2 (理想的な)家庭の味ってどんな味?

ー 7 ー

「あとは何が必要?」

「えっと、あとは服かな。食器類は大体買ったし」

「まるでこれから、だれかと二人暮らしするみたいな買い方だったね」


 私たちはショッピングモールに来ていた。別居生活を始めてから、生活に足りていないものが増えてきた。あと、服も欲しい。そう優奈に話したら、その日は仕事も落ち着いてきたし休みも取らないといけないので、有給を取って付いてきてくれると言うのでその言葉に甘えた。


「だって、これから使うことも増えるし……」

「あー、例の人ね」


 優奈が『例の人』と表現するのは、アイドルグループOceansのメンバー、MINATO君の事。彼とした『私に自信がつくまで料理を食べてくれる』約束、今日がまさに木曜日だった。今日で終わらず、これからまた来ることがあるかもしれないし……彼が使う食器くらい買っておかないといけない。いくつかお皿やスープマグを選んで、重たいので宅配便に送る手続きを終えたところ。結構散在してしまったけれど、まだ貯金は残っている。


「服ってどんな感じがいいの?」

「動きやすい服がいいな、そろそろバイトも始めるわけだし」


 でも、そろそろ仕事を始めないと心もとない。幸いなことに優奈のお父さんに紹介してもらって、私は今度から本屋でアルバイトをできることになった。動きやすそうなジーンズやTシャツがいくつか欲しい。


「あーあと下着かなぁ」


 ふらっと立ち寄ったファストファッションのお店、私は下着コーナーで立ち止まった。


「今持ってるのほとんどボロボロだから買い換えたいの」

「……ふーん」


 私がシンプルなデザインの下着を手に取ると、優奈がその手をガッと力強く掴んだ。


「な、なに?」

「私がかわいいのプレゼントしてあげる。一人暮らし記念に」

「え?」

「ほら、服買って早く行くよ」


 優奈に言われるままカゴにいれた服の会計をさっさと済ませて、私は引きずられるようにランジェリーショップに来ていた。こんなに可愛い下着に囲まれていると、何だか不相応な気がして来てならない。……私みたいな奴がこんな所にいるなんて、なんだかみっともなくて恥ずかしくなっていく。優奈はどんどん奥に入って行って、店員に話しかけていた。


「あの、サイズ計ってほしいんですけどー、あ、私じゃなくてこっちが」


 優奈が私の肩を掴んでずずっと前に出した。店員はにっこりと笑って「フィッティングルームへどうぞ」と二重になっているカーテンを開ける。


「い、いいよ計らなくても。サイズなんてわかってるし」

「変わってるかもしれないでしょ? もしかしたら大きくなってるかもよ? ほら、行ってらっしゃい」


 下着なんて安くてシンプルなものでいいのに。私はそんな事を考えながらサイズを計測されていく。店員が付けている甘い香水の香りがふんわりと漂ってきて、何だか非現実的な空間にいるみたいだった。


「どうだった?」

「やっぱりサイズ変わってないよ」


 優奈にさっき測定されたばかりのサイズを告げる。


「まあ良かったじゃん。ねぇ、これはどう?」


 優奈が真っ赤な下着を私に見せる。


「服に隠れて見えないけどさ……ちょっと派手過ぎない?」

「そう? じゃあこれは?」


 真っ白で可愛らしいレースがあしらわれている。いいじゃん、と思って手に取ったら、ショーツのお尻の部分がスケスケだった。無言で優奈に突き返すと、彼女はいたずらっ子みたいに笑う。


「それならこれは?」


 優奈が手に取ったのは、花柄のレースが施された淡いピンク色の下着セット。パステルグリーンの葉っぱをかたどったレースが、ブラにもショーツにもついていて、可愛い。私が小さく呟くと、優奈はニコッと笑って「じゃ、これにしよう」と言ってレジに持っていってしまった。


「でも、何かかわいすぎるって言うか……私には合わないんじゃないかな?」

「そんなことないって! 可愛い上等! こんなに可愛いブラ付けてたら女としての気分もあがるでしょ? とりあえず試着しておいで」


 私は再びフィッティングルームに押し込まれる。ボロボロになっている下着を外して、新品のブラを身に着ける。鏡に映る私は背筋がシャンと伸びて、少しだけ表所が明るく見えた……確かに、優奈の言う通り、少しだけ高揚したような気分になってくる。たった一つの変化なのに、すごい。


『新しい下着が欲しい? お前、どこの男に媚び売ろうとしてんだよ』


 頭の中で、もはや呪いになっている藤野さんの言葉が蘇る。


 なにか自分のモノを一つ買うのにも、藤野さんの許可が必要だった。もちろん素直に買うことを許してくれることなんてごくまれ。下着なんて買おうものなら、一週間くらいこうやって罵倒され続けることになる。だから、私はいつしか買い物を諦めてしまっていた。


(なんか、自由って感じだなぁ)


 こんなに可愛いブラを付けていても、バカにされることなんてない。私は本当に、あの男の元から離れることができたんだって実感できた。私は服を着なおしてフィッティングルームを出る。


「どうだった?」

「サイズも問題ないみたい」

「じゃ、これにする?」

「……うん」


 優奈はそれを私の手から奪い取り、レジに置いて財布を開いた。


「いいよ、優奈。自分で買えるから」

「いいって! これくらいプレゼントさせてってば。……あ、例の人に見せちゃえば? 関係変わるかもよ?」

「そんな機会ないから!」

「あはは! ま、穂花には色仕掛けなんて無理よねぇ」


 MINATO君が私の下着姿を見るなんて……一体どんなシチュエーションになったらそうなるのだろう?


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