第29話 まつろわぬ民
皆が寝静まると、夜の気配が一段と深まった気がした。いつもの孤独感がやってくる。人間だったころは一度眠れば色々リセットできたけど、剣の身体じゃそうもいかない。意識が途切れもせず延々と続いているって、結構大変だ。
見上げれば、夜空には幻想的な星々が煌めいている。こっちの世界はあっちの世界より星がきれいに見える。夜を照らす明かりが少ないからか、単純に星がきれいだからか。あるいは両方か。目を凝らしてみても、知っている星座なんてひとつもない。
『少年、話があるんだけど』
両手両足をでたらめな方向に投げ出して、いぎたなく寝ているルルディさんの傍らから声がした。オニクマさんだ。
『深緑の民の話でしょうか』
『察しがいいね。その通りよ』
『このタイミングだったら、それしかないと思いますよ』
いつもだったら、オニクマさんとの会話は心弾む時間だ。だけど今は違う。胸の辺りが、鉛の塊でもくくりつけられているみたいにどんよりと重い。
ぼくは、できれば深緑の民の話を聞きたくなかった。でも、聞かなければいけない話なのも事実だった。意を決して、ぼくは言った。
『教えてください。深緑の民とは、どういう人たちなんですか』
『一言で言えば、まつろわぬ民ね』
『ウェリス国にとって、ですか』
『そんなところ。元々は遊牧民で、定住地を持っていなかった。ウェリス中をさすらっていたの』
『エルフやドワーフとはまた別の問題なんですか?』
『彼らは人間とは違う、独自の国や集落を築いているからね。お互い不干渉が原則なの。ウェリス国の中にも、いくつかあるわよ。ルルディはそこの出身』
『自由都市みたいな感じですね』
オニクマさんは『ちょっと違うけど、そういう認識でいいかな』と言う。
『で、元々、ウェリスって国は有力な民族が他の民族をどんどん併合してできた国なの。その有力な民族を率いていたのは、かのアグネーシャの仲間の一人。だからこその説得力もあったんだろうね。併合の際に、流血沙汰はあまりなかったのよ』
『でも、深緑の民は、帰順を拒んだんですよね』
『うん。誇り高い民族でね。他民族と混じり合うことを決してよしとしなかった。優れた武技で抵抗して、頑なに併合を拒んだ』
それはつまり、拒み通せるだけの実力があったということだ。
『強かったんですね』
『過去形じゃない。今でも強いよ。リティーナを見ればわかるでしょ。深緑の民って、身体能力がずば抜けて高いの。混血でもね』
尋常じゃないリティーナの身体能力は、血から来ている部分もあったのか。
『それで、帰順しないことも含めて、他の人たちから疎まれ恐れられて、弾圧されることになったんですか?』
『原因の一つではあるわね』
『他にあるんですか。もっと、決定的な何かが』
『ええ。深緑の民の中には、稀にだけど、魔物と意思を通わせて、操れる者が生まれるの。そういった者は、魔物使いって呼ばれてる。今はほとんどいないけどね』
想像すらしていなかった理由だった。
『え、ちょっと待ってください。それってまるで、今の魔王じゃないですか』
『そうね。魔王が、そしてかつて大陸を支配していた魔族が使っていた、魔王の威光と呼ばれる魔導具と、同じに見えるわね。でも実際は違う。深緑の民は、血で魔物と通じ合えるの』
『血で?』
『生まれ持った素養、言ってみれば、才能よ』
『動物に懐かれやすい人の、もっとすごいバージョンみたいなものですか』
『まあ、そんな感じ。――で、そんな深緑の民は、周りの人間からしてみれば、魔導具を使って魔物を従えていた魔族と何ら変わらないのよ』
『だからか……』
色々なことが腑に落ちた。魔物を手懐け意のままに操れるという存在を内包する集団を、大多数の人は許容しないだろう。脅威を、自分たちにとっての異物を排除しようとするのは当然の流れだ。
『ウェリスが国の体をなした後でも、深緑の民との小競り合いは続いていた。ただ、それは殲滅戦ではなかった。排除を望む民は多かったけど、国にしてみれば、深緑の民の力はどうしても欲しいものだったのよ』
その理由は、すぐに察しがついた。
『魔物の力を得ることに繋がるからですね』
『そう。周辺国に対して大きな抑止力になる。だから、排除よりも帰順を望んだの。大魔法時代と呼ばれる魔法全盛期の頃には、捕らえて、魔法の力で無理矢理奴隷にしたこともあった。このレグアズデが整備されたのはその頃の話ね』
『それでも、深緑の民たちは、抗い続けたんですよね』
『ええ。といっても好戦的な人たちではないから、基本的には自衛のためにしか戦わなかった。だから、小競り合いこそ絶えなかったけど、致命的な衝突がないまま、どうにか過ごすことができていた。深緑の民追放令が出るまでは』
『それって、名前の通り、深緑の民を国から追い出せっていうものですか』
『うん。エーリス島に追放してしまえという内容だった』
『どうしてそんな極端なものが……』
『当時の王子が、狩りの最中、魔物に殺されたからよ』
『まさか、深緑の民のせいにされたんですか?』
『その通り。近くに深緑の民の集落があったの。魔物の襲撃は、その人たちが起こしたものとされた』
『それって、本当にその人たちが起こしたんですか?』
いくらなんでもできすぎという気がする。虐げられた恨みはあるだろうが、深緑の民が、そんな、結果として自分たちの首を絞めるようなことをするだろうか。
『さあ、真相は闇の中よ。いずれにせよ、王子を失った王は悲しみ、同時に怒り狂った。深緑の民は皆殺しにしてやるとまで言い放ったそうよ。家臣に諫められたのか、それは追放令に変わったのだけど』
どっちにしたって、深緑の民にしてみれば大きな災難だ。
『当然、深緑の民たちは反発したわ。魔物の力も借りて、必死の抵抗を続けた。国を二分するほどの戦いになった。竜が飛び交い、大規模な魔法が行使されたの。結果、竜はほぼ死に絶え、力ある魔法使いもほとんどが命を散らした。魔法衰退のきっかけでもあったわけね。――深緑の民は善戦したけど、数の力には勝てなかった。狩り立てられて、殺されて、生き残りは、結局エーリス島へと追放されたの』
『エーリス島って、魔王がいる島ですよね』
『そう。そして、アグネーシャが討伐した魔族たちの王――原初の魔王がいた島でもある。土地は痩せていて、気候も安定しない。人が生きるには過酷な島よ』
原初の魔王。異界の魔族たちの長。神話の領域の存在だが、実在していたとしても何らおかしくはない。なにせここはそういった世界なのだから。魔法があって、魔物がいる、幻想世界。
『鎖でつながれて、深緑の民たちはエーリス島へと続くナナンの海底洞窟を歩かされた。途中で脱落者が出てもお構いなし。まさに死の行軍だったわ』
想像するだけでも胸が苦しくなる。どれだけ悲惨な光景だったのだろう。
『今からおよそ二十年前、前国王が解放令を出すまで、深緑の民はエーリス島から出ることを許されなかった。解放令の前と後の世代で、深緑の民に対する意識がだいぶ違うのはそのためね。前の世代は深緑の民を魔族の仲間か何かだと思っている人が多いの』
ぼくが最初に見た村の村人たちを思い出す。リティーナに絡んできた人たちは、みんな年配だった。
『なぜ、前国王は解放令を出したんですか?』
『人道的見地から、ならよかったんだけどね。ベレーギアとの戦に利用するためよ』
ベレーギア、これまで何度か耳にしたことがある。東の大国だ。
『ベレーギアは軍事国家で、大陸の覇者たらんとしている。そんなベレーギアにとって、豊かな資源と古代の秘宝が眠る迷宮がたくさん存在するウェリスは、喉から手が出るほど欲しい土地なのよ』
『だから、侵略戦争をしかけた』
幻想世界ではあるけど、血なまぐさい出来事が絶えないのは、あっちの世界と大差ないのかもしれない。
『ウェリスは決して弱い国じゃない。けど、ベレーギアの兵と傭兵は精鋭ぞろいでね。苦戦は免れなかったの。一時、国土の三分の一を占領された時もあったわ』
『苦戦したから、深緑の民の力を借りようって思ったんですか。そんな、ムシのいい』
『あたしもそう思うわ。それでも、深緑の民は協力せざるを得なかった。ベレーギアは徹底的な殺戮者だったからね。逆らう者は女子供でも容赦なし。魔物よりも怖いって言われたくらいよ』
『最終的には、勝ったんですよね』
『どうにかね。現国王、当時の第一王子イエティスが、深緑の民の長の娘、ティエラと共にレグアズデに登り、グリフォンの試練を突破したことが大きかったの。護衛にはあのケントニスもいた。ぎくしゃくしていたウェリス人と深緑の民の兵士たちは、この偉業によって一つにまとまったといっても過言ではないわ』
リティーナのお母さん――ティエラさんも英雄だったんだ。正妻に迎えられなかったのは、やっぱり政治が絡んでいるためだろうか。
『ティエラさんって、凄腕だったんですか?』
『そりゃもう。今のリティーナより強いんじゃないかな。解放されてからは傭兵たちに交じって戦ってね、南から腕試しにきたケントニスとはその時に出会ったの。ケントニスとティエラは剣の腕を買われてイエティスが指揮する部隊に組み込まれてあとは――って感じだった』
ケントニスさん、元は傭兵だったのか。なんでまた魔法使いに転職したんだろ。
『で、終戦後、深緑の民たちはあちこちに散らばっていった。自由都市ガーチェみたいな受け皿も用意されたんだけど、放浪の冒険者を選んだ人も多かったみたい。リティーナみたいな混血の子もちらほら生まれ出してね、このまま、お互いが歩み寄れればよかったんだけど……』
『今の魔王が現れてしまったんですね』
『そうなのよ。魔物を操るっていうと、どうしても深緑の民を連想してしまう。魔王の正体は明らかになっていないけど、エーリス島にとどまっている深緑の民の一人なんじゃないかっていう説が、根強いの』
『そんなこと、あるんですか?』
『それは、きみたち自身の目で確かめることね』
『なんだか、中途半端な攻略本みたいなセリフですね』
『攻略本?』
『いえ、なんでも』
魔王討伐までのチャートが書かれている攻略本があったら楽なのにとか思ってしまうのは、ゲーム脳というやつなのだろうか。
現実には絶対必勝なんてないのはあっちと一緒だ。取捨選択次第で、いくらでも道は変わってくる。
リティーナがどんな道を選ぼうとも、ぼくはぼくを選んでくれたリティーナの選択を信じる。
『ずいぶん長い話になったわね。さすがにくたびれたから、そろそろ休むわ』
オニクマさんの声には疲れがにじんでいた。ぼくと違って疲労を感じるんだろうか。
『はい、色々教えてくれて、ありがとうございます』
『こんなことくらいでしかきみをサポートできなくて、ごめんね』
こんなことなんてとんでもない。オニクマさんに話を聞かなかったら、ぼくはこの世界についてほとんど何も知らないままだった。
『ぼくにとっては重要なことですよ。助かってます』
『なら、いいんだけど。――そうだ少年、最後に一つだけお願いがあるの』
『なんでしょうか』
『グリフォンの試練は、リティーナにとってつらいものになるわ。だから、最後まで寄り添ってあげて』
笑えるなら、ぼくはきっと笑っていた。
『そんなの、リティーナがぼくを選んでくれた時から、そうするつもりでしたよ。リティーナが僕を手離さない限り、ぼくは彼女の側にいます』
『――うん、ありがとう。きみで、よかったよ』
ふっと、オニクマさんの気配が消えた。会話の終わりはいつも唐突だ。
戦斧に憑いている精霊だっていうけど、オニクマさんの存在ってけっこう謎だ。昔のことを詳しく知っているみたいだけど、一体何歳くらいなんだろう。ルルディさんより年上っぽいけど――って、女性の歳を詮索するのは失礼かな。
ぼくは、いつの間にか白みはじめた空を見上げた。オニクマさんと話していると、いつもあっという間に夜が明ける。
傍らで、毛布にくるまって胎児のように眠っているリティーナに意識を向ける。世界の命運を託された勇者はどんな夢を見るのだろう。せめて心安らげるようなものだといいんだけど、穏やかとはいいがたいリティーナの寝顔だった。
今日はリティーナにとって、文字通り試練の日になる。そんな予感がした。
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