第60話 僕だけの和水さん⑤
「よし! じゃあ今から俺たちは皆親友だ! というわけで鼻血君、名前を教えてくれ! 友達なら名前くらい知ってて当然だもんな」
どうやら皆さんの手のひらは、くるくると簡単に回転するらしい。
急に愛想笑いを浮かべられても逆に怖かった。
「はぁ……僕は馬締です」
「いや別に性格は聞いてねぇから、名前を教えてくれって」
「いやだから、僕は馬締なんです」
「うん、真面目アピールはもういいよ。それとも本当の友達っぽくするなら性格も知ってた方がいいって事か? 随分と協力的だな」
「いや、協力してるわけじゃないですよ。僕の名前が馬締っていうんです」
「……え?」
固まる皆さん。
けれど場が沈黙したのも一瞬だけで、すぐに今日一番の笑いがトイレに巻き起こった。
「アハハハ! ま、まじめって、こいつ名前が真面目なんだってよ!」
「ブッ……そんな、笑うこと、ふふっ、ない……いやダメだ! 笑うわこんなん!」
「真面目が名前とか可哀そすぎるだろ!」
「名は体を表すってやつじゃね!」
「お前何頭いいアピールしんだよ! アハハ!」
失礼極まりない連中だ。
見た目で勘違いされる事もあるけれど、実際の僕は真面目でもなんでもないただの変態だし……。
とりあえず僕は、心の中だけでここにいる全員を五回は土下座させた。
「……真面目じゃなくて、馬に締めるで馬締です。苗字です」
一応補足説明をしてはみたけれど、皆さんは笑い転げていてまったく聞いていない。
唯一肩を組んだままのピッチャーさんだけが聞いていたけれど、彼にとってもそんな事はどうでもよさそうだった。
「まぁそんな細かい事は何でもいいからさ、とりあえずは俺らの事を和水さんに紹介してくれよ真面目君」
「いや、そんな事無理ですよ」
「無理じゃねぇよ。真面目君にならできるって!」
「出来ませんよ! 和水さんに声をかけるのって緊張するんですから」
「あぁ、なんか勘違いしてるみたいだから言っておくけど、これ命令だから」
愛想笑いを消した皆さんに急に凄まれる。
囲まれていると圧が凄くて、やっぱり怖かった。
いつもの僕ならすぐに折れていた事だろう。
けれど、今だけは違う。
「い、嫌です!」
僕は皆さんに向かって言い切ってやった。
「はぁ!? お前、何ふざけた事を!?」
まさか僕が断るとは思ってもいなかったのだろう。
皆さんが慌てたように詰め寄って来る。
それでも僕は負けるつもりはない。
だって、和水さんにこんな奴らを近づけたくない。
話をしているうちに、どんどんとその想いが僕の中で膨れ上がっていたのだ。
何とか彼らを言いくるめてやろうと、僕は脳をフル稼働させた。
「ふざけてません! 嫌です!」
「何だと!? 急に強気になりやがって!」
「な、和水さんは! あまり賑やかなのが好きじゃないんです!」
「……急になんだよ?」
「いいですか? 和水さんは今までも声をかけてくる人達を容赦なく切って捨ててました。つまりは僕が声をかけても結果は同じなんです! 実は僕は自分から和水さんに声をかけた事はなくて、いつも和水さんから声をかけてくれるので――」
「なぁ……」
「あ、わかってくれましたか?」
「もう一回鼻血出したくなかったらよ、ガタガタ言わずに言う通りにしろや」
どうやらもうお遊びは終わりという事らしい。
なんとか言いくるめようとしても、相手がこちらの話しをまったく聞くつもりがないのなら意味がなかった。
「……はぃ」
暴力をちらつかせられた僕には、素直に返事をするしか選択肢が残されていなかった。
情けない奴だって事くらい自覚してる。
それでも、僕の心はまだ折れたわけじゃなかった。
「分かればいいんだよ、真面目君」
満足そうに僕を見下す彼ら。
僕は、そんな彼らを先導して、和水さんがいるであろう教室へと歩みを進た。
最後の作戦を胸に秘めて……。
「……あの、和水さん」
普段なら誰にも届かずかき消されるだろう僕のその小さな声は、今日だけは教室中に響いたような気がした。
いつもは登校してきたクラスメイト達の声で賑やかなはずの教室は、今だけは無音と言ってもいいほどに静まり返っている。
別に誰も人がいないわけじゃない。ほとんどのクラスメイト達がもう登校してきている。
けれど、その全員が黙って僕を見ていた。
いや、正確に言えば、いつも通り不機嫌さを隠すことなく座っている和水さんと、その和水さんに声をかけた僕を遠巻きに見ていた。
クラスメイト達が皆戸惑っているのは、何となく空気で伝わって来る。
皆が困惑している理由は、目立たない僕なんかが急に和水さんに声をかけた事と、その僕の後ろに違うクラスの男子が数人待機しているからだろう。
隣の席の僕は和水さんに声をかければどうなるか知っているはずなのに、いったい何をするつもりなのかと、そんなクラスメイト達の困惑が感じられた。
今この場でわくわくしているのは、僕の後ろでニヤニヤしている連中だけだろう。
彼らはこの作戦が上手くいき、和水さんと仲良くなれる事しか考えていないらしい。
そんな彼らとは反対に、むしろ僕は心臓がはち切れそうな程に緊張していた。
確かに僕は和水さんと仲良くなれたと、今ならはっきりとそう言える。
けれど、和水さんが声をかけてくれるのは、いつも僕と二人きりの時だけだった。
こうして教室で堂々と会話をした事は一度もない。
もし和水さんが二人きりの時以外は話したくないと思っているなら、僕もボロクソに切り捨てられてしまうかもしれないのだ。
そして、それこそが僕の最後の作戦だった。
「……いつも一人だし、今も暇ですよね和水さん?」
僕はむしろ和水さんに、ボロクソに貶して欲しいと考えていた。
いや、別にふざけているわけではない。
和水さんが僕を拒否してくれたら、後ろにいる連中もこの作戦を諦めてくれるだろうと思ったからだ。
期待外れだったと分かれば、彼らもこんな作戦は諦めて、巻き込まれる前にすぐ帰ってくれるに違いない。
もう和水さんから以前のように仲良くしてもらえなくなるかもしれないけれど、あんな連中と和水さんが仲良くなってしまうよりは何百倍もマシに思えた。
だから、僕は普段なら絶対にしないような馴れ馴れしさで、無遠慮に和水さんに近づいた。
「実は隣のクラスの皆さんと仲良くなりまして! 僕が和水さんと仲良しだって教えたら皆もぜひ和水さんと仲良くなりたいって言ってるんですよ。で、今日一緒にお昼を食べませんか? 和水さんっていつも一人だから丁度いいですよね? 寂しい一人ご飯は止めて僕たちとお昼食べましょうよ!」
遠慮なく和水さんのパーソナルスペースに踏み込む。
まるで他人に配慮できないバカのように、和水さんの机に手をつき、わざと軽薄な声で話しかける。
どんなに親しい人に言われても、絶対にムカつくような事を平然を言ってのけた。
ただ正直なところ、少し笑顔が引きつっていたと思う。
上手く出来たかは分からない。僕はこんなキャラじゃないし、ホントなら言いたくもなかった。
けれど今の僕にはこうする事しか出来ない。
うしろの連中を和水さんに近づけないために、まずは自分が和水さんに嫌われる。
そうして和水さんへの道を絶つ事が、僕の最後の作戦だった。
僕だけに優しくしてくれる和水さん。
いつからだろう。
僕は和水さんを誰にも渡したくないと、そんな分不相応な事を考えていたらしい。
彼氏でもないくせに、何とくだらない独占欲なのだろうか。
けれど、それが僕の本心だ。
引き攣りそうになる笑顔を必死にキープする。
僕は心の中でこれ以上なく冷たく断ってくれと、そう切に願った。
けれど、
「……いいよ。どこでお食べる?」
まるで何も気にしていないかのような和水さんの声色。
本当なら嬉しいはずのその答えは、今の僕にはちっとも喜ばしいとは思えなかった。
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