第40話 勇者の決断

「よし、長居は無用だ。ずらかるぞ。一階部分は埋まっちまうだろうから、二階のバルコニーから出るぜ」

 アシオーさんが駆け出し、ケントニスさん、ルルディさんも後に続く。

 走り出したリティーナだったが、広場の出入り口で不意にその足を止めた。

 振り返る。視線の先には、横たわるカリュプスさんの遺体があった。

 後悔、未練。リティーナの横顔からはそんな気持ちが伝わってくる。それでも――。

『リティーナ、ぼくたちは行かなくちゃいけない』

 ぼくの言葉が伝わったかどうかはわからない。けど、リティーナは何かを振り切るかのように前に向き直り、「さよなら」とつぶやいて、再び走り出した。


 地上に出ると、ぼくたちはまばゆい光に包まれた。見上げれば、吸い込まれそうな青空が広がっている。大して時間は経ってないけど、久しぶりに太陽を見た気がする。

「リティーナ、よかった。あんただけなかなか出てこないから、迷子になっているのかと思ったよ」

 リティーナの姿を認めて、ルルディさんが安心したように笑う。魔王城はもうほとんどが地中に埋まっていた。ちょっと危ないところだった。

「なりかけたけどね」

 冗談めかしてリティーナは言った。

「え、ほとんど一本道だったじゃん」

「いや、言葉通りの意味じゃねえだろ」

「……そうか。そうだね」

 はっとしたように、ルルディさんはうつむく。

「姫様、心痛はお察ししますが……」

「だいじょうぶ。イードルムさんを待たせてるし、行こう」

 朗らかに笑って、リティーナは先頭に立って歩き出す。

「きみは、あの空から来たんだね」

 歩きながら空を見上げたリティーナが、誰ともなしに小さくつぶやいた。すぐ後ろを歩くルルディさんが「なにか言った?」と問う。

「ううん、なんでもない」

 

 ――兄上も、空に昇ったのかな。

 

 口には出していないけど、リティーナのそんな声が聞こえた気がした。

 うん、昇ったんじゃないかな。それで、女神様と交渉しているかも。現代日本に勇者として転生したりしてね。現代日本の勇者ってなんだろ。清く正しい政治家とか?

「よう、勇者一行。お前たちなら、やり遂げると信じてたぜ。俺の目に狂いはなかったな」

 降り立った場所で待っていてくれたイードルムさんは誇らしげに言うと、翼を広げた。

「さあ、送っていこう。王都に凱旋だ」

 魔王を倒した勇者一行がグリフォンに乗って帰ってきたら、すごいことになるだろうな。きっと大騒ぎだ。けど――。

「リティーナ、あんたが最初に乗ってよ」

 ルルディさんがイードルムさんの背を指し示す。


「ごめん。わたしは王都に帰らない」

 毅然とした態度で、リティーナは言い放った。驚きはしたけど、やっぱりという気持ちもあった。もしかしたら、そういう決断をするかもしれないとは思っていた。

「……姫様、帰らない、とは?」

 恐る恐る、ケントニスさんが尋ねる。

「魔王に乗っ取られていたとはいえ、わたしは兄を殺めた。父や母の元へは戻れないよ」

「いや姫さん、あれは仕方ないだろう」とアシオーさんが言う。

「ああするしかなかったのはわかってる。でも、王族殺しには変わらない。本来であれば裁きを受けるべきなんだろうけど、わたしにはまだすることがある」

 兄を殺したという罪の意識は、きっとこれからもリティーナを苛み続ける。でも、彼女は大丈夫だ。だって、深緑色の瞳は燃えるように輝いているから。

 王都に帰らないっていうのはわかったけど、それならリティーナはこれからどうするつもりなんだろう。

 

 ルルディさんが一同を代表して尋ねた。

「することって?」

「ウェリスの司魔将と魔王は倒れたけど、まだ大陸には司魔将が残っているはず。だから――」

「全部倒すとか言い出さないよな?」

「できればそうしたいけど、たぶん無理。でも、わたしが倒さなくてもいいんだ。ただ、見届けたいの。魔王がいなくなった後の世界を」

 らしいなと思った。勇者らしさではない。リティーナらしさだ。

「皆に、ティエラ様には何と言えばいいのですか」

 リティーナは腰から護身用の小剣を抜くと、自分の髪を掴んで、肩の辺りでばっさりと切り落とした。突然のことに呆然としているケントニスさんに、リティーナは髪を差し出した。

「魔王と相打ちになったと伝えて。それが、深緑の民の血を持つ王女の最期」

「そんな、姫様……」

「わたしが生きて帰ったら、国はまた乱れる。やっと魔王が倒れたのに、争乱の種にはなりたくない。わたしが魔王と相打ちになったということにするのが、双方にとって一番だと思うんだ。深緑の民に対する風向きは、きっといい方に変わる。そうでしょ」

 自分の身を犠牲にして魔王を討った勇者の話は、人々の心を打つだろう。そして吟遊詩人が美談として歌い語り継いでいくうちに、唯一無二の英雄に昇華されるに違いない。異端の王女、混血の勇者として。

「だからといって、こんなのはあんまりです。姫様を死んだことにするなど」

 差し出された髪を受け取ろうとはせず、ケントニスさんはうつむいた。ケントニスさんの気持ちは痛いほどわかる。我が子同然に育ててきたリティーナがいなくなってしまうのだから。

「ごめんね、ケントニス。でも、これが最後のわがままになると思うから」

 酷なことを言っているという自覚があるのだろう。リティーナもつらそうに目を伏せた。

「いいじゃないかケントニス。本当の意味で姫さんは自由になれるんだ」

 と、横から手を伸ばし、アシオーさんが髪を受け取った。手早く紐でくくってまとめる。

「安心してくれ姫さん。俺がうまいこと報告しておくよ。情報官の本領発揮だな」

 気楽な調子はわざとに違いない。アシオーさんにしたって、友人の妹を死んだことにするのは心中複雑なものがあるだろう。

「――いえ、報告は私がしますよ」

「おい、人がせっかく」

「こればっかりは譲れません」

「……わかったよ」

 ケントニスさんはアシオーさんの手からリティーナの髪を受け取る。そうしてケントニスさんは、まっすぐリティーナに向き直った。

「姫様、約束してください。大陸を見て回ったら、あの離宮に帰ってくると」

「ケントニス、でもそれは」

「約束してください」

 いつになく強く、切実なケントニスさんの口調だった。しばしにらみ合っていた二人だったが、根負けしたのかリティーナはうなずく。

「――わかった。いつになるかはわからないし、絶対でもないけど、それでもいいのなら」

「はい。お待ちしております」

 嬉しそうに微笑むと、ケントニスさんは深々と頭を下げた。

「こういう時、ケントニスは信じられないくらい頑固だね」

 呆れたようにリティーナが言って、

「姫様ほどではありません」ケントニスさんがしれっと返す。

 ぼくはどっちもどっちだと思うよ。息はぴったり、長い付き合いを感じさせる二人だ。そしてその付き合いは、これから先も途切れないのだろうと思う。

 

 不意に、ルルディさんがリティーナの腕を掴んだ。絶対離さないぞという意志を感じる。

「リティーナ、あたしはあんたがいやだって言ってもついていくからね」

「いやなんて言わないよ。こっちからお願いしようと思っていたくらい」

「じゃあ……」

「一緒に、旅を続けてくれる?」

「もちろん!」

 そういうわけで、ルルディさんとはこれからも一緒みたいだ。ぼくとしてもオニクマさんが一緒に来てくれるようなものなので、素直に嬉しい。

「で、どうするんだ。リティーナとエルフの嬢ちゃんはどっか適当なところで降ろすか?」

 律儀にみんなのやり取りが終わるのを待っていてくれたイードルムさんが口を開いた。

「いえ、わたしはナナン海底洞窟を通っていくつもりです」

「カリュプスが掃討したとはいえ、まだ魔物が残っているんじゃないか」とアシオーさんが心配そうに言う。

「構わない。兄上や母上が通った道をなぞりたいから。ルルディ、いいかな」

 そうか、ナナン海底洞窟は深緑の民も通っているんだものね。

「もちろん、いいよ」

 どんな魔物が相手でも、この二人なら問題ないだろう。ぼくも頑張るつもりだ。

「というわけで、イードルムさんにはケントニスとアシオーをお願いしたいのですが、いいでしょうか」

「わぁったよ。野郎二人を王都まで乗せていけばいいんだな。いまいちテンションが上がらないが、仕方ない」

 確かにちょっとむさくるしい絵面かもしれない、とか思っていたらルルディさんが、

「いいこと思いついた。華がないならアシオーが女装したら?」などと頭のネジが緩んだのかなと疑うような発言をした。

「おまえ、どこからそういうぶっ飛んだ発想が出てくるんだよ」

「それ、ありかも」

「姫さんまで! どんな地獄絵図だよ!」

 女装したアシオーさんと、リザードマンであるケントニスさんが乗ったグリフォンが颯爽と凱旋する。伝説になるな。

「お前たち、本当に魔王を倒した勇者一行なんだよな」

 あ、イードルムさんが若干冷たい目でこっちを見ている。

「間違いありません。わたしたちは、勇者です」

 堂々と、リティーナは答えた。胸を張って勇者と言えるようになった少女の姿が、そこにはあった。

「ほんっとに変わった王女様だぜ。でもまあ、中にはそういうやつがいてもいいよな。できれば王になったところも見たかったが、それはもう言わないでおくよ」

「そうしてもらえると、助かります」

「――よし、野郎どもはさっさと乗りな」

 イードルムさんに促されて、アシオーさんとケントニスさんは背中に乗り込む。二人が乗ったのを確認すると、イードルムさんは飛び上がった。

「姫様、どうかお気をつけて。ルルディ、姫様を頼みましたよ」

「二人とも、あんま食いすぎるんじゃねえぞ」

「わかってる。そっちも、元気で」

「じゃあな、変わり者の勇者とエルフの嬢ちゃん。達者でな!」

「あんたもね。あ、ケントニスとアシオーを落っことさないでよ」

「これからも、ウェリスをよろしくお願いします」

 器用に片目をつむって見せると、イードルムさんは風を切って飛び去って行く。最後に見たケントニスさんの顔は、やっぱりひきつっていた。


「行っちゃったね」

「うん、わたしたちも行こうか」

「これから、どうするの?」

「まずは南に行こうと思ってる」

「南って、ケントニスの故郷?」

「そこも見てみたいし、他のところにも行きたい」

「いいね。おいしいものをたくさん食べよう」

「サソリとか?」

「……それはちょっと遠慮したいかな」

 二人はそんなことを話しながら、海底洞窟を目指して歩いていく。

 そうだよね。魔王は倒したけど、まだ終わりじゃないんだ。

 これから先、どんな運命がリティーナを待っているのかはわからない。それでも、どんなことがあっても、彼女は切り抜けていくのだろう。強い意志と、ぼくを以て。

 エクスカリバー。アーサー王は手放したけど、ぼくは絶対にリティーナから離れない。たとえ捨てられても、戻ってきてやる。それができるのは実証済みだ。オニクマさんに教えてもらったんだ。

 そこでぼくはちらとルルディさんの背中の鬼熊殺しを見やった。

 はて、そういえば、さっきオニクマさんの声を聞いたけど――。

『オニクマさん?』

 呼びかけても、返事はなかった。まあいいか。そのうちまた話す機会があるだろう。

 ぼくたちの旅は、まだまだ続くのだから。


「はぁよかった。一時はどうなることかと」

「ちょっとあんた、昼間なのに遠見の泉で何やってんの」

「うわ姉さん。昼寝してたんじゃないの」

「なんか予感がして、目が覚めちゃったのよね。下界で動きがあったの?」

「勇者が魔王を倒したわ」

「なるほど、道理で……ってあんたまさか、下界に干渉してたんじゃないでしょうね」

「ちょ、ちょっとね。勇者の剣がヘタレそうになっていたから。声援というか、アドバイスを少し……。あ、力を貸したりはしてないわよ」

「まったく、私たちはできるだけ下界に関わっちゃダメだっていうのに」

「姉さんだって、アグネーシャの剣を復活させたじゃない。異世界の魂まで使って。あの少年の素質、見抜いてたんでしょ。すごかったよ」

「うん? いたって普通の男の子だったけど」

「え?」

「え?」

「……まさかとは思うけど、真面目に適正者を探すのが面倒だからって、そこらへんにいた魂を無造作に選んだとかじゃないよね?」

「そ、そんなわけないじゃない。――とにかく、かつての英雄の剣でも持ち出さない限り、勇者カリュプスの身体を手に入れてしまった魔王を倒せなかったからね。あの魔王を放置していたら、きっと世界はめちゃくちゃになっていたわ。それは私の本意じゃない」

「だったら、もうちょっと手助けしてあげてもいいと思うな」

「イヤよ。神託で勇者を選んだのですら最大限の譲歩だったのよ。自分たちが生きる世界のことは、自分たちでなんとかすべきでしょ」

「そりゃそうなんだけどね。……まあ、魔王もいなくなったし、しばらくは安泰かな」

「だといいんだけど。あの世界、私たちが何もしなくても定期的に災害が起きるからね」

「でも、あの世界に住む命たちは、きっとなんとかする」

「そうね。ふぁ、安心したらまた眠くなってきた。私はもうひと眠りするわ」

「うん、お休み」

「のぞき見はほどほどにしなさいよ。大体、あんたは夜霧の女神でしょうが。日中に活動してるって、どうなのよ」

「姉さんこそ、日輪の女神のくせに、昼寝ばかりじゃない」

「うっさい。ピグミーマーモセットにすっぞコラ」

「ごめんなさいお姉さま。あたくしもお休みをいただきますわ」

「ん、そうしなさい」


「やれやれね――と、じゃあね。きみはよく頑張ったよ。これからも、勇者をよろしくね」

 そう言って、少年に『オニクマ』と名付けられた夜露の女神、ルクス・ルエナは微笑んだ。

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