3 「(自慢したいから、認めさせたいから)お弁当、作って!」(湊人視点)

― 12 ―

「最近、湊人くんノリ悪いよね」


 シャワーを終えてホテルのベッドルームに戻ると、今日相手をした女はメイクを直している真っ最中だった。チークを頬に広げて、口紅を塗る。カバンの中から香水を出して体中に振りかけた。部屋中にその香水が広がり、鼻の中に人工的な匂いがつく。この匂いはあまり好きになれないけれど、俺と遊んでくれるような女はみんな似たような匂いを身にまとうので我慢している。


「そぉ?」

「うん。サラちゃん言ってたよ、最近声かけてくれなくなったって」


 サラちゃん? 誰だっけ?


「仕事忙しいの? 今日だって、もう帰ろうとしてるじゃん」

「まー、そこそこ」


 そこらへんに脱ぎ散らかした服を着て、キャップとサングラスを身に着けてカバンを肩にかける。女は「えー、もう行っちゃうの」なんて不満そうな声をあげていた。


「また会いたくなったら連絡してネ」

「あー、わかったわかった。またな」


 そう別れを告げて、ホテルの部屋から出た。連絡してネなんて言われたけれど、あの女、名前なんていったっけ? もう覚えていない。タクシーで帰宅して、家の鍵を開ける――前に、穂花サンの部屋の前で彼女の気配を探った。物音は何もしない。そりゃそうだ、今は午前2時、彼女だって眠っているに違いない。今日は何を食べたのかな、早く木曜日が来ないかな。


 隣に住む変な女、穂花サン。実は、彼女が引っ越してくるときに見たことがあった。段ボール数箱と布団が一組、元気な女の人に叱咤激励されながら引っ越しの荷物を入れていた。あの辛気くさくて、まるで幽霊みたいにどんよりとした暗い姿。自分の人生に関わることのないタイプの女だな、あの時までそう思っていた。そう、あのシャッター音が聞こえてくるまでは。


 あの騒動より少し前から、視線のようなものを感じていた。気のせいだと思っていたけれど、今思い返せば穂花サンに見られていたからだと気づく。あの人、一体いつから俺の事を観察していたのだろう? 怖い以外のなにものでもない。


それなのに、あの人の家に上がり込んで、あの人の作るメシを食うことになるなんて……人生って本当に何があるか分からない。母親が若い男と家を出ていった時以来の衝撃。


 穂花サンは、少し、いやだいぶ変わっている。表情はいつだって暗く、感情の起伏は負の方向に対してだけ大きい。それもそのはず、旦那っていう奴からDVを受けていたという。話を聞いているだけでも嫌悪感を抱く暴力の数々、この人、今までよく無事で生きていけたなと思うくらい。その旦那のせいで自分が作る料理がマズいと思い込んでいて、俺は『俺と女の写真をばら撒かない』代わりに『穂花サンが自信を付けるまで料理を食べる』という約束を交わした。自分自身を守るためでもあるけれど、きっと彼女の境遇に同情したのもこんな一風変わった約束をしたきっかけだろう。それに、穂花サンの作る料理が旨いっていうのもある。ただ旨いんじゃなくて、ほっとする味っていうの? 食べていると何だかいら立ちが消えて穏やかな気持ちになって、その日はゆっくりと眠りにつくことができる。もしかしたら睡眠薬でも盛られているんじゃ、と一瞬考えたけど……あの人がそんな事をしているとは、なんとも考えづらい。だからきっと、これは彼女の料理パワーが為せる技なんだ。


 そして、この前ようやっと、彼女の『素』に近い表情を見ることができた。無防備に置かれたままの洗濯物、その上に乗っていた可愛らしい下着。あー、ああいうのつけてるんだ、似合うなと思った。それと同時に、いやいや部屋に男が来ているんだからあれはダメでしょうと思って指摘すると顔を真っ赤にして恥ずかしがっていた。あぁ、そんな顔できるじゃん。あの暗い表情なんてやめて、ずっとそうしていたらいいのに。


「いや~、最近湊人君の女癖が少し落ち着いたのもそのお隣さんのおかげなのかなぁ」


 レッスン場でストレッチしている洋輔がのほほんと言う。本人は「軽め」と言っているが、脚は180度に開き、上半身は床にぴったりとくっついている。いつ見てもちょっと怖い。……でも、洋輔の指摘通りかもしれない。女遊びの回数はだいぶ減ったし、そもそも、女を家に連れ込むのを辞めた。もしかしたらまた撮られると思ったら家になんて呼べない。節約代わりに家に入れていたけれど、今はホテルを使っている。


「いろんな女に手を出すのも良くないけど、一人の女に入れ込みすぎるなよ」


 そう釘をさすのは真面目一辺倒の航太。


「今は特に大事な時期だ。下手な真似して週刊誌の記者になんて写真撮られてみろ、俺らの人気は失墜、テレビ出演もレギュラーもなくなるかもしれないんだ。……それに、その女は【まだ】結婚しているんだろ?」

「離婚するって言ってたけど」

「でも、まだ旦那がいるんだ。そんな女の家にズカズカと上がり込むな、そもそも失礼だ」


 先に失礼な真似をしたのは穂花サンだし、それに、俺らは何もしてない。メシ食って帰る、超健全な生活。それだけなのに、航太にぐちぐちと小言を言われる筋合いはない。俺が苛立っているのが洋輔にも伝わり、「まあまあ」と口だけで仲裁に入り、話題を変えようとする。


「そろそろお昼だね。お弁当来るかな?」

「あー、あのマズいやつね」

「あれはマズいな」


 レッスン場に届けられる弁当は妙に味付けが濃かったり、と思えば薄かったり。お米もべちゃべちゃとしていて食べていると何だか気分が悪くなる。アレを食っているからなおさら穂花サンの作るメシが旨く感じるのかもしれない。俺達にはまだそこまでお金が回ってこないから、削るところは削り、引き締める部分はぎゅっと引き締めていると俺らのマネージャーが言っていたから、そんな弁当しか買ってもらえないのかもしれない。


「……そうだ」


 洋輔はともかく、航太は穂花サンに対してなんだから悪意を抱いているように感じる。何とかできないかと思った時、一つのアイディアを思いついた。今度ちょっと相談してみようかな。


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