タタラレモノ

菜埜華

序章 差し伸べられた手


 人と人が傷つけ合い、血を流せば、怨恨を生んだ。国と国が争えば、更なる怨恨を生んだ。怨恨は負の気となり、地に溜まり続けて穢れとなった。穢れからは、邪気が溢れ、人を病ませた。そして、が生まれた。


 彼の地の国々が衝突する戦乱の世に、人に仇をなし、災いをもたらす妖魔が現れた。人々は恐怖し、彼の地は、更に混乱を極めた。


 そこへ、戦乱の世に終止符を打つ者達が現れた。


 スメラギの名を持つある小国の王は、蛮族を打ちのめし、彼の地の国々を統合していった。王の傍らには、神子と呼ばれる者がいた。神子は神の国より遣わされた神霊獣を従え、妖魔を滅し、穢れた地を浄化する神力を持って、弱者に手を差し伸べた。


 人々は、強きスメラギの王に付いて従い、慈愛の神子に救いを求めた。


 やがて、彼の地は一つの国となった。スメラギの王は皇国を築き上げ、皇帝となった。皇帝の傍らには、皇后となった神子がいた。


 民は、戦乱の世を終わらせた皇帝を称え、穢れを浄化し弱者を救済する神子を敬愛した。人と人が争い、無闇に血を流す時代は終った。


 しかし、負の感情を孕む人間がいる限り、穢れが生じた。人為らざる妖魔が現れた。そして、邪気に当てられた人は、また負の気をを生みだし続けるのであった……。






 ――いつからでしょう?


 娘は力無くこうべを垂れ下げ、今までの人生に思い馳せた。


 とある病院の一室に、娘とその家族が揃って集まっていた。家族が集まった一室は娘に宛がわれた病室で、娘は寝台の上にいた。


「大事な跡取り息子を、その身を挺して妖魔から守った事は褒めてやる」


 娘の実父が、娘に対して威圧的に言った。


「しかし、何とも酷い有り様だ」


 父親は忌々しげに娘を睨み付け、詰った。


 ――いつから、私は要らないものになったのでしょうか?


 娘の腹の中に、じわりと墨のように真っ黒な何かが滲み出した。


「酷い傷ですこと。医師の話では、傷痕が残るそうです。これでは、誰もを娶る者は居りませんわ」


 父親の横に立つ娘の継母が、唇を歪めて嘲笑し、蔑んだ。


 寝台の上で体を起こして俯く娘の顔は、左目と口元以外は包帯で巻かれていた。娘が着用している寝巻きの下にも包帯が巻かれ、娘が重傷を負った事が分かる。


 しかし、娘の身を案じる者は、誰もいなかった……。


 ――弟が産まれた日から? それとも、弟を身籠った継母様を、父様が娶った日から? 


 じわり、じわりと、娘の腹の中に滲み出た黒いものが、とぐろを描きながら大きくなる。


 ――母様が病で亡くなった日から?


「縁談が決まり、中等教育もあと四か月で修了して、やっと厄介払いが出来ると思っていた所に、こんな傷をこさえおって……っ」


「大金貨三枚分の結納金も、泡となりましたわ」


「この穀潰しがっ」


 父親が詰る。継母が嘲笑う。継母に肩を抱かれている三つ下の弟は、姉である娘を見詰めるだけで何も言葉にしない。


 ——私が……、産まれた日から?


 娘の中に渦巻く黒いものが、腹の中を満たしていく。


「お前の荷物だ」


 父親が、手にしていた手持ち鞄を寝台の脇に放った。


「そんな傷だ。もう嫁ぐ事も難しいお前に価値はない。寺院でも行って、身を寄せてもらえばどうだ」


 そう言って、父親は大きく溜息を吐いた。


「全く……っ、こんな金も面倒も起こすくらいなら、いっそ潔く―—っ」


 ——あぁ……、黒く染まっていく……。


 黒いものが、娘の身体を突き破ろうとした——。


「その娘、要らねぇってんなら、俺が貰おう」


 陰湿な言葉を吐き続ける家族では無い、力強い男の声が、娘の耳に響いた。娘は、驚いて俯けていた顔を上げた。


 ―—燃えるような、真っ赤な髪……。 


 娘は、突如として現れた男に目を奪われ、黒く染まりかけていた視界が晴れた。男は、娘の知らない人物であった。しかし、見覚えのある人物であった。


 ―—あぁ、そうだ。この人は……。


 娘が、大きないたちのような妖魔に殺されそうになった時、助けてくれた人物——英雄だ。


 武具を身に纏った男に、父親達は慄いて壁際に下がった。


「こいつの荷物はこれだけか? ……大した金も持たせずに放りだすとは、随分と薄情な親だな」


 男は手持ち鞄を拾い上げると、侮蔑を込めた目を父親達に向けた。


「何だね、君は!?」


「どうやら金に困っているようだな」


 男は父親を無視し、腰帯に付いた鞄に手を突っ込むと、金色に輝く大きな硬貨を五枚取り出した。大金貨だ。


「手切れ金だ」


 男は、それを床にばら撒いた。


「這いつくばって拾ったらどうだ?」


 滅多に目にする事がない大金貨を五枚も目にして固まっている父親達を放って、男は娘に向かい合った。


「来い」


 男の手が、娘の前に差し出された。


 娘は戸惑った。つい先程、家族から要らない物とされ、見捨てられたばかりだ。そんな自分を、男は拾おうとしている。拾われる程の価値が、自分にあるのだろうか……。


 だが、娘は目の前の男から目が離せなかった。娘の為に差し伸ばされた手は、娘がずっと焦がれた物だ。やがて、娘の手が動いた。差し出された力強そうな男の手に、娘は初めて手を伸ばした——。

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