第33話 勇者カリュプスの旅立ち
今度の光景は見覚えがある。さっき見たばかりの離宮だ。
母屋の玄関には、鎧を着てフード付きのマントを羽織った若者が立っている。フードで顔を隠しているけど、カリュプスさんだとすぐにわかった。もう少年とは呼べない。精悍な顔つきになっていた。
腰に下げているのは聖剣グラムか。本当に勇者の剣だったんだな。複雑な気持ちだ。
カリュプスさんがノッカーを鳴らすと、少ししてから女性がドアを開けた。深緑色の瞳の、やさしそうなおばちゃんだ。この人がスウスさんかな。
「久しぶりだねスウス。リティーナはいるかな」
フードを下ろしたカリュプスさんがさわやかに笑う。スウスさんは驚きに目を見開いた。
「カリュプス様、今日は出立の日では?」
「そうだよ。旅立つ前に、リティーナの顔を見ておきたくてね」
「――そうでしたか。お待ちください。呼んでまいります」
スウスさんが奥に引っ込み、すぐにリティーナがやって来た。だいぶ大きくなったけど、今と比べると、まだちょっとだけ幼い。
「兄上、どうして……」
「やあリティーナ。出立式に来てくれないなんて、冷たいじゃないか。おかげで、一度王都を出てからこっそりと舞い戻る羽目になった。勇者の旅立ちにしては格好がつかないよ」
なるほど、それは確かにちょっぴりかっこ悪い。でも、それだけカリュプスさんはリティーナに会いたかったんだな。少しだけ、親近感がわいた。
「わたしが行ったら、縁起が悪いと人々が嫌がりますから」
「言いたい奴には言わせておけばいい。俺は気にしない」
「わたしが気にします」
「今生の別れになるかもしれないのに?」
カリュプスさんは、冗談めかして言った。リティーナは目を逸らす。
「……そういう意地悪を言わないでください。兄上なら、絶対魔王に勝ちます」
「だといいんだが、何事にも絶対はないよ」
「どうしたんですか。らしくないです。兄上はいつだって自信にあふれていたではないですか」
リティーナが目線を戻すと、困ったように笑うカリュプスさんの顔があった。
「そうだったかな」
「そうですよ。有言実行、伝説の聖剣グラムだって、本当に古代迷宮から取って来た」
「アシオーにも手伝ってもらったからね。俺だけの力じゃない」
「それでもすごいです。兄上こそ、真の勇者ですよ」
「――リティーナ、誰にも言えないが、お前にだけは正直に言う。俺は、怖いんだ」
カリュプスさんの意外な告白を聞いたリティーナは、虚を突かれた顔になった。ぼくも驚いている。自信満々のイケメンって感じのカリュプスさんが弱音を吐くなんて。
「怖い? 兄上が?」
「そうだ。俺が神託の勇者とか、嘘だろって思う。とんでもない重圧だよ。――なあリティーナ、もしも全部投げ出して、逃げ出したいと言ったら、お前はついてきてくれるか?」
冗談とも本気ともとれる口調で、カリュプスさんはとんでもないことを言った。おいおい、それはシスコンっていうか勇者失格では?
「いやです。そんな格好悪い兄上とは一緒にいたくありません」
リティーナがすげなく断ると、カリュプスさんは苦笑した。
「お前な、こういう時はやさしい言葉の一つでもかけてくれよ。兄が弱気になってるんだぞ」
「かわいげがない妹ですみません。――それでも、兄上は行くのでしょう?」
「……まったく。まあ、お前と話せて少し気が楽になった。そろそろ行かなくてはな。勇者として」
フードをかぶったカリュプスさんはリティーナに背を向けた。
「兄上」
その背に、リティーナは声をかける。カリュプスさんは首だけ振り向いた。
「うん?」
「必ず、帰ってきてくださいね。それで、帰ってきたら剣の稽古をしましょう。約束です」
嬉しそうに、本当に嬉しそうにカリュプスさんは顔をほころばせる。
「剣っていうのがリティーナらしいな。色気も艶もないが、そういう言葉が聞きたかったんだよ。――ああ、約束するとも」
「ご武運を」
手をひらりと振って、カリュプスさんは旅立っていく。魔王討伐の旅へと。重い宿命とは裏腹に、足取りは軽やかだった。
ここから先の運命を、彼は知らない。数々の司魔将を討ち倒し、吟遊詩人に歌われる勇者カリュプス。しかし彼は、魔王に負けて帰らぬ人になる。
消えていく光景から目を背け、今のリティーナがつぶやいた。
「――うそつき」
重たい一言だった。
ぼくは何も言えなかった。たとえ言葉が届いたとしても、何が言えただろう。カリュプスさんは、嘘なんてつくつもりはなかった。生きて帰ってくるつもりだった。そんなことは、リティーナだってきっとわかっている。それでも、彼女は言わざるを得なかった。うそつき、と。
「わたしがあの時一緒に逃げると言っていたら、兄上はどうしていたかな……」
『それでも、カリュプスさんは魔王を倒しに行っていたと思うよ』
カリュプスさんは勇者だった。リティーナと同じだ。
「二人で、誰もわたしたちを知らない所に逃げる。そういう道も、あったのかもしれない。やさしくて、強くて、憧れだった兄上。死んでしまったなんて、信じたくない」
リティーナの顔には切実さがあった。自分の選択が正しかったと知りつつも、リティーナはそれを悔いていた。
『リティーナ、まさかきみはお兄さんのことが……?』
……いや、さすがにそれはないか。腹違いとはいえ、兄妹なんだし。でも――。
しばしその場に立ち尽くしていたリティーナは柄を固く握りなおし、歩みを再開する。
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