小田さんグラフティ

@nickbalbossa

小田さんグラフティ


まずは小田さんの説明をしておこう。

小田さんは一言で言えば、「学年一の美少女」だった。

一学年2クラスしかないような過疎気味の小学校の話ではあるが、今その写真を見かえすと、ちょっとその辺では見かけないほどの美少女なのだ。

ベースは色黒で南方系ながら、目鼻立ちに西洋の薫りを匂わすような整った顔立ちは、誰もが大なり小なりの好意は寄せるほどの魅力があった。

男子の恋の打ち明け話では、誰もが必ず小田さんの名前を二位か三位にはランクインさせていたし、一位が小田さんという連中はその倍いた。

小田さんと僕は住んでいる地区が一緒で、町内会が同じなので親同士も顔見知りだった。実際、家同士も100メートルほどしか離れておらず、顔を合わせる機会も多かった。

微妙な距離感だったためか小学校に入った頃から、僕の中でも彼女が常に好きな異性の三番目ぐらいには入っていた。ただ、彼女が一番というわけでもなかった。

小田さんはなんとなく、幼い恋愛意識の境界線に居続けていた。


そんな僕はというと、とりわけ頭が良い訳ではないが決して悪くもなく、運動が出来るとも出来ないとも言えない、取り立てて目立つ点のない平々凡々の子供だった。

唯一他の子供と違ったことといえば僕自身ではなく、僕の父親がプロのカメラマンであったことぐらいだろう。

プロカメラマンの息子という立場で育った僕は、物心ついてからは汎用キッズモデルとしてたびたび撮影の現場に駆り出されていた。

その環境に関して自分では何とも思っていなかったが、周囲から見れば珍しく見えていたかも知れない。

それほどに写真や撮影といったものが生活にありふれていたので、その後起こる騒動はある意味必然のものだったとも思う。


小学校四年生になったある日、父が「今週末小田さんとお前をモデルで撮影組んだから、喧嘩とかで顔に傷作るなよ」と言い出した。

父はよくとんでもないことを言う人間だったが、僕にとってこの宣言は核戦争並みのとんでもなさがあった。

女子と二人でいるということは、小学校に蔓延っていた男子の掟のようなものに反する行為であり、友達に知られれば非常な冷遇に遭うことは明白だった。

それが家族の事情であろうと、それを考慮する力が小学生にあるはずがない。

小学生の世界というものは友達が世界の大部分であり、そこで立場を失うと言うことは全てを失うことに等しかった。その上相手は学年一の美少女なのである。本当にどんな目に遭うかわからない。

父の宣言は僕にそのリスクを負った上で、撮影に協力しろというものだった。

当然、嫌だった。しかし、父は父でなかなか強権的であり、怒らせると実力行使も辞さないタイプの人間である。

それに撮影は既に親同士の合意の取り決めてあり、小田さん自身も納得しているとのことだった。全ては既定事項であり、僕に選択の余地など残されていなかった。

そんなわけで僕は全ての損な役回りを一手に引き受けることになってしまったのである。


あれほど雨が降るのを願った日はないが、当日は雲ひとつない秋晴れだった。撮影日和である。

朝早くにうちの車で小田さんを迎えに行った。撮影隊は父がカメラマン、母がスタイリスト兼ヘアメイク、モデルが小田さんと僕という編成で、向こうの親御さんは来なかった。

小田さんの家の前に着くと、親同士が軽く挨拶した後に小田さんが出てきた。相変わらず美少女である。

道中は何を喋ったか全く覚えていない。ただ気まずかった覚えもないので、親が色々気をきかして話を振ってくれたのだと思う。

撮影のロケ地は家からかなり離れた郊外の運動公園だった。ロケーションがいいというのもあったが、万一でも学校の知り合いに出会さないよう、両親なりに僕たちに気を使った部分もあったのかも知れない。

そこで小田さんと僕は二人で並んで歩いたり、走ったり、しゃがんだり座ったり、自転車を漕いだり、シャボン玉を吹いたり、笑えと言われたり、互いに笑わせ合えと言われたり、ヘトヘトになるまで撮影に付き合わされた。

後半になると僕は疲れてしまってNGが多くなったが、小田さんはほとんど嫌な顔一つせずにしっかりモデルをこなしていて、大人だなと思った。


夕方になって撮影は無事に終わったが、帰り道にちょっとしたアクシデントがあった。

家の近所まで来たところで、車と同級生の一団とすれ違ったのである。

間の悪いことに一団を率いているのは浜ちゃんというガキ大将だった。

ガキ大将だけあって腕っぷしも強ければ発言力も絶大なものがあったので、彼に見つかることは最悪の事態を招く。

僕が小田さんに「浜ちゃんや!伏せて!」と叫ぶと、小田さんも瞬時に伏せた。

浜ちゃんたちと車がすれ違う一瞬、後部座席から浜ちゃんが見えるほどに肉薄したが、幸い誰にも感づかれずに通りすぎることができた。

すれ違った後も、僕たちは家に着くまでずっと伏せたままでいた。

夕暮れ時の僕たちの町は、誰と出くわしてもおかしくないぐらいに子供で密集していたのだ。

その後は幸運にも誰にも出くわすことなく、無事に小田さんを家に送り届けることができた。僕たちはお互いに「じゃあ」とだけ言って別れた。


撮影が終わって数日もすると、僕はすっかりその時のことを忘れていた。

小学生は小学生になりに、秘密基地を構築したり、魚を採ったり、盗んだマッチで火遊びをしたりと忙しかったのだ。

小田さんの方も、きっと忘れていたのではないかと思う。

災厄というものが、忘れた頃に、最悪の形で、明後日の方角からやってくるものだと知ったのは、僕が小学校五年生に進んだある日のことだった。


ある日学校に行くと、クラスの様子がおかしい。

どうにも嫌な雰囲気というのは、一瞬で察しがつくものである。

ほどなくして、隣のクラスから浜ちゃんの一団がやってきた。

半笑いの浜ちゃんは開口一番「お前、小田と写真撮ったやろ」と凄んできた。

バレた。よりにもよってあの浜ちゃんに知れてしまった。

しかし、一体どこで知ったのだろう。もしあの日すれ違った時に気づいたのだとしたら、あまりにも間が空きすぎている。だが、どこから漏れた?

コンマ数秒の間にあらゆる憶測が頭を駆け巡ったが、浜ちゃんの次の発言が全ての答えだった。

「お前と小田のポスター、タッチャンの家の前貼ってあんねんぞ」

浜ちゃんは確かにポスターと言った。

最悪だ。恐らくは何らかの理由であの時の写真が、ポスターになって貼り出されている。

「おい、何やねんあれ。何の写真やん、おい」

後の取り巻き連中や、ポスターの第一発見者らしいタッチャンも一緒になって囃し立てる。

「俺、知らん」

心当たりはある。だが、ここで認めたら更なる追求が入るに決まっている。そう思った僕が咄嗟に決断したのは、しらばっくれることだった。

「嘘つけや!俺の家の前に貼ってあんねんぞ!」タッチャンが即座に突っ込む。

「ほんまに知らんねん。似てる奴じゃないんけ?」

心当たりはありすぎるが、しらばっくれると決めた以上はそれを貫かなければいけない。

しばらく押し問答を続けた後、タッチャンが「ほんなら見せたるし、放課後みんなで見にいこうや」という最悪の最後通告をし、その場は解散になった。

浜ちゃんは去り際に「逃げんなよ」と凄んだ。


生きた心地がしなかった。授業もいつも以上に頭に入らなければ、いつもは足りないぐらいに思う給食も食べきれなかった。

どうしてあそこで認めてしまわなかったのだろう。認めていれば、現物を見に行くという最悪の事態は招かなかったはずだ。

だが、どうしても認めたくなかった。少しでも潔白の自分を延命したかった。それが全く意味のないことと分かっていても。

しかし、小田さんはどうしているのだろう、隣のクラスで同じように冷やかされているのだろうか?

色々のことが頭をよぎっては消えていくうちに、あっという間に六時間目の授業は終わった。

授業が終わると、僕は脱兎の如く教室を出た。無論、浜ちゃんたちの手から今日一日だけでも逃れられるかも知れないという薄い望みをかけての逃避行動だったが、浜ちゃんたちは校門前で待っていた。

「行こうけ」と浜ちゃんが言うと、全体が僕を囲んで動き出した。

僕は断頭台に向かう死刑囚の如く、件の現場へエスコートされて行った。

道中、僕は何度も追求を受けたが、何を言われようと「知らん」で通した。

タッチャンの家に着く頃には全員呆れていたほどだ。

僕は既に行き着く先がどうなるかをを知りながら、どうしてもそれを途中で認めたくなかった。



タッチャンの家が見える角を曲がった時、最悪の光景が僕を待っていた。

小田さんと僕のツーショットのポスターが、しっかりとブロック塀に貼ってあった。

まず写りが最悪で、二人並んでいる右側の小田さんは正面を向いて少し微笑んでいるだけだが、僕は顔がやや小田さん向きで、めちゃくちゃに笑顔なのだ。

その表情が見ようによってはとてもいやらしい感じに見える。しかもそれが美少女の横であるため、際立って不恰好なのだ。

さらに最悪なことに、ポスターは5枚も横並びで貼ってあった。

その家は大手の学習塾だったようで、恐らくは送られてきた広告ポスターを雑に貼り出しただけだったのだろう。それがとある少年の心を破滅に追いやることとは知らずに。

想像を絶する恐ろしい光景に、僕は立ち尽くすことしかできなかった。

「あれ、どうやねん、おい」


皆が囃し立てる中、僕が絞り出した一言は


「あれは、多分、その…従兄弟や」


「「「嘘つけや!」」」


浜ちゃん一団全員が、一斉に叫んだ。


それからの日々はあまり思い出したくない。

散々と囃され、冷やかされ、いじられ、小突かれ続けたことは想像に難くないだろう。

ポスターはしばらく貼り出されたままで、目、鼻、口の部分を画鋲で刺されまくった無惨な姿になり、更に僕の心を傷つけた。無論そのような悪戯は僕の顔の部分だけに集中していた。

後からわかったことだが、当時父は企業案件をこなしつつ、ストックフォトというものに力を入れていた。

これは企業向けの広告用イメージ写真のことで、カメラマンが撮った写真をエージェンシーが自社カタログに掲載し、企業がその中から広告に使いたい写真を選んで代金を払うというシステムだった。

その性質上、撮った写真がどこにどう使われるかは、その広告が世に出るまで誰にもわからない。

小田さんとの撮影はそのストックフォトに用いるためのものであり、この事態は一応想定される使用の範囲内だったのだ。その広告規模が予想以上に広範囲かつ大規模だったというだけで。

事件の数週間後に発覚したのだが、件のポスターは全国版の新聞折込チラシにもなっていた。

つまり、町中に貼り出されているあのポスターは、ある日朝刊とともに全国津々浦々の家庭に配布されたのだ。無論、友達からの仕打ちは一段苛烈になったことは想像に難くないだろう。

遠方の親戚から届く「うちにも届いた」と言う報告を、わざわざ僕にも教えてくる親が鬱陶しくて仕方なかった。


そんなことがあったので、僕は小田さんを避けるようになった。おそらく向こうもそうだったと思う。違うクラスだったので、お互い学校では顔を合わせる機会がなかったのが幸いだった。

しばらく後、小学校の卒業式を最後に小田さんとの接触はしばらく途切れることになる。

容姿だけでなく学力にも優れていた小田さんは私立の進学校に進学し、僕は凡人らしくその他大勢とともに地元の中学校になだれ込んだ。


次に小田さんを見たのは、中学生の後半だったと思う。

地元では年に数回お祭りがあり、その晩だけは夜に出かけることが認められていた。

お祭りは終わったが何となく帰りたくなくて、友達と近所の公園で喋っている時だった。

公園沿いの道を誰かがこちらに向かって歩いてくる。

茶色に染まった巻き髪、きついメイクとルーズソックス、携帯電話をいじりながら歩いてくるその姿は、当時流行っていたギャルのスタイルそのものだった。

それまがいの連中は同じ中学にもいたけれど、本物のそれを地元で見ることはほとんどなかった。

ギャルが街灯の下に差し掛かった時、僕はそれが小田さんだとわかった。

「小田…?」思わず声に出た。

ギャルは少しびっくりしたようだったが、僕の姿を確認し「おー!久しぶりやん!」と答えてそのまま歩き去っていった。

僕は混乱した。小田さんはいい学校に行き、賢い友達と共に健やかな生活しているものだと思っていた。

だけど、いつの間にあんな風になったんだろう?控えめに言っても不良と言える風貌だったし、こんな時間に普通に出歩いているのも驚きだった。

帰宅した後に父にその話をすると、「そうか、じゃあもう写真も頼めないかな」と心底残念そうに答えた。

後に母が人伝てに聞いた話では、進学校に行ったまでは良かったのだが、通学のために繁華街を通る際に悪い友達と知り合ってしまったらしい。

僕は、父が残念そうだった意味がよくわかった。その日会った小田さんは、以前の可憐な美少女ではなかったのだ。

もちろん顔は小田さんのままだったのだが、二人で写真に納まったときとは決定的かつ不可逆的に変わってしまったことを、僕はその姿だけでなく、振る舞いや声で感じた。

その夜ほど、恋をしたわけでもない女性のことを思い出し、考えたことは今の今まで一度もない。

大事に仕舞っておいた宝物が欠けていることに気づいたような喪失感が、どうしようもなく寂しい夜だった。


二十歳になった時、偶然小田さんに会う機会があった。

ギャルメイクに更に過激さが増し、無数の光る模造石のついた長いネイルをした指で、器用に携帯電話を触っていた。

小田さんは地元の友達の彼女として、飲み会に参加していたのだ。

僕が遅れて参加した時には既に酩酊していた小田さんだったが、僕を見かけると前のように気軽に声をかけてくれた。

学校を卒業した後、美容師の見習いをしていると言うことだったが、そこから先は話が要領を得なくなり、気づいた時には友達が飲酒運転する原付の後ろに乗せられて、どこかへと去っていった。

この頃になると、かつて小田さんがそうだったように、誰もが小学生の頃とはすっかり変わってしまっていた。

もしかすると、小田さんはそのタイミングが早かっただけなのかも知れないな、と彼女の派手なジャケットの後ろ姿を見送りながら思った。

そして僕も、あの頃とはずいぶん違うのだろう。ただそれは、きっと外から見ないとわからないことなのだ。


最後に小田さんに会ったのは、三年前の父の通夜の時だった。

突然の死だったので、近しい人でも間に合わなかったにも関わらず、どこからか聞きつけて彼女のお母さんとともにやってきてくれたのだ。

十数年ぶりの小田さんとの邂逅は、焼香のあと軽く会釈をするほんの数秒の間だけだった。

相変わらず茶髪ではあるものの、ずいぶん落ち着いた雰囲気になっていて、本当に久しぶりに彼女のことを利発そうだなと感じた。

少しだけ目が合った彼女は軽く表情で返事をし、そのまま出口へと去って行った。

小田さんはやはり、美人だった。


小田さんを見かけたのはこれが最後で、今どこで何をしているのかも全く知らない。

僕も仕事の都合で地元を離れてしまったので、おそらく彼女と会うことももうないだろう。

でも、僕は今でも彼女を街角で見かけることがある。

実はストックフォトは今でも稼働していて、時たま何かの広告に使われたりするのだ。

今また僕は、地元から遠く離れたこの街で笑顔で写る小田さんと僕を見つけた。

きっとこの先も、時々どこかであの頃の僕たちと不意に出会すことがあるのだろう。

その度に僕は、あの少年の日の思い出と小田さんのことを思い出すに違いない。

そしてあの時の折込チラシを僕がこっそり取って置いて、今も子供部屋の引き出しにしっかりと仕舞ってあることは、誰も知らない僕だけの秘密だ。






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