それで実家に連れていくって言ってたから、今日は一日フリーなの」


 美穂の顔は爽快感で溢れている。


「美穂が結婚してたなんて、私知らなかった」


 私がそう口を開くと、一瞬静まり返る。優奈がメニュー表で私の頭をぽこんと軽く叩いた。


「そりゃ、アンタがみんなと連絡取れなくなってた時期に結婚してたんだからね。空気冷やすのやめてよ」

「……そ、そうなの! 穂花にも連絡しようと思ったんだけど、なかなかメールも届かなくって……でも、今日会えて本当に嬉しい!」

「あとで連絡先教えてよ! 絶対だからね」


 テーブルが少し凍り付いたのが分かった。うかつに変な事を言ってしまわないよう、今日は聞き役に徹底していた方がよさそうだ。私はメニュー表に視線を落とす、旬の野菜を使ったグラタンやパスタ、季節限定ガレット……そのどれにもキノコが入っている。参考に全部頼みたいけれど……私は一番無難なパスタを選んだ。


 話題の中心は、美穂の子どもの事だった。付き合っている時に妊娠して、慌てて籍を入れたと話す美穂の顔は優しい。子どもがいたら、もしかしたら今とは少し変わっていたかな、なんてことを想像する。茜は今付き合っている人がいて、そろそろ結婚も視野に入れているらしく、美穂の話を真剣な顔で聞いていた。


「今はご飯食べさせるのがすっごく大変。パンばっかり食べようとするし、好き嫌いも多いし……野菜なんてきゅうりしか食べないのよ?」


 その言葉に優奈と茜が笑う。私の耳には「好き嫌い」って言葉が引っかかった。


「そ、そういう時って、どうするの?」

「え?」


 思わず口を開いてしまう。美穂はきょとんと首を傾けた。


「あ、あの……親戚の子も、好き嫌いが激しくて大変だって言ってたから、そういう時は美穂はどうするのかなって。参考までに」


 我ながらうまく取り繕うことができた……とは思う。


「あー……うちは諦めてる」

「諦めっ?!」

「だって何したって食べないしさぁ。でも、大人になったらいずれ食べるようになるかなって」

「へぇー……」

「あんまり参考にならないね、ゴメン」


 美穂が大きく笑うのにつられて、私も小さく笑っていた。諦めたら……きっとあの二人はがっかりしちゃうだろうな。


 夕方になる前に私たちは解散した。美穂は家庭があるし、茜も仕事の用意をしなきゃいけないらしい。私と優奈がゆっくりと帰路についていると、優奈が口を開いた。


「好き嫌いのこと聞いたのって、もしかして、例のアイドルのため?」

「うん、そう」


 私は優奈に、外出する直前に起きた出来事について話をする。優奈は少し驚いたように眉をあげた。


「その残りのメンバーも穂花のこと知ってるんだ?」

「うん、湊人君に頼まれたみんなのお弁当作ったことがあって……。実際に会うのは初めてだったけど」

「ふーん。お弁当か……すっかり胃袋を掴んじゃったってこと?」


 私がそれを否定しようとすると、優奈はそれに覆いかぶさるように口を開いた。


「だって、一度穂花の作ったお弁当を食べただけなのに、すぐに穂花の事信頼して来たんでしょ? それって、料理でそれを勝ち取ったってことだよ」

「……そうかな?」

「絶対そうだって! 例のアイドルの好き嫌いを克服できたら、穂花にも自信つくようになるかもね」

「……そうなるといいな」


 私が小さな声で呟くと、優奈が背中を優しく叩いた。その温かな激励に、私は少しだけ前を向いてみようという気にさせられた。


***


「キノコ料理か……」


 バイト先でキノコ料理のレシピ本を買ってみた。当たり前だけれど、キノコをメインに取り扱った料理ばかり、これでは好き嫌いは治らないのではないか? とすら思う。


「はぁ、どうしよう。何でこんな難しい事を安請け合いしちゃったかな、私」


 台所でそうぽつりと呟いていると、チャイムが鳴った。今日は木曜日、湊人君がやってくる約束の日。色々悩んだ末、今日はこの料理になった。


「……ナニコレ、めっちゃキノコ入ってるんだけど」


 湊人君が不満そうに口を開く。今日はスーパーで売っているキノコを全部入れたハッシュドビーフ。彼が嫌そうな顔をするのも仕方ない。


「俺、キノコ嫌いって言ったよね……?」


 不満を通り越して、不安そうな声音だった。私は彼の正面に座り「あのね」と話を切り出した。


「KOTA君とYOSUKE君が、うちに来たの」

「え? アイツらが穂花サンちに? どうして?」


 私が彼らの話をすると、湊人君がさらにげんなりと肩を落とした。


「キノコの仕事とか断ってよ……」


 湊人君は器用にハッシュドビーフのキノコを取り除いていく。それを見ながら、私には気になっていたことを聞く。


「どうして、キノコがそんなに嫌いなの?」


 湊人君は私の問いに、まずは大きなため息で返す。


「どうしてって……まずは食感? グニグニしてるのが嫌」

「なるほど……」

「それと、味と匂い」

「もう全部じゃない」

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