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「アンタ、親は?」


 私は少し迷いながら、でもこんな所で嘘をついても仕方がないと思い、口を開いた。父は私が中学生の時に事故で、母は私が結婚した直後に病気で、それぞれすでに亡くなっている。そう言うと、彼は「なんかごめん」と申し訳なさそうに眉を下げた。


「変な事聞いたわ」

「ううん、大丈夫。気にしていないから」


 手持無沙汰になった私は、雑誌のインタビューページを開いた。


「家庭の味に憧れてるってあったから、なんだろうって思って……友達に聞いたら『肉じゃがじゃない?』って言われたからそうしてみたの。お口に合ったみたいで良かった」


 そう言うと、MINATO君は眉を顰める。


「……家庭の味って、そういうもんじゃなくない?」

「え?」

「そういうのって、家によって違うものじゃないの? そりゃ、肉じゃがが家庭の味っていう家も多いだろうけどさ……アンタにはアンタんちの『家庭の味』ってあったでしょ?」


 私の舌に、母が作ってくれた料理の味が蘇る。私が一番好きだったあの料理……アレが我が家の味なのかもしれない。


「肉じゃがも旨いけどさ、俺は、食べられるならそういうのがいいな。アンタんちの味」

「……うん、じゃあ、来週作ってみる」

「マジで! 約束な」


 屈託なく笑う彼の笑顔を見ていたら、私も釣られて笑ってしまっていた。全部食べ終えたMINATO君は、ポケットからスマホを取り出し、メッセージアプリを開いて私に差し出した。


「ん」

「……ん?」

「ほら、アンタも出して。連絡先教えるから……また遅れそうになる時には先に連絡するし」


 カバンの中から慌ててスマホを出し、アプリを開く。連絡先を交換すると、私のアプリ画面に『笠原 湊人』という名前が映し出された。


「これ、名前は『ホノカ』って読むで合ってる?」

「うん」

「アンタの名前、今初めて知ったわ。じゃー、また来週な、穂花サン」


 私は手を振って別れを告げる。また来週、その時は我が家の『家庭の味』。湊人君と約束を二つもしてしまった。何だか、夢心地だ。



***



 翌週の木曜日、うちには湊人君より先に優奈が来ていた。作り過ぎてしまった『我が家の味』をおすそ分けするために。


「……あんた、どんだけお米炊いたの?」

「……5合」


 つい張り切り過ぎてしまった。優奈に料理を入れたタッパーを渡す。


「でも助かる。今日お母さん、急に友達を晩ご飯食べに行くって出かけて行っちゃったから。これ晩ご飯にするよ」

「私も食べてくれる人がいて良かった」


 優奈がそれを紙袋に入れて、すっと立ち上がる。まだ仕事が残っているのにわざわざ来てもらって申し訳ない気持ちだ。


「そういえば、何か進展あった?」

「え?」

「例のアイドルと。良い感じになってきた?」


 優奈が私の脇腹のあたりをぐりぐりと肘で押す。私は「何にもないよ」と返すと優奈は何だか不満そうに頬を膨らませる。帰っていく優奈を見送りスマホを見ると、通知が来ていた。湊人君から「おそくなりそう」というメッセージ。私はそれすら嬉しくて、何度も見返していた。藤野さんと暮らしていた時、こんなメッセージは来なかった。いつも帰ってくるまでじっと待ち続けて、くたびれて眠ってしまったら大声で起こされて、朝まで怒られる。湊人君から見れば簡単に送ることができるメッセージ一つでも、私は一人の人間らしく扱われている嬉しさが止まらない。


 しばらく経ってから「もうすぐつく」というメッセージが届いた。その言葉通り、いくばくもしないうちにチャイムが鳴る。私は洗濯物を畳む手を止めてドアを開ける。すると「お腹空いたぁ」と泣きそうな顔をしている湊人君がやってきた。


「今日、なに?」

「……うちの母が、お祝いの時に良く作ってくれたご飯」


 それはひな祭りだったり、高校に合格した時だったり……何かいいことがあった日には、母が必ず作ってくれた料理。


「牛ごぼうのちらし寿司っていうの」

「ふーん。普通のちらし寿司とちょっと違うね」


 ささがきにしたごぼうとにんじん、そして牛肉のスライスを甘辛く味付けする。牛肉は硬くならないようにささっと火を通して、ごぼうやにんじんと同じ大きさに切る。味付けを終えたそれらを酢飯の中に入れて、全体をまんべんなく混ぜたら、出来上がり。甘いごぼうと牛肉が酢飯にちょうど良く馴染んで、子どもの頃からの私の好物。母が作る料理の中で、一番好きだったもの。


 私はそれと、お吸い物、水菜のお浸しを彼の前に出す。私も同じように並べた。


「んじゃ、いただきます!」

 

 お吸い物を少し飲んでから、湊人君はちらし寿司を大きな口にパクリと入れていく。そして目を大きく丸めた。


「ん! んまい!」

「……ありがとう」

「ごぼう、ちょっと甘いね。これでちらし寿司なんてちょっと不思議だったけど、ご飯によく合うよ。これ、本当に旨い。穂花サンのお母さん、いいご飯作ったね」


 ほがらかに笑みを作る彼を見ていると、母の姿を思い出してしまう。最後にお母さんがこれを作ったとき……それは、私が結婚する前日だった。


「実家を出る前の日に、お母さんが作ってくれたの。私が幸せになれますようにって、そう言って。……でも、私、お母さんが望むような幸せな家庭にはできなかった」


 目に涙が滲む。それを人差し指でぬぐっても、視界はぼんやりとしたままだった。


「それってさ、アンタだけのせいじゃないじゃん。旦那、ろくでもないやつだったんでしょ?」

「でも、私がもう少しうまくやれていたら……」

「その『うまくやれてたら~』とか『私さえちゃんとしていれば~』なんて言っててもさ、もうどうしようもないじゃん。所詮は過去だよ、過去」


 湊人君はご飯を食べながら話を続ける。


「後ろ向きなことばっかり言ってないで、前見てればいいじゃん。アンタのお母さんだって、結婚したまま不幸でいるよりも、アンタがこれから幸せになってくれたほうがいいって、天国でそう思ってんじゃない?」


 ふっと涙が途切れた。湊人君を見ると、彼は「ね?」とほほ笑んでいる。


「そっか……そうだよね」


 私の人生は、ここで終わったわけじゃない。これから、まだ続いていくのだ。だから今度こそ、お母さんが願ったように、誰よりも幸せになるチャンスはある。そう思うと、涙が枯れていく。……やっぱり、湊人君はすごい。私の心をいとも簡単に救ってくれる。彼はこうやって、アイドルとして他の女の子の心も助けているに違いない。


 湊人君はいつも通りおかわりもして、満腹になったお腹を擦りながら帰ろうとしていく。


「あ、そうだ、穂花サン」

「ん?」

「洗濯物は目につかないようにするか、すぐに仕舞った方がいいよ」

「……あ、あぁあああ!」


 畳んだばかりで出しっぱなしにしていた洗濯物。そのてっぺんには、この前優奈に買ってもらったばかりの下着が堂々と鎮座している。私は慌ててそれらをタオルで隠すけれど、時すでに遅し。


「アンタ、あんなのつけるんだね。イメージ通りっていうかなんていうか……ま、これから気を付けて。また来週ぅ~」

「あ、あ、あ……」


 私の顔が真っ赤になるのを見て、湊人君は大きな声で笑い、そのまま帰っていった。


 優奈は「見せちゃえば」なんて冗談言っていたけれど、本当に見られてしまうなんて……あまりにも迂闊すぎる自分自身に私はげんなりと肩を落としていた。

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