第2話 というのは夢だった……?
「――ハッ!?」
寒いと感じて目が覚めた。
慌てて周囲を見回す。
「電車……?」
どうやら俺は停止中の電車に座って眠っていたらしい。
車両には自分以外誰もいない。
駅のホームの案内を見れば『やくり駅』と書かれている。
信号トラブルで停止中だというアナウンスが流れた。発車するまでにはしばらくの時間を要するようだ。
運行が再開してもより田舎の方へと向かうだけだ。電車に乗っていても意味がない。慌てて降りる。
うっすらと赤く染まった空が見えた。
太陽は少し前に沈んだらしい。もうすぐ完全に夜空へと移行するだろう。
「この景色……見覚えがある」
既に見たはずの景色だ。
俺はやくり駅に降りて、幼馴染たちと食事をして、ミキとセックスした。
その後は――
「ぐっ」
頭にズキっとした痛みが襲った。
ラブホテルでミキを抱いた後のことが思い出せない。思い出そうとすると頭が痛む。
セックスをした時点で既に終電は過ぎていた。覚えてはいないがホテルに宿泊して、その後帰って……またやくり町に戻ってきたのか?
俺は11月11日にミキたちと会って、その翌日に一度東京に戻って再び夕方にやくりにやってきたらしい。
分からない。記憶に抜けがある。時系列があわない。
「さむっ」
駅のホームに強い風が吹く。寝ている間に全身にびっしょりとかいた汗で身体が冷やされる。
俺はスマートフォンで現在時刻を確認しようとして声を失った。
――11月11日 17時12分
どういうことだ?
昨日は11月11日で、今日は11月12日のはずだ。
もしかして俺は日にちを間違えて覚えていたのだろうか?
いや、違う。昨日は11月11日で間違いない。
昨日俺たちが集まったのは、11月11日がミキの20歳の誕生日で、そのお祝いも兼ねていたからだ。間違えるはずがない。
「夢か?」
俺が体験したと思っている11月11日が夢だったとすれば、今置かれた状況に説明がつく
妙に鮮明な夢だったと思う。5年ぶりに会ったミキたちの顔まではっきりと分かる。こんな風になっているんじゃないかという俺の願望のこもった夢だったのだろうか。
高校から東京で暮らし始めて、ミキへの想いは吹っ切れたと思っていた。でもそうじゃなかったのかもしれない。ミキが処女であってほしい。そして彼女の初めてを奪いたいという願望が俺の心の奥底に眠っていたらしい。
そして何より残念なのは――
「あんなに気持ちよかったのに」
ミキとのセックスが夢だったということだ。
夢であるにもかかわらず、そのときの快楽を鮮明に覚えている。身体に刻み込まれてしまったかのように気持ちが良かった。
本物のミキはどうなのだろうか?
あれはもしかしたら夢だからこそあり得た究極の快楽なのかもしれない。
「まぁ仕方がないか」
どれだけ気持ちがよくても、どれだけもう一度したいと望んでも、あのセックスは夢でしかない。
都合のいい夢にとらわれても得することはないだろう。気持ちを切り替えて本当の11月11日を過ごすべきだ。
気持ちを新たにして改札を降りる。
「うぉッ!」
外に出た瞬間、出口の横に立っている駅員の姿が目に入った。
駅の構内からは見えない位置にいて、しかも全く気配がなかったので驚いてしまう。
「カカシか……」
その駅員は生きた人間ではなかった。駅員の姿を模した人形だ。
駅員の制服を着たカカシは『カカシ祭り開催中』という看板を持っていた。
やくり町ではこの時期、カカシ祭りというものを行っていて、町中に様々なカカシが飾られている。
小さい頃は町民たちによる手作りのカカシを見て「だっせー人形だ」と笑っていたものだ。でもこうして久しぶりに見ると、どこか不気味な感じがする。
俺の母親が当時、カカシ祭りのことを気味が悪くてあまり好きじゃないと言っていたことを思い出す。今なら母の気持ちが分かる気がした。
「ん……?」
そういえば夢でも同じことを体験したなと思った。
今と同じように駅員のカカシに驚いていた。
きっと幼い頃のカカシ祭りの記憶が夢に影響していたのだろうが、あの夢は正夢なのではないかと期待してしまう。
ゴクリと唾をのみこむ。
もしかしたら、あの最高に気持ちがいい経験をもう一度味合うことができるかもしれない。
妄想じみた考えだとは分かっていたけれど、今日の夜、ミキとセックスが本当にできるような気がした。
◆
駅前のコンビニでリップクリームとコンドームを買った。
夢でやくり町にあるラブホテルに行ったとき、一種類しかコンドームが置いてなかった。俺はこの後ミキとセックスをしたいと思っている。だったら事前にコンドームを買っておいて損はない。
どうせなら業務用のコンドームではなく、極薄のコンドームを使いたい。
コンビニの前でリップクリームの包装を破り、ゴミ箱に捨てて乾燥した唇に塗る。
唇がひび割れたら地味にストレスが溜まる。冬の時期になれば特に乾燥が酷いのでしっかりとケアが必要だ。
「さて、と」
夢の通りに……というか元々の予定通りに行動しよう。
懐かしい町中を歩きながら目的地へと向かう。
「あっ……」
歩道を歩いていると、その先の車道に黒い塊があった。
カラスだ。
生きたカラスではない。身体の半分以上が無残にも潰されたグロテスクなカラスの死体だ。顔も左半分が潰れていて、残りの右半分だけがカラスの顔として判別できる。
車に轢かれたらしい。カラスは賢いから車に轢かれることはないと聞いたこともあるけれど、このカラスはどんくさいやつだったのだろう。
車に轢かれたカラスの死体を見て、身体が震えるのが自分でも分かった。
「さむっ」
もう少し厚手の服を来てこればよかったと思う。
今の時期は服装が難しい。すれ違う人の中にはは厚手のコートを着ている人もいる。暖かそうで羨ましい。
外の気温は確かに寒い。
でも俺の身体が震えている理由はきっとそれだけじゃない。
得体のしれない状況に心が怯えているからだ。
夢で見た車に轢かれたカラスが現実でも再現されており、死体の場所まで一致している。
あり得ない。あり得るはずがない。
どんな奇跡的な偶然だ。
改めてカラスだった黒い物体を確認する。
そこに一つだけ残っている眼球が真っすぐに俺を見据えていた。
何か不吉なことを訴えているような気がして、怖くなって目をそらす。
野生動物の死骸というのは基本的に自治体が対処すべき事柄だ。
気がついた住民が役場へと報告するだろう。
外様である俺には何もできることがない。
ドライな判断をしつつ、不気味なカラスの死体の傍を小走りで通り抜けた。
◆
「本当に大きくなったねぇ、幸男くん」
懐かしそうに言う人物の名前は広大 武夫(こうだい たけお)。俺の叔父にあたる。
ミキたちとの約束の時間は19時だ。
5年ぶりにやくり町に返ってきた俺は、幼馴染と会う前に叔父さんの家に顔を出していた。
武夫叔父さんに促されてリビングのテーブルに座る。
掛け時計が表示する時刻は17時48分だから、まだしばらく時間の余裕はある。
「大きくなったのは図体だけですが」
「いやいや、あの悪ガキだった幸男くんが立派になったよ」
「やめてください……」
武夫叔父さんの妻の聡子さんがコーヒーを用意してくれた。
お礼を言いながら砂糖とミルクを入れて、カップを包みこむように両手で持つ。冷えた指先が温まっていく。
「幸男くんは楠井社長の娘さんとは5年ぶりに会うんだっけ?」
コーヒーを飲みながら頷く。
「彼女は凄く可愛くなったよ。幸男くんも会ったら驚くだろうね」
「それは楽しみですね」
本当に楽しみだ。
夢の中でのミキは可愛い美少女へと成長していた。
昔の彼女も可愛らしかったが、大人になった彼女はより一層の魅力を持っていた。
「町のやつらはみんなミキさんと健吾くんをくっつけようとしているけど、ミキさんの方が乗り気じゃないみたいなんだよね」
甥っ子の恋愛事情を想像することが楽しいらしく、愉快な笑顔で言う。
「叔父さんとしては、ミキさんが幸男くんのことをずっと想っているからなんじゃないかって思うんだ」
「そうだったら嬉しいですね」
夢での彼女は俺のことをずっと好きだったと言ってくれた。
現実でもそうであってほしいと思う。
「おや? へぇ……」
素直に肯定した俺の反応が意外だったようだ。
「叔父さん応援しちゃうよ!」
その結果、妙にやる気を見せていた。
俺が彼の勢いにたじろいでいると、聡子さんがたしなめる。
「いや、ごめんね。つい盛り上がっちゃって」
「あはは」
苦笑いを返すしかなかった。
「まだ少し時間はあるし、ゆっくりくつろいでくれ。この家には元々君が住んでいた訳だし」
俺の家族はこの家で暮らしていた。
でも東京に引っ越すことになって、空いた場所に武夫叔父さんたちが越してきた。
近くの柱を見れば俺の身長を測った線が何本も入っている。
柱の傷痕をなぞりながら、ここで子ども時代を過ごしたんだなと懐かしい気持ちになった。
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