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***



「お弁当?」

「そうそう」

「Oceansのメンバーに」

「そうそう!」


 次の木曜日、夕食を食べ終えてデザートとして買ってきたティラミスを食べながら穂花サンに聞いてみた。題して『お弁当大作戦!』。航太は穂花サンの事を認めるし、穂花サンは料理への自信がつくし、俺は旨い弁当が食べることができる。まさに一石三鳥。しかし、こんな素晴らしい計画を、穂花サンは首をぶんぶんと激しく振って嫌がった。


「無理無理無理。絶対に無理」

「どうして?」

「ど、どうしてって……もし変なものを作って、みんながお腹を壊したら……」

「俺、今まで腹痛くなったことないから大丈夫だって」

「もしとんでもなくマズかったら……」

「今まで食べてきた料理の中でマズいのなんて一つもなかったから大丈夫だって」


 今日の晩ご飯は鯖の味噌煮だったけれど、これも普通に美味しかった。


「元々、そんなに料理が上手なわけじゃないから! 買いかぶるのはやめて……」

「でもさ、一人でも多くの人に『おいしい』って言ってもらえたら、穂花サンの自信につながるんじゃないの?」


 そう言うと、穂花サンはぐっと押し黙った。少し悩んでいるようにも見える。俺がこれからもこの部屋に通うことができるように、頼むから協力してほしい。心の中でそう念じる……表向きはいい人っぽい事を言ってみたけれど、本心はコッチ。旨い飯を手放したくないってだけ。


「……分かった」

「お! 本当に?」

「でも、ちょっと色々調べてからでもいい?」


 そう言って穂花サンは立ち上がり、雑誌が積み重なっている部屋の隅まで移動していた。あれら全て、俺らの記事が載っている雑誌らしい。来るたびにそれらが増えている。


「調べるって何を?」

「嫌いなものを入れる訳にいかないから、それについてと……あと、好きな物も分かれば」


 そう言って、凄まじい速度で雑誌類をめくっていく。俺が横から「俺、キノコ嫌いだから」と言ってみたけれど、反応はない。それくらい没頭しているみたいだった。しかたない、今日はもう帰ろうと立ち上がったとき、テーブルに置かれたままの食器が目に飛び込んできた。気にしたことなかった、これを用意して、片づけるのは穂花サンだ。今まで食べさせてもらったお礼をちゃんとしていなかった自分に気づく。ケーキとか買ってきたことはあったけれど、あれは自分が食べたかったから買ってきたものであって、決して彼女のためなんかじゃなかった。


(……こういうところが俺のダメなところなんだろうな)


 小さくため息をついて、俺は食器を台所に片づけ始めた。すっきりとしていて綺麗な台所、緑色のスポンジに洗剤を付けて一個ずつ洗い始める。慣れていないから何度か手が滑ってつるりっと落ちて行ってしまいそうになったけれど、無事に一枚も割らずに洗い物を終えることができた。


「穂花サーン、俺帰るね」


 少し大きめな声でそう呼びかけても、自分の世界に入り込んでしまった穂花サンからは返事はなかった。いつもは見送ってくれるのに、少し寂しい気がした。穂花サンの作るメシを食べるようになってから初めて抱く感情と共に、俺は自分の部屋に帰っていった。


 翌日、初めてマンション以外の場所で穂花サンを見かけた。夜が更けてすっかり暗くなった道をタクシーに乗ったまま進んでいくと、見覚えのある背中がヘッドライトに照らされていた。台所に立つ、少し丸まった小さな背中。彼女をタクシーが追い抜いた時、俺は振り返ってその顔を見る。とぼとぼと歩くその姿は、間違いなく穂花サンだった。


「あ、ここで止めて」


 運転手にそう告げて、カードで支払いをしてタクシーを降りる。近づいても、穂花サンは俺に気づかない。かぶっていたキャップとサングラスを取り「おーい」と声をかけると、ようやっと気づいて肩をびくりと震わせていた。驚かせてしまったかも。


「お疲れ~」

「お、お疲れ様。湊人君、仕事帰り?」

「うん、今日はテレビの収録。穂花サンは?」


 俺はキャップをかぶり直し、サングラスをかけた。外が暗いのでサングラスをすると、さらに暗くなって少し歩きづらい。けれど、こう変装しないとすぐに『OceansのMINATO』であるという事がバレてしまうから、我慢するしかない。穂花サンの隣に立ち、歩幅を合わせて歩き出す。


「私も仕事」


 話を聞くと、友達のお父さんに紹介してもらった本屋でバイトをしているらしい。


「ふーん。もしかしてそれは、そのバイト先で買った本?」


 穂花サンの手には四角い袋がぶら下がっている。穂花サンは小さく頷いた。


「何の本? 見せて」

「え、あ、ちょっ……!」


 彼女の手からそれを奪い、中身を取り出す。穂花サンが取り返そうとしているけれど、するりとかわし、手を高く掲げる。こうすると小柄な彼女には手が届かない。彼女が持っていたのは料理の本らしく、タイトルに『作ってあげたい!カレゴハン お弁当編』と書いてあった。穂花サンはあわあわと唇を震わせている。


「これって……」

「あ、あの、お弁当のレシピ探してて! 若い男の人向けのおかずがあるのって、そういう本しかなくって……」


 声がどんどん尻すぼみになっていき、穂花サンは恥ずかしそうに俯く。その姿がなんだかいじらしくて、俺は笑いだしていた。


「そ、そんなに大きな声で笑わなくても……」


 穂花サンはまだ恥ずかしい様子で、ぷいと顔をそむける。最近、彼女の『人間らしい』姿を見る機会が増えてきた気がする。生き生きし始めたというか、あのどんよりとした幽霊はどこかに消えていったみたいだった。俺から本を奪い返そうと周りをウロチョロする小動物みたいで可愛くて、なんだか心をくすぐられ、きゅんと疼く。


(……きゅん?)


 今まで感じたことのない類、くすぐったさ。それに戸惑っていると、ジャンプした穂花サンにレシピ本を奪い返された。


「楽しみにしてる、弁当」


 そう伝えると、穂花サンは一瞬だけ目を丸めて、その後優しそうに微笑んだ。

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