#28 らしさの呪縛
「……兄、さん…………」
ベッドの方から声が聞こえてきたので、楓は起き上がり巧人の様子を見た。寝言らしい。
「夢の中でもせーやのこと考えてんだ、寝ても覚めてもーって感じ。ホントに好きなんだねー」
微笑ましく思っていたが、眠る巧人の表情は楓にはどこか悲しげに見えた。遠目から眺めていると、そっと引き戸が開かれる。誠弥が戻ってきた。
「あ、今度こそおかえりー。槙野、さっき寝たとこだからー」
「ん、そっか。ありがとね、茜川は頼りになるよ」
巧人の穏やかな寝顔を見て誠弥は一安心し、机に向かった。
「またまたー、僕は話し相手程度のことしかしてないよ。ただの保健室登校の素人にできることなんて、たかが知れてるしー」
「それでも十分だよ。タク、さっきよりしんどくなさそうだし。熱はどれくらいあった?」
「三十七.五度。微熱だけど、身体弱いらしーし平熱も低い方みたいだから怠そーだったねー。本人は『大したことない』って言ってたけどー」
楓は「おつかれー」と言って、ウォーターサーバーから汲んだ水を誠弥に差し出した。
「それは口癖みたいなものだよ。辛いこととか苦しいこと程隠したがる子だから、寝かせてあげられただけでも助かったよ。抵抗しなかった?」
「ぜーんぜん。素直に自分から横になってたよー。槙野は良い子だね、僕と違って」
「茜川と違ってって、比較することじゃないでしょ」
誠弥の優しい笑顔が気に食わず、楓はそっぽを向き無気力そうにまたソファに寝転がった。
「……槙野はさ、せーやに迷惑かけたくないんだって。だから、いろんなこといっぱい我慢しようとするんだよ。僕は迷惑くらいいくらでもかければいいのにーって思ってたんだけど、いざ自分のこと思ったら、せーやにかけなくていい迷惑かけちゃってる気がしてさ……。教室に籠るくらい、なんてことないはずなのに……」
「どうしたの、弱気になるなんて珍しいね」
「槙野にあてられたかな。……なんて。僕は元々こんな感じだよ」
楓はソファの座面と背もたれの間に顔を埋め、ぶつぶつと誰にも聞こえないように弱音を吐いた。
「そりゃあ、茜川が気兼ねなく教室で過ごせるようになれば俺は嬉しいけど、無理して苦しい思いしてまで教室に行く必要はないよ。そんなことなら、ここにいてくれた方が良い。保健室は生徒みんなのものだからね」
「せーやは人を甘やかしてダメにする天才だ。そんなこと言われたら僕、変わりたくても変われないじゃん」
窓の外では体育の授業をしていて、ちらりとそちらを見ると女子生徒たちが肩を寄せ合って笑っているのが見えた。窓を閉めていたので声こそ聞こえてこないが、どんな話をしているのかと想像するだけで震え出す身体を楓は必死に押さえた。
「大丈夫?」
「うん平気……。アイツらがいまだに僕の話なんてしてるはずないから……」
「緑のジャージ、三年生……元クラスメイトか。茜川にひどいこと言ってきた子たち?」
「ひどいことって、全部事実だよ。あのときは髪も短かったし、どっからどー見ても男子って見た目だったから異様な目で見られて当然。僕もそれでいいって思ってたし」
楓は細いツインテールの毛先をくるくると人差し指に巻き付け弄った。
「可愛い女の子になんてなれなくていい、ならなくていい――なりたくない。僕には女らしさなんていらないって思ってたんだけどなー。いざ男子として生きようとしたら、それはそれで上手くいかない。まー、実際には女だから当たり前なんだけど」
「難しい問題だよね、俺も茜川の気持ちを完璧には理解できないのがもどかしいよ。だけど、髪を伸ばしただけじゃなくてツインテールにしてるってことは、何か心境に変化があったってことかな?」
「簡単な話だよ、形から入ろうとしてみただけ。可愛い女の子といえばツインテール。ちなみにこれ、地毛じゃないよ」
そう言って楓は起き上がり、前髪や襟足の辺りを触って何かをしている。一通り終え頭頂部を引っ張ると、すぽんっ。脱皮したようにツインテールは形そのままに楓の身体を離れた。そして、楓は誠弥が二年間見慣れたベリーショートへと姿を変えた。
「えっ、そうだったんだ……。あんまりナチュラルだったから気付かなかったよ、ごめん」
「別にいーけど。髪がそんなすぐに伸びるわけないじゃん、変だと思わなかった? 新学期になった途端ロングになって」
「春休みの間に伸びたのかなーって、はは……」
「せーやって、たまーに抜けてるよね」
ウィッグを付け直すと、楓は崩れたツインテールを軽く整えた。
「いきなりハードル高すぎだし柄じゃないのは分かってるけどさ……これ、似合ってる?」
楓は照れくさそうにして誠弥の顔を見た。前髪を触り眉の角度で感情を悟られないようにする。
「うん、すごく似合ってるよ。綺麗に結べてるしたくさん練習したんだね」
「寝る間も惜しんで何時間も鏡の前に立ってね。腕もめっちゃ痛くなったしもう
楓が肩を回すとポキポキと音が鳴った。結んだ細い毛束を嬉しそうに両手で掴み、頬へ触れさせやんわりと笑ってみせる。
「それに、僕が美少女としてせーやと噂されてたの、冗談半分で面白おかしくする為の脚色だったとしてもちょっと嬉しかったんだ。美少女って僕のことなのかって訊いたら、柞木は当たり前みたいに肯定してくれたし、それもすごく嬉しくて……。僕、ちゃんと女の子になれるんだね」
「茜川のことをそうやって受け入れてくれたの、俺以外だと初めてだった? 良い友達ができて良かったね」
「きっと、ツインテール効果だよ。
楓はソファの上に正座し改まって誠弥に頭を下げた。それはいつもの空気が抜けたような軽い口調ではなく、しっかりと地に足の付いた言葉だった。
「昨日、来週末ある勉強合宿の部屋割りと班決めをしたんだ。僕も今年こそは参加しよう――参加できるって思ってた。だけど、案の定僕があぶれて僕の押し付け合いが始まって、なかなか決まんなくて揉めて……教室の空気は最悪。担任だって僕みたいな奴の扱い方なんて分かるわけないから治めらんなくて、僕がいなくなれば教室の空気だけはどーにかなるかなと思ってせーやのとこに逃げて来たんだ」
「そうだったんだね」
「ホントにごめんね。昨日は僕でもそれなりに傷付いててちゃんと話す気になれなかったんだ。そんなことがあったから、合宿はせーやと一緒に行動してせーやと同じ部屋がいーなーなんて思ったんだけど、ムリだよねー」
それで今朝の話に繋がるのかと誠弥は納得するが、事情を聞いたところで首を縦に振れるものでもなく歯がゆい。
「ちなみに……僕が男子だったら許されたとかある?」
「ないよ。勉強合宿は生徒同士の絆を
「やっぱりー? はー、仕方ないなー。今年も休んだらいよいよ危ういから、行かないといけないしー。班って言ってもどーせ勉強するだけだし、部屋も寝るだけだったら担任に丸投げしちゃお。どーにでもなれー」
楓は吹っ切れた様子で身体を伸ばしソファに再び横になった。その顔はすっきりしている。
「まあ、いざとなればタクたちと一緒に行動すればいいよ。その辺りは俺からお互いの担任の先生に説明しておくから」
「せーやのお人好しー。誰彼構わず優しくするもんじゃないぞー」
腕を頭の後ろで組むと楓は、目を細め誠弥に念押しした。巧人が起きていたらどんな顔をするだろうと考えると申し訳なくなる。心の中で「僕はノーカンでいーよ」と呟き目を閉じた。
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