社畜と陰キャJKの夢も希望もないドキドキ同居生活

なかうちゃん

第一部

1-1 そいつは突然俺の前に現れた

 そいつは突然俺の前に現れた。


 七月の終わりごろだった。

 時刻は夜の十時過ぎ。今日も華麗に無給の残業をキメ、コンビニ袋を片手にボロアパートの錆びた外階段を上る。


 明日から久々の二連休だ。帰って飯食って、昼過ぎまで寝て、それから何をしよう。したいことも、行きたい場所も特にはない。まただらだらと無駄に休日を過ごすことになりそうだが、それはそれで良いとも思う。


 そういえば今着ているスーツも俺と同じでくたくたになっているから、明日はクリーニングに出しに行こう。その後のことは、そのときに考えればいい。

 そんな思考を巡らせながら階段を上りきったところで、俺の部屋の前で誰かが膝を抱えて座り込んでいるのが見え、足を止めた。女の子だった。中学生……いや、高校生か? どっちでもいいが、厄介ごとの予感がする。


 彼女も俺の存在に気がついたようで、目が合った。立ち上がり、こちらに向かってペコリと会釈をしてくる。

 それと同時にポケットに入れているスマホが鳴った。母親からの着信だった。そういえば二週間くらい前から何回か電話があったことを思い出す。タイミング悪く仕事中だったり疲れてたりで電話に出れず、次の休みに折り返せばいいと考えていたわけだが、それよりも今は目の前で起きている問題をどうにかするべきだろう。


「そこは私の家ですが……どうかなさいましたか?」


 残業の余韻なのか仕事モードが抜け切っておらず、年下相手にもかかわらずクソ丁寧な敬語を使ってしまう。


「えっ、あっ、えっ!? えー……あー……もしかして、何も聞いてない……っすか……?」


 何故か少女がテンパリ始めた。目が泳ぎまくっている。


「……と、言いますと?」


「あのぉ、そのぉ……事前に叔母さんからあなたへ連絡しておくから大丈夫と聞いて私ここに来たわけなんですが……」


「おばさん?」


「……恵子けいこ叔母さん」


 俺の母親の名前に違いなかった。

 それにしても人の親をおばさん呼ばわりとは躾のなっていないガキだ。そう考えたところで違和感を覚える。そもそも何でこの子は俺の母親の名前を知っている?


 おばさん……おばさん……叔母さん……?


「……少々お待ちください」


 やたら母親から電話が来てたのは、この子のことについてだったのか?

 頭の中を整理する。何のためにこんなところに来たのかは不明だが、察するにこの子は俺の親戚なのだろう。

 十歳ほど年下の従姉妹……うちは親戚付き合いの良い方ではないため今の今まで忘れていたが、何かそんな子がいた気がする。不意に葬式の場で泣きじゃくる幼い女の子の記憶がフラッシュバックした。いた。そうだ。あの時まではよく遊んでいたことを思い出したが、肝心のこの子の名前は思い出せなかった。


 確か、う、う……うから始まる名前で……そうだ、思い出した。


「たしか名前……うさぎ……だっけか?」


「……卯月うづきです」


 惜しかった。

 メチャクチャ気まずい空気が場を包み込んだ。


「……じゃあ、俺の名前は覚えてるか?」


「進次郎」


 即答だった。だが、一文字もかすっていなかったのでおあいこだ。むしろ字数すら合っていないので、こいつの方がタチが悪いとすら言える。


「大輔だ」


「あー」


 雑なリアクションだった。


「何で進次郎が出てきたんだよ」


「進次郎が持ってるそのレジ袋を見たら、おぼろげながら浮かんできて」


「進次郎じゃねぇっつってんだろ」


「進次郎、口調変わりすぎてて怖いです」


「仕事モードがオフになっただけで、俺はこれが素だ」


「……これから一緒に住むにあたって不安を覚えますね」


 聞き間違いだろうか、今不穏な言葉が聞こえた気がする。


「一緒に住む?」


「はい」


「誰と誰が?」


「進次郎と私が」


 そうか、進次郎と住むのか。じゃあ俺じゃない。


「達者でな」


 部屋の鍵を開け、彼女と進次郎の未来に幸あれと願いながら別れを告げた。ドアを閉める。閉まらなかった。卯月の足がガッツリと挟まれていた。


「ま、待ってよ進次郎! ここで進次郎に見捨てられたら私ガチで路頭に迷って野垂れ死ぬんだけど!?」


「うるせぇ声抑えろ、近所迷惑になんだろ」


「こんな美少女と一緒に住めるなんてラッキーじゃん!? 叔母さんから聞いたけど彼女もいないんだろ!? ワンチャン私が彼女になる未来もあるかもじゃん!?」


 あのババア余計なことを言いやがったな。


「おまえがここに住む未来からしてあり得ないんだよ」


「私なら大丈夫だから! 多少部屋が狭くっても気にしないし! シコりたくなったら言ってくれれば部屋から出てくから! その後部屋がイカ臭くなってても気にしないふりするから!」


「風評被害だっっっ! ああもう分かった! とりあえず入れ!」


 これ以上騒がれてご近所さんとトラブルになったらその方が面倒だ。卯月の腕を掴んで、部屋の中へと引きずり込んだ。


「やん、強引ですね」


 卯月が頬を赤らめる。

 こいつ殴りたい。


「……事情を聞かせてくれないか」


 とりあえず卯月を座らせ、ピクつくこめかみを片手で押さえながら話を聞くことにする。


「本当に何も聞いてないんですね」


「本当に何も聞いてないから、こんだけ戸惑ってるんだ」


「ただの照れ隠しなのかと思ってました」


「照れ隠し……? 俺がおまえに……?」


 目の前の少女を見る。

 美少女を自称するだけあり、まあ顔立ちは整っている方だろう。だが子供すぎる。俺はロリコンではない。こんな子供に照れるもクソもなく、思わず鼻で笑ってしまった。


「テメェ、今鼻で笑ったこと後悔させてやるからな」


 よほど気に障ったのだろう、めちゃくちゃ睨まれた。


「おまえの方がよっぽど口調変わりすぎてて怖いんだが」


「今のはちょっぴり心の声が漏れただけです」


「そうか」


「言うなれば我慢汁みたいなものです」


「いちいち強引に下ネタをぶっ込んでくるな」


「見知らぬ男女が距離を縮めるには下ネタが最適ってメンタリストが言ってました」


「俺たちの心の距離、確実に遠のいていってるからな」


「つっかえねーな、メンタリスト……」


 絶対そんなこと言ってないだろ、メンタリスト。


「実は家を追い出されまして」


「ほう」


「叔母さんの家に住むという話になりまして」


「ああ」


「でも叔母さんの家、この町からちょっと離れてるじゃないですか? 多感な年頃の娘が転校だの何だってなると大変じゃないですか?」


「……ああ」


「そこで天才の叔母さんは閃きました。そういえばうちの息子、卯月ちゃんと同じ町に住んでるじゃない?」


 話の雲行きが怪しくなってきたし、ツッコミどころも多々あるがとりあえず最後まで聞くことにする。


「じゃあ息子の家に住めば万事解決!」


「……で?」


「以上です」


「そうか、ちょっと待ってろ」


 母親に抗議の電話をかけると、ワンコールで出た。


『もー、ようやく繋がった! 大ちゃん、大事な話があるって言ったでしょう!?』


 言われてない。


「ふざけんな。何だこの状況は」


『あら、卯月ちゃんとはもう合流できた? うふふ〜』


 うふふ〜ではない。頭痛がする。


「いきなり一緒に住めって言われても困るんだよ!」


『いいじゃない、あんた彼女がいるわけでもなし』


「それとこれとは別問題だ!」


『とにかくもう決定しちゃったのよね〜。卯月ちゃん、お母さんが亡くなったのは知ってるでしょ?』


「……そうだったっけか」


 そうか、そういえばそうだった。

 最後にこいつと会ったのは、確かその母親の葬式のときだ。


『それから父親が再婚したんだけど、新しいお母さんと上手くやれなくって、とうとう家から追い出されるまでになっちゃったみたいでね〜。……まあ、この件はあの子の父親にも相当問題があるし、だからあの女はやめとけって私は言ったんだけど……ま、その話は今はいいわ〜』


「…………」


『というわけで、大ちゃんお願いね〜』


「にしてもおかしいだろ。何でよりにもよって俺のところなんだよ」


『だって、そんなことがあって傷心中の卯月ちゃんを転校させて、友達まで奪っちゃうのってあまりに残酷じゃない』


「……そりゃそうかもしれないけど、息子の都合もちょっとは考えてくれ」


『ちょっとだけ考えた結果がこうよ、うふふ〜」


 うふふ〜ではない。この様子だとマジでちょっと考えただけなんだろうな。


「倫理的に問題がある」


『ホワイ?』


 何故英語になる。


「仮にも若い男女が一緒に住むのってまずいだろ」


『あらやだ、やらしい子ね〜。もうそんな目で卯月ちゃんを見ているの? どう? やっぱ可愛い? 伊月いつきさんの娘だものね〜』


「風評被害だっっっ! 俺が言ってるのは世間体の」


『あんた世間体で困ってる従姉妹を見捨てるの?』


 この人は普段ふわふわしてるくせに、たまにこうやって鋭い言葉を突き刺してくるから苦手だ。


「……そういうわけじゃない」


『じゃあいいじゃない。卯月ちゃんの養育費、あんたの口座に毎月振り込まれることになってるから〜。よろしくね〜』


 それだけ言うと母親は電話を切った。


「……確認した。おまえは本当にいいのか?」


 一応、念のため、本人の意思も確認しておくことにする。


「ちょっと狭いけど、思ったより片付いてるし、我慢してここに住もうと思います」


「我慢っつったか、おい?」


「すみません、言葉を間違えました。我慢汁です」


「だから強引に下ネタをねじ込んでくるのをやめろ」


「……私には、もう家がないから」


「…………」


「……できるだけ、あなたの邪魔にならないようにします。ご飯も作ります。掃除もします。何でも言うこと聞きます。……だから、どうか、私をこの家に置いてください」


 先ほどまでの舐め腐った態度とは一転して、深々と頭を下げてきた。


「……こんな狭い部屋だぞ」


 六畳一間、一人暮らしに不便はないが二人となると手狭になるだろう。


「はい」


「プライベートなんかないぞ」


「一人になりたいときはトイレをお借りします」


「ああ、トイレで思い出したけど、風呂とトイレ一緒だぞ」


 卯月があからさまに嫌そうな顔になった。


「マジかよ……」


 心の声ダダ漏れだぞ、おい。


「それでもいいんだな」


「……はい」


 覚悟を決めているようだった。

 色々と思うところはあるが、それなら俺も覚悟を決めるべきなのだろう。


「……分かった。これからよろしく頼む」


「はい、よろしくお願いします。えーと、大輔さんって呼べばいいですか?」


「呼び捨てでいい。たしか、昔はそうだったろ」


「そうでしたっけ。んー……大輔……大輔……」


 噛みしめるように、俺の名前を口にした。


「大輔、今、ちょっと恋人みたいだなって思いました?」


 えへへと頬を赤らめて笑う。


「いや、全然まったく」


「ちっ、インポ野郎が」


 俺から顔を背け、小さく舌打ちをする。


「おい、今の聞こえたぞこの野郎」


 こうして珍妙な従姉妹との奇妙な共同生活が始まった。

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